394 『ロール』と『ステータス』
シェラタンが誇る革工房『レザー・エリミシェール』の未来がかかった交渉。
兄妹が推薦したマルコス、すなわちアメラモウル商会との話し合いは一定の妥協点を見出し、今後も協力関係を築いていくことで同意した。
一行が工房を出た時には既に日が暮れかけていた。
日が沈めば街道も封鎖される。アウストラリスへと戻らねばならないマルコスのため、一行は再び馬を走らせた。
「すみません。思ったより時間がかかってしまい、あなたがたと話すにはこうして移動しながらするしかなく……」
「いや、しょうがねえことだ。気にしなくていい」
マルコスが乗る馬車は自警団本部の近くに留めている。しかも、今乗っている馬も返さなければならない。兄妹はマルコスの部下と一緒に『保証人』としてシェラタンに留まらなければならなかったが、マルコスとはまだ話をしたい。
快足を飛ばす馬上で、兄妹とマルコスは今後のことを確認し合った。
「工房からだいぶ疑われてたけど……。こんな状況で、アトラザークを食い止められるのか?」
(まだ契約までできてないのに……)
「……そう。元々契約するまでやらなきゃいけなかったんだろ? これからどうするんだ?」
憑依中の妹に補足され、それをライアスが言葉にする。
本来はここで契約を取り、その事実をナシラの新聞社を通じて都中に広める予定だったはずだ。だが、契約まで進められなかった以上、その計画は叶わない。
マルコスは「ええ」と頷いて応じた。
「少し残念なところです。ですが、アトラザークとの間に楔を打ち込むことができたのは大きな成果です。新聞での掲載がならない以上、ナシラの中だけで食い止めることは少し難しくなりましたが、ペンデンクス商会の件が尾を引いているナシラでは、アトラザークもまたそう大っぴらには動けないはずです。それに、工房の皆様に良い条件を選んでいただけるよう時間を設ける方が、かえってよかったかもしれません。すぐに契約を迫るより、我々の誠意を認めていただけそうですから。本部より、必要な人材をここへ集めます」
そう話す彼は、馬を走らせることに集中している。その背中を見つめながら、兄妹は胸が痛むような思いがした。
ナシラの商人の立場を思う。──これが信頼を失う、ということか。
話には聞いていたが、まさか自分たちの故郷であるシェラタンからも敵視されてしまうほど疑いの目が向けられているとは思っていなかった。ベベルと一緒に過ごす中で顔見知りとなった彼らは、普段は温厚な人々だ。職人肌で頑固な人もいるが、話せば分かってくれると思っていた。
それだけに、彼らが敵意むき出しでマルコスを睨みつけた顔になっていたのはショックだった。同じナシラの商人──あの老獪なアトラザーク商会のハバレイとマルコスが同じわけがない。それを信じてもらえないことを歯がゆく感じられる。
彼が言った「残念なところです」という言葉が重く胸に響く。交渉決裂には至らなかったが、自分たちは役割を果たせたといえるのだろうか。
(謝る……?)
考えているうちに次第にいたたまれなくなって、フライアからもそんな言葉が零れる。
それを受け、ライアスは呟くように言った。
「……マルコス。ごめん。悪かった。シェラタンの人たちがナシラの商人をあんなふうに見てたなんて、思わなかった」
慰めになるかすらも分からないが、正直にそう伝える。
すると、前方で馬を駆るマルコスが「ふっ」と笑みを漏らした。
「謝ることないですよ、ライアスさん。それよりも私は、心から感謝しています」
「えっ?」
それはどういうことか、と思ったところでマルコスが続ける。
「先ほどのやり取りが紛れもない、我々の現実なんです。工房の方々がおかしいわけではありません。どんな好待遇でも、警戒されて当然の状況。本来交渉などできるはずもないのです。そんな中で、あなたが仲介してくださったからこそできた交渉でした」
「そうか……」
「それから、あのお方。ベベル様にも感謝しています。本当に、あの優しさに救われました。パニックになり、拒絶反応を示されてしまった工房の皆様に『これからどうするのか』と、未来を示してくださいました。あれがなければ、本当に破談に終わったかもしれませんでしたよ」
「お、おう……」
そう話すと、マルコスからため息と苦笑いが聞こえた。脱力感のある大きな吐息で、心からほっとしていることを伺わせる。
「そうだよなあ。俺たちも何度、あのベベルさんに助けられてるかわからないな。もう頭が上がらないよ」
「ええ。あの時見せてくださった……何と言いますか『母性』というような情愛。あんな状況で晒してこられて、息を呑みましたよ。でも、動揺する中で不思議と勇気が湧きました。交渉の場に感情を持ち込むことは大抵好まれないというのに……託されたことに奮い立つ自分がいました」
「ん……?」
窮地に陥った交渉の場を思い出すマルコスの話が続く。
