35.新しい生活・セアン
僕とエレーンの旅立ちはしばらくお預けされる事になった。
それはなぜか?セアンが望んだからだ。
この奇妙でハンサムな蒼い目の青年はなぜか僕から離れようとはしなかったのだ。
セアンの住居はタジマが用意してくれた。(僕の隣の部屋に!)
まあ、身寄りもない上に日本の事情にも疎い事を考えれば仕方のない事ではある。
しかし、僕にもプライベートくらいはあるのだ。
なぜに個人的なレンタルビデオの趣味まで詮索されなくちゃならないのか。
それについて僕はタジマに携帯メールで抗議をしてみたのだが…「それだけ慕われているんでしょう。師匠として」などと返された。
そうなのだ。
セアンは勝手に僕を『師匠』と呼ぶのだ。
---
良く晴れたある朝、僕はベランダのガラスサッシを大きく開く。
空には雲ひとつなく、落葉し終わった街路樹に冷たい風が吹き付けていた。
(空気はきりっとして本格的な冬の到来を告げていた)
猫のエレーンは大きく伸びをすると僕の脇をすり抜けてベランダの手摺りに飛び乗った。
「Good-Mooooooonin’!!! MyMaster!(おはよう師匠)」
大きな声で隣のベランダからこちらに叫ぶ外人。
Hey!と大げさな身振りで挨拶をされてエレーンはシャーッと威嚇した。
「朝からうるさいわね」そっけなくヒゲを震わせて彼女はベランダから部屋に飛んで入る。
「おぉぉ、やはり夢ではなかったですね。エレーンさんは話ができるんですねえ!」
流暢な日本語で切り返すセアンに僕は「おはようさん」と片手を振った。
「ごはんは食べたのか?」と僕が聞くと、セアンはびっくりしたような顔を見せた。
ぷるぷると震えだしたセアンは次の瞬間にはベランダから引っ込んだ。
(日本語が伝わらなかったのかなと僕は首を捻った)
数秒の後、チャイムが鳴ったドアを開くと、セアンが部屋に飛び込んできた。
セアンの手にはお箸が握られていた。
僕はエレーンと顔を見合わせると、にっこりと笑った。(お箸が使えるなんてね)
朝食は釜で炊いた白いごはんと焼き鮭とわかめの味噌汁と梅干だ。
「いただきまーす!」
セアンは臆せず僕達と共に食事を楽しんだ。
「おしいでーす」と繰り返す彼に、「美味しい」と言うのだと説明する。
(それにつけても、梅干を食べた瞬間のセアンの顔は見ものだった!)
2005年の12月はそのようにして始まったのだ。