059 敵から戦友へ
オアイーターと交戦した場所を離れて数十分。疲弊した身体に鞭を打ち、歩き続けた一行はついに海へとたどり着いた。
岩壁に覆われた視界が一気に開け、洪波洋々と広がる海が眼前に現れる。
「あー、やっと抜けたぁー。よーうやくだ!」
開放感を目一杯に表現するライアスの後ろから、息を切らせたイリューアがやって来る。
「はぁ、はぁ……抜けた。まさか、本当に谷を抜けられるとは」
兄妹はおもむろに憑依を解き、フライアの鞄から僅かばかりの食料を取り出した。
フライアがその一部をイリューアに差し出す。
「はい」
すると、イリューアは戸惑いの表情でその食料とフライアを交互に見る。
「え、ああ。これは?」
「干し肉。味は保障しないけど、飢えを凌げる非常食だ」
既に渡されていた肉を嚙みちぎりながらライアスが説明を付けた。
イリューアはキョトンとしながらも受け取ろうと手を伸ばしたが、少し逡巡してからその手を戻し、手の平を見せて拒否の意思を示した。
「ありがとう。でも、もういいんです」
「え?」
フライアが困惑したように顔を上げる。ライアスも頑固なイリューアを見やった。
「なんだよ、どうしたんだよ。ここまで来たのに」
「それは、もう居場所がないからです。ここからではエラセドに戻れない」
その言葉を聞いてライアスがぽりぽりと頭を掻く。
「……まぁ、そうだな」
山脈の下に広がる谷を抜けてきたが、そこからはクルサの灯台が見える。一方でエラセド側の様子は掴めない。ともすればこの近くにエラセドの奇襲作戦に使った船着き場があるはずだ。
「私はエラセドの人間。つい今朝まで戦っていた相手側の街になど入れるわけがありません」
確かにイリューアの言い分はもっともだった。クルサに向かえば彼女は捕らわれてしまうだろう。
そもそも彼女は「捕虜になるくらいなら自ら命を絶て」と教えられるような都の人間だ。このままおめおめと敵の領地に入ることなど考えられないはずだ。
「なら、なんで一緒に戦ってくれたんだ? 生きたいと思ったんじゃないのか?」
ライアスが問うと、イリューアは目の前の海に視線を落とした。
さざ波の音が静かに鳴り響いている。
「……それはありました。でも、これが現実です。受け入れられる場所もないのに、もしも生きられたらって淡い希望を描いてしまったんです。本当のことを言って、騎士として、さっきの戦いであなた方の囮となって命を散らすことが本望でした」
波音の中、悄然と語るイリューアを兄妹が見守る。
「敵同士の関係でしたが、あなた方には感謝しております。どうか、このまま私を置いて街へお戻りください」
そう言うとイリューアは兄妹に身体を向け、深々と頭を下げた。
兄妹は顔を見合わせる。意思を確認しあうように頷きを交わし、ライアスが口を開いた。
「今言ったな? 受け入れられる場所がないって。逆に聞くけど、場所があればお前はまだ『生きたい!』って思ってるんだよな?」
「……え?」
低頭していたイリューアの顔がにわかに上げられる。
その目を見据え、ライアスが言葉を続ける。
「思ってるんだよな? 淡くても、お前はまだ未練が残ってるんだよな?」
「……でも」
「残ってるんだよな?」
毅然としたライアスの口調に、イリューアは僅かに唇を噛んで、そして根負けするように口を開いた。
「う……。は、はい」
肯定の言葉に兄妹は安堵の表情を浮かべた。兄妹で顔を見合わせ、呟きあうように意思をまた確認しあう。
「なら、そうなるようにしないとな」
「うん!」
笑顔で頷くフライアを見て、イリューアは困惑したように声を張り上げる。
「な、なぜ!」
その瞳には戸惑いだけではなく、込み上げる何かが見て取れる。
「なぜ私を受け入れようとするの! クルサにすら入れない私を!」
ライアスは首を傾げた。
「なんでって。それは、命賭けで俺たちを助けてくれたからじゃないか」
「え……?」
なおも困惑するイリューアを見て、ライアスは小さなため息を吐く。
「お前に俺たちがどう映ってるのかはわからないけどな。俺たちだってそこまで薄情じゃねえよ。お前のタンクとしての役目は最高だった。これまで成り行きで無理矢理パーティ組まされたことはあったけど、皆好き勝手動くだけで正直当てにできなかった。お前とは、成り行きで組んだけど本気で盾として任せられる初めての奴だった」
「……ッ!」
その言葉にイリューアは息を呑んだ。兄に同意するようにフライアもこくこくと頷く。
「俺たちはお前の命懸けに救われたよ。なら、こっちだってお前に命懸けになってもおかしくはないだろ?」
その騎士の瞳に困惑と希望の色が入り混じる。ライアスを見やり、絞り出すように声を発した。
「……なら、私をどうするつもりです?」
ライアスが腕を組み、「うーん……」と唸る。それから何かを思いついたようにフライアに人差し指を向けると、妹は苦笑いをして頷いた。
そして、またイリューアに顔を向ける。
「まあ、クルサは突破できそうだよな。そこから……なんだ? 魔法の都の?」
「アルニラム」
兄の言葉をフライアが補足する。
「そう、そこに渡ろう」
「え? ど、どうするのです?」
勝手に話が進むのに対し、イリューアは困惑しながら兄妹を交互に見た。
ライアスが企むように言う。
「フライア、そこの陰で頼む。俺はちょっと離れとくから」
「うん……」
するとフライアはおもむろにイリューアの手を取った。
そのままイリューアを連れて外からは死角となる崖の陰へと入っていく。
「何を? え、え……?」
「…………」
狼狽えるイリューアを尻目に、フライアはニコッと微笑んでみせた。




