389 目には目を
馬車は丘を越え、いよいよシェラタンを遠く見渡せる地点まで近付いてきた。ここからはあと三十分ほどで街の入口までたどり着く。
「それで? シェラタンで何を話すんだ?」
相手が企んでいることは分かったが、まだ打開策は聞けていない。ライアスは心の準備をするべく、肝心なところをマルコスに確認する。
だが、彼はいたって落ち着いた様子だ。
「ええ。どうという策はありません。工房の方々へ事実を述べ、後は誠実さを示すだけです。はっきり言って、今までの契約は『レザー・エリミシェール』からすれば大損もいいところです。ナシラという、各地からの名産を取り寄せるマーケットで自らの名を証明できないのは『もったいない』の一言に尽きます。我々アメラモウルがその名声を保証し、宣伝していく上で取引価格そのものも見直します」
「それがうまくいけばいいんだけど……」
マルコスならきっとうまく交渉してくれる。そうは思うものの、まだ不安は残る。
ミッション形式にして密輸犯を捕らえたまではいいもの、契約書の内容からしてまだ商会アトラザークの術中に嵌ったままの状況だ。身に覚えのないまま契約が破棄されて、その代償を背負わされるという話が工房に入ってしまっていたら、どれほどパニックになっていることか。
そんな状況で、さらにまた見ず知らずのナシラの商人がやってきて、再交渉したいという。果たして受け入れてくれるだろうか。
それを片言で呟くライアスに対し、マルコスは「そこが重要です」と言いながら後部座席へ顔を向ける。
そして、真剣な眼差しをライアスに注いだ。
「ん?」
「工房の方々と交渉するために、あなたがたの力が必要なんです。ライアスさん、フライアさん」
心から兄妹を信頼していると伝わってくるような、気持ちの入った声だった。
「現在も行っている、アウストラリスとの交渉と同じです。我々だけでは交渉の席を用意してもらえません。あなたがたが、絶妙なポジションにいるから、我々が入り込める余地が生まれているのです」
「えっ……」
思いのほか力の入った言葉に兄妹は思わず息を呑んだ。
「ハバレイたちの検問の時は本当に……すみません。とても気分を悪くされたと思います。けれども、おかげでシャルルと居合わせられた私も、詳細を理解できました。恐れながらお伝えすると、ライアスさん。あなたが完全に狼狽えてしまったおかげで、おそらくアトラザークも油断していると思います」
その言葉に、ライアスは何とも言えずに目をぱちぱちとさせる。
ふと、「いい芝居だったぜ」というシャルルの言葉を思い起こす。あれはそういう意味だったのか。
「あの時、私が仲介に入ってしまったら、ハバレイは横取りをされないように契約を急ぐはずです。あるいは、そもそも契約の打ち切りまで踏み込まずに維持する方法を取ったはずなのです。ですが、彼は契約を打ち切ってナシラへ戻ってしまった。きっと彼は、より良い条件に吊り上げようと目論み──おそらくは何十枚という契約書、そして十数人の部下を引き連れてこの地へ押し寄せる準備をしているはずです。……ですが、彼らもこの地の革材に商売を依存している立場であることに変わりはありません。我々アメラモウルが割って入り、再契約を取り付けられないとなれば大打撃となるでしょう。──今度はこの商才の力で、我々が皆さんを守る番です」
芯のある、力強い響き──
そして、商人の企てを暴くそんな彼の言葉を信じたいと兄妹は思った。
一方でまだ不安も残る。ライアスは念を押すように尋ねた。
「……でもよ、そんな大群がやってくるっていうのに、どうやって守るんだ? シェラタンで商会同士喧嘩でもはじめるのか?」
「ふふ、そんなことにはさせませんよ。できる限り、ナシラの中で食い止めます」
思わぬ返答に、「お?」と言葉が漏れる。
「ど、どうやって……?」
「はい。今回、ここで取引を締結させて、そのままナシラの新聞社へ売り込みをかけます。『アメラモウルが、シェラタンのレザー・エリミシェールと単独契約を結んだ』と。翌日の新聞に掲載してもらえるように、既に部下を商会本部に送っています。合図を送ったら、すぐさま情報を売り込めと……」
「「ええっ?」」
兄妹は揃って声を上げる。商人というのは、これほどまでに抜かりなく事を進めるものなのか。
そんな兄妹の反応に対し、マルコスはにっこりと口角を上げて言う。
「シャルルも似たようなことを言ったかもしれませんが、これがナシラの商売力の所以なんです。取引するとなれば必ず実現する、実現のための段取りをつけておく、そして、取引が成立した後の影響を鑑みて先手を打っておく。ナシラがまだ健全な頃、悪徳商会が乱立する前までは、これがきっちりできていたからこそ大きく躍進したんです。この体勢が崩れ、金儲けに走ったあげく信頼を失ってしまったのが今。我々はもう一度、健全に栄えていた全盛期の頃の取引を行いたいんです。取引先を騙して搾取するなどもってのほか。アトラザークは血眼になってアメラモウルへ押し寄せてくるでしょうが、上等です。元々は公にし難い取引。我々が正式な取引を行ったと公表し、ナシラの汚名をそそいでみせますよ。それこそが商人としての手腕が問われるところ。……久しぶりに、腕が鳴りますよ」
マルコスはそこまでを言うと身体の向きを前に戻した。馬車は気が付けばシェラタンのすぐ傍にまできている。
彼の力強い言葉に、兄妹もまた顔を合わせて大きく頷き合った。
腕が鳴る、今度は我々が守る番、喧嘩上等……。いつになく闘志をみなぎらせていたマルコスは、どこか楽しそうでもあった。
以前に彼は、信頼を失った商会がその商才を発揮できない現状を嘆いていた。取引どころか、交渉の場を設けることさえ難しくなり、まともに話も聞いてすらもらえない有様だという。
その最中にあって、彼はこれほどまでにシェラタンを気にかけ、自ら守ってみせると言い切ってくれている。きっとそれは、己の商才でこの潮流を変えることができると信じているからに違いない。そして必ずそうしてみせると奮い立っている。
「俺たちは、交渉している時に何をすればいいんだ?」
まもなく到着というところで、ライアスが最後に確認を取る。
「傍にいてくださるだけで大丈夫です。でしゃばった言い方で恐縮ですが、シェラタンの皆さんは我々が信ずるに値するかどうか、あなたがたを通して判断するはず。無理に肩入れする必要はありません。ただ正直に、その場の流れに身を任せていてください」
「……わかった」
『ただ正直に』──そこに込められた想いを、兄妹はしっかりと胸に受け取る。
馬車はとうとう、シェラタンの停留所へと入っていった。




