136 大商人の息子
倒れた後も微かに唸り声を上げていたラプターも、ついに声を立てなくなった。
「うええ……今朝食った肉がこいつだったのか……?」
ライアスの全身はべっとりと返り血に塗れている。地面に血だまりが広がっていき、辺りには悪臭が漂いはじめていた。
ようやく難が去って、遠巻きに見守っていた店員らがおそるおそる近寄ってきた。
「すげえ……看板だけであいつラプターを倒したぞ……!」
驚きと興奮に感動が入り交じり、兄妹の周囲がにわかにざわつきはじめる。拍手の音も聞こえてきた。
ただそれは肯定的なものだけではなかった。
「お、おいっ! 店をどうしてくれるんだっ! めちゃくちゃじゃないかっ!」
一人の商人がずかずかと詰め寄り、ライアスが「……え?」と顔を向ける。商人の怒鳴り声をきっかけに歓声と拍手がぴたりと止んだ。
それをきっかけに他の商人たちも歩み出て、ラプターに詰め寄られていた兄妹は立て続けに商人たちにも詰め寄られることになった。
「あなたがこっちにラプターを引きつけたのが悪いんでしょ!」
「品物の額はざっと十万マーシャルはくだらないぞ! それが一瞬でパアだ。どうしてくれるんだ!」
「い、いや、ちょっと待てよ!」
ライアスは首を振って両手を上げる。
そもそも剣さえ取り上げられなければ、マーケットに逃げ惑うこともなかったかもしれないのだ。
元はと言えば訳の分からない喧嘩に強制的に参加させられ、それでもけしかけられた獣を自ら鎮めたというのに、この仕打ちはあんまりだ。
どうにか落ち着いてもらおうと両手を伸ばし説明するライアスだが、商人たちはまるで聞く耳を持たない。
次第に兄妹は頭に血が上り、抑えられなくなってきた。
(もうっ‼ こんなのっ!)
(とことんやってやるかっ!)
ぎらりと周囲の商人たちを睨む。冒険者でもない民間人に武力行使──。
最悪の事態しか招かない方向へと舵を切ろうとした、その時だった。
「皆さん! 落ち着いてくださいっ!」
ひと際大きな声が上がり、兄妹を含めた群衆が「ん?」と顔を向ける。
するとストリートファイトが行われていた広場から健康的な褐色肌の青年商人が歩み寄ってきた。白の装束を身に纏い、頭にはターバンを巻いている。その左右を見れば、護衛と思しき男たちを連れている。
その護衛らが構えている武器に兄妹は見覚えがあった。ごつごつと黒光りするあれは、確か《銃》と呼ばれる武器だ。
「あっ、マルコス様だ!」
青年の姿に、商人の一人が口を開いた。続けざま女性店員がライアスを指差し、声を張り上げる。
「マルコス様っ! この人、この無法者がっ!」
「だーれが無法者だ!」
無法者呼ばわりされ、気が立っていたライアスはすぐさま言い返す。するとマルコスと呼ばれた青年商人が間に割って入った。
「おやめください! どうか、この場は一度騒ぎを収束させていただきたい! 被害に関しては一旦、我々アメラモウル商会が肩代わりをいたします!」
その物言いに兄妹は首を傾げる。
(あれ……?)
(なんだ? 何の演説だ?)