「私自身、いろいろなことを思い知らされた気がしました。お金での取引、交渉はひとつの手段に過ぎないということ。どれだけ実績を披露しても、大金をもってしても、信頼なしに契約は成り立たない。ベベルさんやライアスさんのように、橋渡しができる人がいなければならないのだと、そう痛感させられました。並行して行っている、神官様たちとの交渉も同じです」
前を向いて馬を走らせるマルコスの表情は分からないが、その声はどこか自嘲気味だ。
「大商会の子に生まれ、私自身少し思い上がっていた節があります。いつかは自分で、なんでもできるのだろうと。厳しい教育と引き換えに、私には安泰が約束されているのだろうと。……でも気付きました。いつだって崩れかねない不安定な足場の上に立っていたのだと」
そう言うと、マルコスはちらりと後ろに視線を寄こした。
「だから、あなたがたのやり方にとても興味が沸くのです。ライアスさん。なんとなくわかったのですが、あなたが大事にしているのは役職や地位ではなく、役割ではないでしょうか?」
「……あ」
ライアスもフライアも、その言葉に核心を突かれた思いがした。
――誰もやりたがらない役になって、誰かが輝けるように立ち回ればいい。
それがタンクであり、そして《リーダー》だ。
かつて、そんなことを考えた自分たちがいた。ふと湧いた思いを浮かべてマルコスの話を聞く。
「アメラモウルはなお、一門としての立場や上下関係を重んじます。だからそれにそぐわないシャルルを追放してしまいました。アウストラリスもきっと脈々と受け継がれた王家の血を重んじていることでしょう。大陸を見回しても、至る所で血縁や歴史、出身地や出生……。様々な理由から、自ずと人の地位が確立されてしまっていることは明らかです。もちろん、それらに与えられた力によって安定がもたらされているわけですが、言葉を代えてしまえば差別ともいえるでしょう。だからこそ人は時に、下剋上を成して地位を得ようと競争し、上へ上へと昇ろうとする。ひどい場合には上に昇る努力を捨てて他人の足枷に走る者も現れる。……ですがあなた方は傭兵のままであり続けたいとおっしゃった。そうして地位にこだわらず、必要とされる人材と手段を集めて事を成し遂げようとしている」
その言葉がまた、兄妹の胸を打つ。……まさに、言い得ている。
自分たちは何も持っていなかった、何も知らなかった。この大陸で起こっていることも知らずに、専門的な知識も経験もないままこのシェラタンでただ過ごしていた。ウォルフやイリューア、マルコスのようにそれぞれの経験を積んだ者たちと肩を並べられるような力など何もなかった。
それどころか自分たちは理性を切り離され、各々《独り》では何をするにもうまくできないという負い目まである。
ただひとつ──長所といっていいか分からないが、他人にはない能力があるとしたら憑依しあえるということだ。
そんな自分たちがこの世界でできること、その役割を今も探している。
「それが……役割ってことか。ギルドの意味で、そこにいるみんなの意味でもある、と……」
「ええ。いかがでしょう?」
「マルコス……。いや、その通りだと思う。別に、偉くなりたいとか、そういうわけじゃないんだ。ただ……自分たちのありのままで、生きていけるようになれたらって。ただ、それでいいのかどうか……」
ひとつひとつを確認するようにライアスは思っていることを口に出した。
たとえ普通ではなくとも、ありのままの自分で生きたい──
かつて自分たちは、そう願って旅へと出た。それを察してもらえたことは素直に嬉しい。身勝手ともいわれても仕方のない考えで、だからこそ公然とは言い表せないことを、マルコスは表現してくれた。
とはいえ、手放しで喜ぶことはできない。地位にこだわる人だっているし、大抵は意見が衝突する。神官フェルディナントと、何度意見が食い違ったことか。
そんな人とどのように共存していくか、答えはまだ出ていないのだ。
それでも、マルコスはふふ、と微笑みながら言った。
「それでいいと思いますよ。別にどちらかが悪いということでもありませんから。あなたが進もうとしている道も今後また、困難に直面することだってあるでしょう。でも、私は……これからあなたがたと一緒に過ごせると思うと期待が膨らむのです。出生や役職に縛られることもなく、共にありたいと願う仲間たちと協力しあい、難局を乗り越えていく。それぞれに必要とされる役割があり、だからこそ活躍の場が得られる。それはいわば生きるという、そのもののようにも感じられます。ならば、そうした場所を人が求めることもまた、自然なことではないでしょうか?」
「マルコス……」
その言葉が、兄妹の心に浸み渡っていく。自分たちが勝手に抱いた不安をやわらげ、そして背中を押してくれる。そんなマルコスの言葉に、兄妹は胸が熱くなるのを堪えられなかった。
「……ありがとうな」
そう一言呟くだけで精一杯だった。そうしてただ、仲間の──マルコスの背中を見つめる。
気付けば遠くに自警団の本部が見えている。かけがえのないこの時間も、間もなく終わりを迎えようとしていた。




