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王弟は愛情を忘れない

Selene(セレーネ)…」


メヌリス王国の幼い第二王子アルノーがその日初めて出会った令嬢は、伝承に聞く月の女神のようだった。

思わず名を呟いてしまう程に。


「両殿下におかれましては、初めてお目もじいたします。セレネ・ムーンライトと申します」


神秘的な雰囲気を纏うその銀髪銀瞳(いろ)。そして、見事な口上。


女神と同じ名を持つ彼女の一挙手一投足が、アルノーの目を、気持ちを、惹きつけて止まなかった。


そしてアルノーはセレネに恋をした。



***



ところが、アルノーが十歳の頃、異母兄(ヘンリー)とセレネの婚約が決まった。


しかしヘンリーは大人達(まわり)に勝手に決められたこの婚約に反発し、セレネを蔑ろにしている。


(そんなに嫌なら、僕と代わってくれたらいいのに…)


そんな不満をヘンリーに対して(いだ)いていたが、ヘンリーの余りにもなセレネへの態度に、アルノーはとうとう父王に婚約者の交代を願った。


だが父王には、後ろ盾の弱い王太子(ヘンリー)にはムーンライト公爵家の後見が必要で、ヘンリーとセレネの婚約を覆すことは認めない、と言われてしまった。


その内にヘンリーは何処ぞの男爵令嬢を見初め、常に側に置き、益々セレネを冷遇するようになっていく。


それでも二人の婚約解消は認められず、アルノーは兄とセレネの婚姻を、兄の即位を、兄と愛妾の放蕩を、暗澹(あんたん)たる思いで見続けることになる。



*****



「義姉上、執務も大事ですが、根の詰めすぎは良くありません。少し、休憩しませんか?」


セレネが王妃になって五年。


ヘンリーは国政を顧みず、今ではセレネが全てを担っていた。


ヘンリーの不貞と愚かさは他国にも知れ渡り、今やヘンリーは愚王と評判になり…


国政を担い、民に心を配り、国を支えるセレネは“銀月妃(シルヴァン)”と称えられている。


…私生活は愚王(ヘンリー)のせいで不便を強いられているようだが…


王宮に仕える使用人たちが、官吏たちが、セレネの暮らしと立場を精一杯守っている。


「…あら、アルノー?いつ来たの?気付かなかったわ」


書類から顔を上げ、セレネが答える。


「ちゃんとノックはしましたよ。義姉上は執務に集中していたようなので、暫く待っていたのですが…駄目ですよ、休憩を取らないと。執務の効率も落ちます」


「…そうね、解ったわ。ありがとう、アルノー」


セレネは執務机を離れ、ソファ席へと移動する。

セレネが席に着くと、女官たちが紅茶と茶菓子を供する。


「今日の茶菓子は料理長に頼んで、クグロフを焼いてもらいました。義姉上はドライフルーツの入ったクグロフがお好きでしたよね?」


「まぁ!?どうして知っているの?陛下も、両親でさえも、知らないのに…」


「私はいつも貴女を見つめていましたから…」


ポツリと呟かれた言葉は、セレネには届かなかったらしい。


「?」


「…そんな事より!お茶が冷めてしまう前にいただきましょう!」


首を傾げるセレネに、アルノーは幾分慌てながら紅茶と茶菓子を勧める。


「はい。いただきます」


セレネがクグロフを一口大に取り、その小さな口へ運ぶ。


「…ふふっ、美味しい」


満面の笑みでクグロフを食べるセレネの様子に、アルノーもまた、ほっと安堵の笑みを零す。


目を離すと直ぐ執務漬けになるセレネに休憩を促し、共に過ごすのは義弟(アルノー)の特権だ。


アルノーはこの一時(ひととき)がとても大切で、とても幸せだった。




…しかし、間もなくしてその大切な一時(ひととき)は、永遠に失われることになる。



***



「…義姉上が、亡くなった…?」


その知らせは突然齎された。


アルノーは直ぐ様自室を飛び出し、セレネの私室(へや)へと駆け込む。


