妹と私
妹が産まれてから私は両親から気にも留めて貰えない人間になった。
それは、妹の身体が弱かったからだ。
繰り返す入院。そして、手術。
妹は心臓に問題を抱えていた。
哀しいけれども、常に姉の私は我慢せざるを得なかった。
妹は2歳年下。
周囲に人達の庇護欲を掻き立てる可憐な容姿。
そして、身体が弱い。
完璧なまでに周囲の眼は妹に注がれた。
妹が5歳の時、私は7歳だった。
急に胸に手を当てて苦しみ出した妹を母は近くの診療所へ連れて行った。
その診療所から病院を紹介された。
妹の病気が「特発性心膜心筋炎」だったからだ。
小児科で心臓の専門医が居る病院を紹介してくれたのだ。
それからは、妹の病気と闘う両親を私は見て育った。
妹が入院したりすると、私は誰も世話をして貰えない子どもになった。
私の一番古い記憶の中の母は「貴女はお姉ちゃんでしょう。もう7歳なのだから、一人でお留守番出来るわよね。」と言った時だ。
その時の母の顔は、失望と苛立ちが混ざった顔だった。
妹は常に両親の愛を、こよなく受けることが出来た。
私は……哀しいくらいに受けられなかった。
全ての人から愛されるのが当たり前のような妹。
私は羨ましかった。
羨ましかったけれども、それでも妹だ。
可愛くないはずはなかった。
しかも病気で辛そうな妹を見ていると、私は⦅妹と変わってやりたい。⦆と思ったものだった。
可哀想で堪らなくなるのだ。
細くて小さな手に点滴の針が刺さっている姿を見ると、堪らなくなったのだ。
妹の身体の状態が悪い時の父の言葉が繰り返し私の脳裏を過ぎる。
「お前は健康なんだから、それだけで幸せなんだぞ。」
―幸せってなんだろう―と今の私は思う。
あの幼かった頃の母の私に向ける眼差しを、言葉を私は忘れられない。
「お姉ちゃんでしょう。我慢しなさい。」そう言って私に向けた母の眼差し。
父の私に向ける眼差しと、言葉も私は忘れられない。
「お前は健康なんだから、風邪くらい大したことない。梓が得られない幸せを得ているのに!」そう言った父の厳しい眼差しを私は忘れられない。
私が熱を出した時に、妹の状態が悪かったら最悪だった。
看病などして貰えない。
【一人で寝て治す】それが私。
酷くなったら、母から「もう! どうして風邪なんかひくのよ! 移さないで頂戴!」と叱られる。
何が原因だったのか未だに定かではないが、母が酷く苛立つと、その苛立ちを私にぶつけた。
物干し台に紐で縛り付けられる、外に出されて家に入れて貰えない、押し入れに入れられて出して貰えない、そして、私がそれら以上に辛い経験も何度もあった。
母が私の腕を取り、火を点けて私の目の前で母はフッと息を吹いて火を消したマッチを私の手に近づけた。
怖かった。
その母の行為を私は長らく覚えていなかった。
ただ、マッチが大人になっても怖くて触れることさえ出来なかった。
私の一番古い記憶の中の母と父、私に対して厳しかった二人の眼差しを、言葉を、行為を、私は生涯忘れられない。
その後も、色々あった。
何が原因か今も分からない。
だが、私は母に物干し台に括りつけられたり、押し入れに入れられたり、家から出されたり……。
その都度に「お母ちゃん、ごめんなさい。」と泣きながら謝ったことを覚えている。
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妹・梓、そして姉の私の名は、杏。
同じ父と母の元に生まれたのに、愛情の掛けられ方は大きな差があった。
同じ松野の家に生まれたのに、私は親の愛を感じたこと無く大人になった。
そして、大人になった今も両親の愛は、こよなく妹に注がれている。
父に、母に私は愛されたかった。
ただ、ひたすらに父の愛を、母の愛を、私は一度でいい。
一度でいいから受けたかった。




