14.アクシデント
翌日、学校が終わるといつもの様に、楓との待ち合わせの場所へと向かった。駐輪場から少しだけ駆け足になりながら駅前から量販店の立ち並ぶ区域への道を進んでいく。行き交う人に時折ぶつかりそうにもなりながら、その間をすり抜けていく。本屋の近くのビルへと辿りついた頃には、ちょっと急いできてしまったせいか僅かに息が切れて、胸が上下に小さく弾んでしまっていた。いつも先に来ているから、今回も楓はすでに来ているかと周囲を見渡してみたけれど、どうやら今日はまだ来ていないようで、彼女の姿は近くには見えなかった。
毎回、待ち遠しそうにそわそわとしている楓の姿が可愛らしく、今日も見れるかと少し楽しみにしていたけれど、こう言う日もあるだろうと仕方ないと諦めることにした。
腕時計を確認してみると、時計の針は17時の10分ほど手前で、待ち合わせまでにもうちょっと時間があるのを確認して周囲へと視線を巡らせた。
「今のうちにトイレ行っておこうかな。」
辺りを見渡してみると、今立っているところから本屋へと向かい、一つ建物を通り過ぎた道の先にコンビニがあるのを見つけた。雑居ビルの一階に間借りしているようなコンビニでそれなりに大きく、もしかしたらトイレがあるかもしれないと考えて足を向ける。建物へと近づいてみると、透明な硝子戸の自動ドアがあって、近づいて手を伸ばそうとするとと、向こう側から人が開閉ボタンへと手を伸ばしているのが見えて、思わず体を引いた。
すぐに自動ドアは左右に開いて、店のから一人の男性が出ていった。
入れ違いに中へと入りながら、ふと、今すれ違った男性が、どこかで見たことがある顔のようながして、一瞬その姿を目で追った。
コンビニの入り口から街路へと、肩を揺らして歩いていく男性のその後姿にはあまり見覚えがなくって、気のせいだったかなと店の中へと視線を戻す。店内へと入って、とりあえずと棚の間を歩きながらトイレを探していると、今見た男性をどこで見たのか、不意に思い出した。
彼は確か、ビルの前で楓の写真を撮っていた男性のはずだった。
「ああ、カメラマンの人か……。」
奇妙な偶然だと思いながらも、あちらは自分の顔など知りもしないだろうと、すぐに興味をなくして店の中へと足を進めていく。きょろきょろと周囲を見渡して、トイレがないかと確認していると、店の一番奥まった所の壁に、トイレを示す男女のピクトグラムが張られれているのが見えた。
店の奥の冷凍品を並べた棚の横から、少しだけ更に奥へと続いていて、右へ向かうようにと矢印が描かれている。丁度、近くで品出しをしていた店員にトイレを借りることを告げると、愛想よく「どうぞ」と返事をされた。
通路へと入って、矢印の通りに右へと向かうと、すぐに男女兼用のトイレが見えてきて、その手前の脇には手洗い場も備え付けられていた。
その手洗い場に、女性が一人、顔を俯かせていた。
洗面台の端へと手を当てて、体を丸めながら今にも顔を台の中へと突っ込んでいきそうな様子だった。
最初は気分でも悪いのかと思って、その後ろを通り過ぎようと進んでいくと、不意にその女性から嘔吐くような声が聞こえて、思わず顔を向ける。
何度か嗚咽を繰り返していた女性が俯かせていた頭を上げる。
少しばかり興味本位で眺めていると、彼女の肩越しに覗く洗面台の鏡へとその顔が映った。
「えっ……。」
思わず小さく声を上げてしまった。
その女性はボロボロと涙を流し、目の周りはパンダのようにマスカラをにじませていた。瞼からは頬に向けて真っ黒なマスカラの垂れた線が描かれていて、唇は口紅が擦れてのか、まるで口が裂けたかのように赤い物が酷く滲んで広がっていたいた。
あまりの光景に目を疑ってしまい、思わず鏡ごしに映る彼女の顔を凝視してしまっていた。
じっと顔を見つめているうち、ふとその顔に見覚えがあるような気がして、思わず眼をこすった。
「か、楓……?」
半信半疑ながら彼女の名前を呼んだ。
躊躇いながら掛けた声に気が付かなかったのか、彼女はもう一度洗面台へと突っ伏して、今度は大きな一際大きな嗚咽を漏らした。
「あう……。」
と、鈍い声を出して、口の中から粘っこい唾液を吐きだしたかと思うと、彼女は唇から洗面台へと続く糸を引かせながら、ふいに背中上下させて二度目の嗚咽を鳴らした。辛そうに一つ息を飲みこむと楓は震える手を水道の蛇口へと伸ばす。
音を立てて水が流れ始めると、それを両手で掬って口の中へと注いでは何度も吐き出して、口の中を濯ぎ始めていた。
「楓っ……。」
辛そうな彼女の様子に、堪らなくなって、今度は声を張り上げながら再び名前を呼んだ。
「え……?」
ようやくそこで声に気が付いてくれたのか、その瞬間、彼女がびくっと動きを止めたのが分かった。
「楓……、どうしたの?大丈夫?」
心配になって、更に一歩近づいてみると、目の前で顔を伏せていた楓がゆっくりと顔を上げる。
今にも倒れてしまいそうな不安定な足取りで、のろのろと彼女は体を振り返らせた。
「はる……遥香ちゃん……?」
目が合うと楓は酷く困惑したような、余りにも辛そうな、何とも言えない表情を見せる。
「どうして……。」
私がここにいるのが信じられないように彼女は声を漏らした。
戸惑いながらも、どうしたのか尋ねたくて彼女へと口を開く。
「楓……だよね?どうしたの?こんな……。」
「遥香ちゃん……。」
弱々しく私の名前を呼んで、彼女は今にも泣きだしそうにほどに顔を歪めると、一歩二歩とよろけながらこちらへ近づいてくる。
「大丈夫?」
その不安定な足の動きに心配になって歩み寄ると、急に楓が腕を伸ばしてきて、支えようと出した両腕を、ひしりと掴まれてしまう。急に腕を掴まれたことに、少し驚いてしまって僅かに身を強張らせる。その動きが止まった私の体へと、くっと腕を引っ張りながら楓はゆらりと体を寄せてきた。
彼女が近寄ってくるのと、私が引っ張られていくのとで、二人の距離は一気に狭まっていく。