使用人たちによってベッドに寝かされたセレネの遺体は、まるでただ眠っているかのようだった。


「義姉上…義姉上…セレネ!!」


アルノーが何度呼びかけても、その銀瞳(ひとみ)を再び見ることは叶わなかった。


「…どうして、こんなことに…」


セレネを失い、茫然自失のアルノーが呟く。


「…侍医の見立てでは、妃殿下には外傷も無く、毒物反応も無いとのこと。…恐らく、過労ではないか、と…」


アルノーの呟きに答えたのは宰相だった。


「過労…?」


「…妃殿下は…っ、きっと、我々が思っている以上に、無理をされていたのですね…」


宰相の言葉も詰まり、涙に濡れている。


「…我々が、もっと早く…妃殿下のご負担に気付いていれば…っ」


『………っ』


セレネを囲む官吏、使用人たちに悔恨の思いが去来する。


「…そなたたちのせいではない。私とて、セレネの状態に気付けなかったのは同じ。そして此の度の原因は、セレネを酷使した愚兄にある…っ!…だが、だが今は…せめて、セレネの眠りが安らかである様、祈ろう…」


…この日、王宮中の官吏と使用人たちが、セレネの元を訪れてはセレネの安らかな眠りへの祈りを捧げていった。



***



「…(あに)からの返信は、まだ届かぬかっ!?」


アルノーは憤っていた。


「…妃殿下が亡くなられたことを伝えに参ったのですが…取り次いでいただけず…申し訳ありません…」


使いに走った従者が、項垂れながら報告する。


「…国王の許可が無ければ、国葬は執り行えない…」


アルノーもセレネも王族であるが故に、愛する人の死さえも外交の口実(ネタ)にせねばならぬことに、心苦しさを感じるが…


(セレネの功績を、セレネの献身を、せめて国葬として(あに)に認めさせたかったのに…)


「死しても尚、セレネを冷遇するか…っ」


アルノーは最早、愚兄(ヘンリー)には怒りしか感じない。




…結局、その後も使いが(ヘンリー)に取り次がれることは無く、王の許可を得られなかったセレネの葬儀は、準国葬として執り行われた。


王宮の官吏や使用人、国民たちだけでなく、友好国の王族や使者も参列し、大勢の人がセレネを見送った。


きっとセレネは、この先も人々の心の中で生き続けることだろう。


*


そしてセレネの葬儀が終わり…


アルノーは自室で一人、セレネへ想いを馳せていた。


(貴女と私は、たった三歳しか違わないのに…)


たかが三年、されど三年。


しかしその三年でセレネはどんどん先に行ってしまった。


学びも、婚約も、婚姻も、そして人生までも。


…アルノーが気持ちを打ち明けられぬままに。




アルノーは窓を開け、冷たい冬の夜空を見上げる。


夜空(そこ)に浮かぶは白銀(しろがね)の月。


(貴女(セレネ)(そこ)に居るのか…?)


本当は淋しがりなのに…たった一人で逝ってしまった、大切な女性(ひと)


アルノーの頬を涙が伝う。


王族たる者、人前で涙は流せない。


だが…


(今だけ…今だけは、貴女(セレネ)のために泣かせてくれ…)


その夜、アルノーは一人静かに泣き続けた。



***



セレネが失われ、国政が滞り始めた。


今はアルノーがセレネの代わりを担っているが、王と王弟では、権限が違い過ぎる。


皆で話し合い、(ヘンリー)に国政を担ってもらうことを決めた。




宰相が(ヘンリー)を引っ張り出してきたが…やはり愚王は愚王だった。


愚王(ヘンリー)は国外のことはおろか、国内のことさえ知らない。


民心は離れ、国は傾き始めた。




そしてセレネの父、ムーンライト公爵が出張ってくる。


公爵は国政を牛耳り、好き勝手に国内外を掻き乱した。


(公爵家はセレネを王家に売り、セレネに見向きもしなかったのに…公爵家(あいつら)は死しても尚、セレネを利用するか…っ!)


