王妃は愛情を求めない
セレネ・ムーンライトは才媛である。
そんな噂が社交界に流れ始めたのはいつ頃だったか。
確かにセレネは幼いながらも所作は洗練され、知的な雰囲気を纏っている。
実際、大人の話に合わせることが出来る程の学を有していた。
…そんなセレネに国王が目を付けた。
伯爵家出身の側妃腹で、立場の弱い王太子ヘンリーの後ろ盾にムーンライト公爵家を求め、ヘンリーとセレネを婚約させたのだ。
完全なる政略結婚である。
しかし、この婚約にヘンリーは反発した。
大人達に勝手に決められた婚約、自身の立場の弱さ、そして才媛と名高い婚約者へのコンプレックス。
それはヘンリーのセレネへの冷遇へと繋がり、とある夜会でヘンリーが見初めた男爵令嬢、コリンナへの執着に繋がった。
王命故、お互い婚約の解消が出来ない。
セレネは早々に愛情を諦めたが、歪な三角関係は続き、そのままヘンリーとセレネは婚姻した。
婚姻後もヘンリーはコリンナを側に置き続けたが、婚姻から数年後、国王が崩御し、ヘンリーが即位した。
するとヘンリーは直ぐ様、コリンナを愛妾にした。
コリンナは妃教育に付いてこれず、側妃にすらなれなかったからだ。
そして、王の王妃の扱いは益々ぞんざいになった。
その上、あろうことか独断で王妃の予算を愛妾へ宛てがった。
その結果、セレネに与えられる服は、王妃としての仕事着だけ。
普段の装いは、女官用の大量生産品に少し手を加えただけの、王妃が身に付けるには質素すぎる服だった。
…セレネにとってせめてもの幸いだったのは、冷遇しているのが王と愛妾だけだったことだろうか。
使用人たちは精一杯、セレネの生活を守った。
官吏たちは精一杯、セレネの立場を守った。
セレネが民に心を配り、国を支えているのが明らかであったから。
主が率先してセレネを冷遇しているが故に、出来ることはとても限られていたけれど。
その反面、王と愛妾は享楽にのめり込む。
商人を呼びつけ贅沢品を買い漁り、料理は贅を凝らしたものしか食さない。(無駄な)夜会を頻繁に開いては、国庫を圧迫する。
二人の放蕩ぶりに、セレネはとうとう苦言を呈した。
「陛下、散財はお止めください。資金も無限ではありません」
「フン、金が無くなれば、民に出させれば良い。直ちに税を上げろ」
「何を仰るのですか!そんな事をしたら、民は疲弊します。民は貴方の財布ではないのですよ!?」
「奴らが税を払う以外に何の役に立つ?身分も肩書も持たぬ下賤の者たちが」
「何てことを!民が農業漁業を営み食料を確保し、土地を整える。そして商業を営み流通を生み出す。王侯貴族の生活は、民に支えられているのです!そんな民の生活を守るのが、王侯貴族の務めでしょう!?その長たる王が民を顧みず苦労を強いるなど、あってはならぬこと!陛下、国政に携わってくださいませ!」
「喧しい!王妃にしてやったのだから、お前は文句を言わずにただ働いていれば良いのだ!私たちに関わるな!」
…この言い争いの後、ヘンリーはコリンナと共に益々王宮に引きこもった。
時間と金を享楽にのみ費やし、政を放棄し、お飾り王に成り果てた。
その皺寄せは全て、セレネへ向いた。
公爵家は王に見向きもされない娘を助けはしない。
「妃殿下、西部穀倉地域の災害復興について…」
「王都の警備騎士を一部派遣して、被害状況の確認を。その後は西部の領主たちと復興計画の予定を立てましょう」
「妃殿下、陛下がまた夜会の開催を…」
「出来るだけ予算と規模を調整して。諸侯には当日ご挨拶をします」
「妃殿下、北部の視察について…」
「教会と孤児院を中心に視察します。寄付の品目をリストに纏めておいて」
国政の全てがセレネの肩に伸し掛かる。
セレネの公務は多忙を極めた。
***
「妃殿下、本日は南の海洋国の使者が謁見に訪れます。ご準備を」
私室の外から宰相が声をかける。
「ええ。此方の準備も終わります」
マリンブルーのドレスを纏ったセレネが答える。
*
謁見の間。
セティに腰掛けたセレネは、海洋国の使者の挨拶を受けていた。
「セレネ妃殿下、此の度の我が国との交易、恐悦至極に存じます。つきましては、我が国の陛下から友好の証に、と我が国で採れた“魚の目”を預かって参りました」
「此方こそ、貴国との交易、喜ばしく思います。それに、まぁ!美しい宝石…!」
「この純白の輝きは、妃殿下の白銀の御髪と御瞳に合いましょう。首飾りと耳飾りに仕立てましたので、是非御身に飾ってくださいませ」
「とても素敵な贈り物をありがとう。貴国の国王陛下にも感謝をお伝えくださいませ。そして我が国からの御礼として、“月の石”で設えた装飾品を貴方に託します。国王陛下ご夫妻にお渡しください」
「はい。必ずや」
「…今宵は貴方がたの歓迎の宴を予定しています。是非ご参加くださいませね」
*
王宮の広間。
海洋国の使者をはじめ、メヌリス王国を訪れた諸国の賓客や国内貴族たちを招いた歓迎の夜会が開かれた。
穀倉地域の傷跡は残っているものの、セレネは精一杯の饗しをした。
此方のダメージは悟らせない。
…カツン
招待客たちが歓談に花を咲かせる中、ナイトブルーのドレスに“魚の目”を身に付けたセレネが姿を現す。
…ほぅ…