場を収めてくれているようだが、その青年商人が敵か味方かまだ分からない。一方で商人たちの殺気は鎮まり、肩代わりするというマルコスの言葉に少しずつ歓声も上がりはじめた。
「ありがとうございます! ですが、その前にその戦士のお方を……!」
「待てぇ! マルコス‼ くそお!」
商人たちが目を輝かせマルコスを崇める中、低くかすれた声が場を濁した。
それはストリートファイトを取り仕切っていた小柄な商人ケゼックだった。兄妹が目を向けると、ケゼックはマルコスの護衛に捕らえられ、両脇を拘束されていた。
「おめえ! またヒーロー気取りしやがって!」
喚き叫ぶケゼックに向き合い、マルコスはやれやれと肩をすくめた。
「仕方ないでしょう。ラプターで人を襲い、露店を破壊しようとしたのはどこの商会でしたか?」
そう論じ返す青年商人は若く、兄妹とそう変わらない年齢に見える。
だがその振る舞いは堂々たるもので、明らかに年長の商人であるケゼックに対して沈着冷静に応対している。
その様子を兄妹は黙って見ていたが、やがて周囲の商人からもケゼックを非難する声が上がりはじめる。
「そうです! 元はと言えばラプターを繰り出してきたのはケゼック商会です!」
「そうだーっ! 肉食獣をマーケットに放つなんて暴挙だーっ!」
マルコスはその声を受け止めるように両手を広げ、にっこりと笑ってみせた。
「そうです! 皆さん! 私がこの行為には同じ商人としてしっかりと対応させていただきます! 彼らの身柄を、こちらで預からせてください!」
周囲の商人らから「おおぉー!」と歓声が上がる。
突如現れた青年商人が一躍ヒーローにでもまつりあげられるような展開に、兄妹は思わず目を細めて不満顔だ。
(なんだよ……。助かったけどよ……誰も俺たちの命には触れねえのかよ……)
ライアスがムスッと独り愚痴る。
どうやら自分たちの命は屋台や商品よりも軽いらしい。事態は収まりつつあるが、上機嫌の商人たちを見ると胸中穏やかではいられない。
(で、でも。さっき身柄を預かるって……)
ふとフライアが呟いて、ライアスはハッとした。
──不意に冒険者の失踪事件が頭に思い浮かぶ。
まさか、こうして群衆を惹きつけその流れに乗じて冒険者を連れ去っている……?
もしそういう魂胆なら、ナシラで起きている冒険者の失踪にも十分に紐づけられる。
折しも、ケゼックの対応に区切りをつけたマルコスが護衛らと共に歩み寄ってくるところだった。護衛が銃を突き付けているため、ライアスはその場を動くこともできない。
「お、おい。何する気だ?」
立ち尽くしたまま怪訝な声を上げるライアスの正面で、マルコスがふっと微笑んだ。
「脅かしてすいませんでした。大丈夫です。私はマルコス・アメラモウル。父の大商会の元で修行をしている駆け出しの商人です。この件、あなたが加害者でないことはわかっています」
そのやわらかな口調に、ライアスは「ん?」と首をかたむけた。その頭上でフライアも首をかたむける。
(大商会の、息子さん?)
(つまりこいつは? 商会の……え、偉い人ってことか?)
名乗りを聞いても正体も分からなければ、どれほど組織の重要人物かもまるで分からない。
未だ不審そうなライアスの様子を見て、マルコスはゆっくりと言葉を継いだ。
「ですが、このままではあなたが『白』と認められるには不十分でしょう。ケゼックのこともあります。ご協力していただけませんか?」
そう話すとマルコスは命を下すように片手を横に広げ、すると護衛たちが従順な動きで素早く銃を収めた。
ライアスはそんな青年少年を前に逡巡する。
彼は凛とした視線をジッとこちらに向けていた。これまで見てきた商人とは違う、裏表を感じさせない顔だった。
……信じていいのだろうか。散々商人に振り回されてきた兄妹は、どうにも決心がつかない。
「……信じていい話なのか? 俺はもう、商人の言うことなんて信じられないんだけどな」
ライアスは言葉に詰まり、結局は本音を口にした。
マルコスが小さくため息を吐く。