愚王(ヘンリー)にも、公爵にも、感じるのは怒りだけ。


…アルノーは、報復(クーデター)を決意した。



***



翌日の執務室−アルノーと宰相はセレネが遺した執務室(へや)で執務を続けている−で


「…宰相、私は愚王(あに)を廃し、公爵を討つことを決意した。協力してくれるか?」


アルノーは宰相にクーデターを打ち明けた。


「妃殿下と共に国を支えておられた王弟殿下(あなた)が立ち上がるなら、私に否やはありませんよ。…お供します。官吏達(みな)も同じだと思いますよ」


「!!…感謝する」


殿下(あなた)がどれほど深く妃殿下を想い、支えてこられたか、皆が知っております。妃殿下が守ってきた国を、取り戻しましょう」


「!?…なっ?…だっ!?」


「フフフ」


(気付かれていたのか!?)


焦るアルノーを他所に、不敵な笑みを浮かべる宰相に、アルノーはちょっとイラッとした。


(隠していたつもりだったのだが…)


アルノーは自身がまだまだ未熟だったと知った。




「私は公爵に辞めさせられた官吏たちと連絡を取ります。殿下は友好国の方々に、メヌリス王国を取り戻すため挙兵するが、他国(そちら)には攻め入らない、という旨を記した密書をお送りください」


「わかった」


直ぐ様、宰相は官吏たちと連絡を取り、国内貴族の説得に当たり、アルノーは宰相に教えられた内容の密書を友好国へ送った。


すると、ヘンリーの悪評が味方したのか


“もっと早く立ち上がれば良かったのに。協力は惜しまない。寧ろ、存分にやれ”


と、各国から背中を押されまくった。


「“存分にやれ”、か。…ハハッ、だが、これで諸国への憂いは無くなった。…そうだな、遠慮なく行かせてもらおう」



***



ドカドカドカ…!


バタァァァァン!!


愚王(ヘンリー)愛妾(コリンナ)!お前たちを捕縛する!!」


「!?キャァァァァッ!」


アルノーは王宮の騎士たち−彼らはセレネを慕い、セレネに忠誠を誓っている。愚王に従う義理は無い−を引き連れ、愚兄(ヘンリー)の私室へ乗り込んだ。


突然の乱入者たちに、ヘンリーにしなだれかかっていたコリンナが驚き、悲鳴を上げる。


「な、何だ、お前たちは!?ぶっ、無礼だぞ!此処を何処だと思っている!?」


「セレネが愛した国の、王宮ですよ」


「ハッ、何を言う。この国は私の…痛っ!この手を離せ!」


騎士たちは容赦なくヘンリーとコリンナを後ろ手に縛り上げる。


「こ、こんな事をして、ただで済むと…」


「ただで済まないのはお前だ、ヘンリー。セレネを蔑ろにし、使い潰し、死なせた上に、ムーンライト公爵の専横の隙を作った、お前の罪は重い」


スゥっ…とアルノーの目が細められる。


「…ヒッ」


ヘンリーは剣呑な光を帯びた(アルノー)の、その目に怯えた。


「お前もだ、コリンナ。たかが男爵令嬢でありながら王に取り入り、国庫を圧迫した罪、許し難い」


…ヒュッ


コリンナは喉を鳴らし、カタカタと震え始めた。

男爵令嬢が王族に睨まれたのだ。アルノーの言う通り、彼女こそ、ただでは済まない。


「わ、私は何も…ただ、ヘンリー様のお側、に居たかった、だけで…」


「そ、そうだ!私は何もしていない!」


コリンナの言い訳に、ヘンリーが食い気味で叫ぶ。


「…そうだな。お前は、“何もしなかった”」


だがそれは、アルノーを益々不機嫌にさせるだけ。


「それに、セレネは勝手に死んだんだ!私は悪くない!」


『!!』


その瞬間


…ザワッ


アルノーから、この場に居る全ての騎士たちから、殺気が立ち昇った。


「…何、だと…?」


チャキッ


ヘンリーの首元にアルノーの剣が突き付けられる。


「「ヒィィッ!?」」


「ヘンリー、(おまえ)が何もしなかったために…コリンナ、お前が国庫を食い潰したために…セレネは政務に追われ身を犠牲にした。ヘンリー、お前が王でなかったら、コリンナ、お前が(ヘンリー)に取り入らなかったら、このような事態にはなっていなかっただろう。…お前たちに非が無いとは、言わせない」