同じ名の月の女神を彷彿させるその神秘的な姿に、広間に居る者たちは目を奪われた。
「セレネ妃殿下、ご機嫌麗しゅう。今宵はご招待ありがとうございます。…やはり“魚の目”の輝きは、貴女に良く似合う」
「ありがとう。今宵は楽しんでくださいね」
「セレネ妃、お久しゅうございます」
「まぁ、お久しぶり。…貴方が勧めてくれたオリエンタルは私のお気に入りよ」
「セレネ妃のお気に召したのならば、この上ない誉れでございます」
「伯爵、貴方の領の布産業は順調ね。このドレス、織りも染めも素晴らしいわ」
「お褒めに預かり光栄です」
セレネは招待客との歓談を楽しむ。
恥ずかしながら、ヘンリーの不貞と愚かさは他国にも広まっており、今更、王の様子を聞く者などいない。
“居ない者”として扱われているヘンリーは、最早“お飾り”ですらもなかった。
*
「妃殿下、お疲れ様でした」
夜会終了後、自室に戻ったセレネを迎えたのは、女官の労いの言葉だった。
国政、外交、社交…セレネが全てを担うようになって、もう何年経つだろうか。
“官吏”では王族の領域には手が出せない。
“使用人”では政務に携わることさえ出来ない。
王宮でセレネに仕える者たちは、もどかしい思いを抱え続けている。
(王が政務を担ってくれたら…)
皆の願いも、実情も、この一言に尽きた。
セレネに労いの声をかけた女官もまた、王にやるせない思いを感じながら、セレネのために心を込めてお茶を淹れる。
カチャリ
香り高いハーブティーがセレネの前に供される。
「…いい香り。レモンバームね」
「レモンバームにはリラックス効果があるそうです。妃殿下のお心が、少しでも安らかであれば…と」
「…嬉しいわ。ありがとう」
「…妃殿下、ご無理をしすぎないよう…」
「…ええ、そうね…」
これがセレネと女官の最後の会話となった。
翌朝、この女官は床に倒れ伏したセレネを発見する。
「おはようございま…!?ひ、妃殿下っ!?妃殿下っ!!」
女官は慌てふためき、人を呼ぶが…長年の無理が祟ったのだろうか?セレネの体は、とうに冷たくなっていた。
*
「セレネ妃殿下が、亡くなられた…?」
王宮内が大騒ぎとなっている中、海洋国の使者はその訃報を知った。
同じ場所に滞在している以上、これだけの大事を隠し通すのは難しいだろう。
ましてや、メヌリス王国はセレネ有りきの国だった。
要のセレネが失われた今、メヌリス王国は揺らいでいるに違いない。
「妃殿下から預かった“月の石”が、形見になってしまったな…」
使者は淋しそうにポツリと呟くと、この事態を自国に伝えるため帰路についた。
***
セレネの葬儀は王の許可が無かったため、準国葬として執り行われた。
臣下も使用人も国民も皆、セレネの死を悲しみ葬儀に参列した。
…愛娘を失った悲しみに泣き濡れているという公爵夫妻の背後には、セレネが死しても尚、利用しようという薄汚い思惑が見え隠れしていたが。
***
セレネが失われたことで、国政が滞り始めた。
今のところ、王弟がセレネの代わりを担っているが、王弟では王と王妃の権限には及ばない。
出来ることに限りがある。
…こうなった以上、王に国政を担ってもらわなければ。
宰相が王の元を訪れた。
「陛下、政務をお願いします」
「政務〜?そんなもの、いつも通りセレネにやらせておけば良いだろう?コリンナとの時間を邪魔するな!」
「その妃殿下が居られないから、陛下にお願いしているのですが」
「はぁ?居ない?…まさかあいつ、逃げたのか?」
「…何を言っておられるのです?妃殿下は、一月も前にお亡くなりになったではないですか」
「…何、だと…?」
「妃殿下が亡くなられた時に、此方へお知らせに参った者がいる筈ですが…お聞きになっていないのですか?王弟殿下の主導で葬儀も執り行われ、私共臣下・使用人一同、そして国民も皆参列いたしました。…陛下と愛妾殿が参列なさらなかったのは、てっきり妃殿下を厭うてのことかと…」
「…いや、私は何も知らな…」
「半旗も掲げられ、皆喪に服しております。…このような状況の中、本当に何もお気付きではなかったのですか?」
「………」
驚き、呆けた顔で黙り込んだ王を見た宰相には、王がセレネを死なせるつもりはなかったことだけは解った。
愛人を囲い、妃を冷遇し、その妃に政務を丸投げする愚王であるのは確かだが。
しかし今は、そんな愚王に頼らねばならぬ。
宰相は言いようの無い思いを飲み込んだ。
***
やはりというか、何というか、王は何の役にも立たなかった。
遊び暮らしていたヘンリーは、国外のことも、国内のことさえも知らない。
臣下たちは失望し、民心は益々離れていった。
…そんな折、ムーンライト公爵が出張ってきた。
冷遇されているセレネを見捨てておきながら、公爵はセレネの死を盾に、王家の外戚を理由に、国政を牛耳り始めたのだ。
縁故採用を繰り返し、優秀な官吏を次々と切り捨てていく。
税金を釣り上げ、私服を肥やす。
法外な関税を掛け、交易国の特産品を巻き上げる。
公爵という身分をかさに着ているため、尚更質が悪い。
…そしていよいよ公爵の独裁へと移行し始めた頃、この国を奪わせまい、と一人の男が立ち上がった。