「そうでしょうね。あなたはどうやら、いろいろとこの都の洗礼を受けていらっしゃる。おそらくさっきの騒動だけ、というわけでもないのでしょう。その上、冒険者の失踪事件。信じられなくても無理はありません」
すべてを察しているかのようなマルコスの言葉に、ライアスは「ん?」と疑わしげに目を細める。
マルコスは周囲に会話を聞いている者がいないかを気にしていた。辺りでは彼の部下とみられる者と露店の商人が、被害状況を綿密に確認している。
「神に誓ってお約束します。私は冒険者の失踪事件には関与していません。ただ純粋に、あなた。先ほどの商人ケゼックを破ったあなたに興味を持ったのです」
「ん? ん? ん?」
真摯な口調でマルコスが良い、ライアスはますます困惑する。
この青年商人の目的が分からない。そしてやはり警戒を解くことができない。
その胸中を察してか、マルコスは穏やかな笑みを浮かべ言葉を続けた。
「正直なところ、ケゼックをあれほど綺麗に返り討ちに遭わせた冒険者は初めてでした。彼は私のライバル商会で、連日あのように喧嘩と賭博で冒険者を手玉に取ってきた商人です。ラプターを繰り出させるなんておそらく部下の予想外の思い付きだったのでしょうが、それでもあなたは勝ってしまうんですから。正直、この結末は痛快でしたよ」
いかにも愉快そうに口にする。言葉の最後の方は実際に笑っていた。
その笑い顔も、どうにも裏があるようには思えない。ライアスもフライアも段々と警戒心を緩めたくなってきた。
「名目上は事情聴取ですが、実際のところはあなたの保護と相談です。……あとこちらも、同行いただいた後でお返しします」
そう言ってマルコスは隣の護衛を振り向く。
「あっ、それ!」
ライアスが思わず声を上げる。護衛が差し出すように持ち上げた両手に、ライアスの剣が乗せられていた。
返してもらおうと手を伸ばすライアスだが、その先をマルコスの腕がそっと制止する。
「……まだ、拾ったってだけか」
どうやらすぐに返してくれるつもりはないらしい。
マルコスが頷き、真顔で口を開く。
「この剣は商会に着いた時にお返しします。もし、まだあなたが私を疑っているようでしたら、それをお持ちのまま話をしてくださっても構いません」
ライアスが「え?」と声を漏らす。
……こいつは本当に商人か? 剣を持ったままだなんて、どうしてそんなことが言える?
そんなふうに考えた矢先──。
「もし私があなたを売り飛ばすような真似をしたら、この剣で私を斬っていただいてもいい。ラプターを斬り倒せるあなたなら、難しいことではないでしょう」
(ええっ⁉)
憑依中のフライアが声を上げた。表情ひとつ変えずに言いのけたマルコスの口ぶりに兄妹は驚かざるを得なかった。
改めてマルコスを見れば凛とした目のまま、真剣なその表情を崩す気配もない。
……散々疑いの目を向けてきた相手だが、いよいよ真っ向から相対すべきかもしれない。
「それは……お前の、覚悟ってことか?」
ライアスが問いかけると、マルコスははっきりと頷いた。
「はい。あなたがそんな無法者ではないと信じます」
──戦士も商人も本当にさまざまだ。そんなすべての人たちを信頼して繋がり合うには、いったいどれほど自分を磨く必要があるのだろうか。
兄妹はくらくらと眩暈がするような思いだ。
(……話だけなら)
「……わかったよ。半日くらい付き合えばいいんだな?」
憑依中のフライアが呟き、ライアスがそれを告げる。
するとマルコスは安堵するように表情を和らげた。
「はい。あなたを我がアメラモウル商会へご案内いたします!」
見た目こそ柔和な笑みを浮かべるマルコスに、兄妹は未だ頭の中を整理できずにいる。
──果たして彼は敵なのか、それとも味方なのか。
意を決した兄妹はどちらともなく頷き合うと、青年商人マルコスの後に続いて足を踏み出した。
読んでいただき、ありがとうございます!
謎を残したままですが、第六章はここまで。
兄妹はどうなっていくのか、続きは第七章へ持ち越します!
次回もお楽しみに!