「「そ、そんな…」」


「二人を地下牢に放り込め!」


アルノーは剣を引き、騎士たちに命じた。


「い、嫌だ…!謝るから、赦してくれ…」


*


一方、ムーンライト公爵邸。


「ムーンライト公爵、貴方を捕縛させていただきます」


宰相−此方が連れているのは国内貴族(きょうりょくしゃ)たちの騎士−も時を同じくして、アルノーと異口同音に宣言した。


「な、何だと?…誰の許しを得て…」


「王弟殿下ですが?」


「なぜ、殿下が…」


「なぜも何も、貴方は妃殿下が亡くなられてから何をなさいましたか?縁故採用、横領、強奪…これらは立派な犯罪ですよ?」


「私は王妃(セレネ)の父親だ!娘の跡を引き継いで、何が悪い!?」


「…何も引き継いでいないではないですか。妃殿下の治世を滅茶苦茶にし、国を乱しただけでしょう?それに、貴方は妃殿下がご存命の頃は、妃殿下に見向きもしなかった」


「………っ」


「それなのに、妃殿下が亡くなられた途端に簒奪ですか?良いご身分ですね。…まぁ、そのご身分も、貴方にはもうありませんが」


「な、何っ!?」


「ムーンライト公爵家は身分剥奪の上、お家の取り潰しが決定しております。妃殿下のご生家といえど、貴方がしたことは到底許せることではない。…皆さん、元公爵と親族を牢へ放り込んでください」


「…す、すまなかった。もう、しないから…ゆ、赦してくれ…」






「「今更謝られても、セレネ−妃殿下−は戻ってこない」」




こうして、アルノーのクーデターは成功した。


ムーンライト公爵は国家転覆罪が適用され、公爵始め三親等までの親族が処刑された。


残りの親族は奴隷落ち。


ムーンライト派閥の貴族たちは二階級降格され、権力(ちから)を失った。

爵位までもを失い、平民になったものも多いという。


元王(ヘンリー)は断種の上、コリンナと共に奴隷落ち。

まだ幼い二人の息子、エドガーはアルノーが養子として引き取った。



***



報復という名の自己満足を終えたアルノーに訪れたのは、空虚な日々だった。


無理矢理忘れていた悲しみを思い出し、セレネを喪った心が痛む。


余りの辛さに、セレネを忘れてしまえと理性(こころ)が叫ぶ。

しかし…


消えないのだ。


セレネの微笑みが


セレネへの想いが


(セレネ、私は貴女を忘れることは出来そうにないよ…)


アルノーの心は、セレネ以外の伴侶を求めていない。

そしてこの先、セレネ以上に愛する人が現れるとも思えなかった。


(…ならば私は、セレネが慈しんだこの国を愛そう)


アルノーはそっと心を決めた。



***



その後、アルノーは国民の支持を受け、王位に就いた。


「…セレネ妃を失ってから…愚王に頼り、逆賊に専横を許した事、申し訳なく思う。…しかし私たちは皆の協力を得て、愚王を廃し、逆賊を討ち、セレネ妃が愛したこの国を取り戻すことが出来た!そして今をもって、この国の名をシルヴァン王国と改める!セレネ妃の功績と献身を忘れずに、この(シルヴァン)と共に、この先の未来を歩んで欲しい!」


わぁぁぁぁっ!!


王宮前の広場で、新王(アルノー)の演説を聞いた国民たちから歓声が上がる。


現在新王に仕える者たちは、宰相を始め、官吏・使用人に至るまで、セレネの治世を間近で見てきた者たちだ。


国民の期待も信頼も高い。




アルノーはセレネの治世に倣って善政を敷き、二十数年後、義息子のエドガーに王位を譲った。



***



アルノーと、宰相を始めとした王宮の者たちに、厳しくも愛情を持って育てられたエドガーもまた、善政を敷き、賢君と名高い王になった。


彼らの思想は後世にしっかりと伝えられ、シルヴァン王国は穏やかに歴史を刻んでいくことになる。






*****






…晩年のある日、アルノーは夢を見た。


紫髪の少女が自分の隣で微笑んでいる、とても幸せな夢だった。


その夢に(いざな)われ、アルノーは静かにセレネの元へと旅立っていった。






fin.

 

読んでいだだきありがとうございました。

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