第353話 追放者②
レスティオ山地を越えてからも、カドネたちの過酷な旅は続く。
アドレオン大陸北部は小規模の国家が並び立つ地域。山地のすぐ北に並ぶ国の中には、ランセル王国と一定の交流がある国家、あるいはその国家と友好関係にある国家が多い。
それらの国々も、カドネ治世下で権力を握り、拡大路線をとっていた軍閥貴族たちとは折り合いが悪かった。もし捕まればどんな扱いを受けるか分からない。
なのでカドネの一行は、街道を避け、人気のない地域を選んで北へと移動する。
既に十二月初旬。アドレオン大陸南部よりも気温の低い北部の冬は、ただでさえ物資に乏しく、これまでの行程で疲れているカドネたちの体力を蝕む。
落伍者や死者も後を絶たず、ついに一行の人数は二十人を切った。
「……ここまで来れば、さすがにランセル王国と繋がりのある国はない。が……ここから、どうすればいいのだろうな」
冷たい西風が吹く中、その風を避けるように森の東側で臣下たちが野営の準備を進める。その横でイヴェットに抱きしめられて毛皮を被り、焚き火にあたりながらカドネは呟いた。その身体は寒さに震え、体力の消耗や栄養失調も重なって唇は紫色に変色している。
国を捨て、大陸北部に亡命し、協力者を見つけ、力を蓄えて再起を図る。口で言うのは簡単だった。しかし、具体的にどのような手順で何をすればいいかは何も考えていなかった。ただ曖昧な希望だけを抱えてここまで来た。
笑えてくる。自分はいったい何がしたくてここまで生き永らえ、これほど無様な姿になった自分を未だに慕う臣下たちを連れ回しているのか。
「っ! 敵襲!」
そのとき、親衛隊長として一行の実質的な指揮を担ってきた兵士が叫んだ。
カドネが北の方を振り向くと、厚い毛皮に身を包んだ騎馬の集団が迫って来ている。
「陛下をお守りしろ! 囲め!」
突然の事態に顔を強張らせるカドネの周りに、臣下たちが集まる。残り十人もいない親衛隊兵士たちが前面を、文官や召使いたちがその後ろを固め、イヴェットもカドネの盾になるような立ち位置を取る。
騎馬の集団はカドネたちの面前まで迫り、一行を取り囲む。その総勢は三十騎ほど。全員が武装した筋骨隆々の男たちで、その半数ほどは体格のいい獣人だ。数で劣り、文官や女もおり、何より疲れ果てているカドネたちに勝ち目はないだろう。
男たちの顔には入れ墨で紋様が描かれ、他にも獣や魔物の骨、牙、爪などを使った、独特の装飾がいくつも見て取れる。見た目には、彼らが蛮族や野盗の類なのか、それとも国家と呼べる規模の集団に属する兵士なのか、カドネには判断がつかない。
「……」
男たちの側も、カドネたちが何なのかを見定めようとするように鋭い目を向けてくる。その視線はカドネに集中しているように思われた。身に着けているものや陣形の取り方からして、カドネがこの中で最も身分が高いと見抜かれている。
騎馬の集団の中から、頭と思われる男が進み出てきた。たてがみのような長い髪をした獅子人だ。歳はカドネと同じくらいか。
「……私はヴィルゴア王国の王子カイア・ヴィルゴア。ここは我が国の領土だ。お前たちは何者か? 見たところ、アドレオン大陸南部の貴人のようだが。そのような人間が何故ここにいる」
殺気を漂わせながら尋ねる男の言葉を聞き、しかしカドネは安堵した。
男は自分を王子だと名乗った。一国の君主の息子ともなれば、理性的に話ができる相手である可能性が高い。野盗の類に見つかるより百倍ましだ。
カドネはイヴェットを下がらせ、前に出ようとする。そして、立ち上がろうとする。
カドネの意図に気づいた親衛隊兵士たちに両脇から抱えられ、形だけでも自ら立って、カドネは口を開く。
「私は大陸南部のランセル王国の国王、カドネ・ランセル一世だ。複雑な事情があってここへ来た。どうか話を聞いてほしい。そして、助けてほしい」
・・・・・
アドレオン大陸北部の中でも北西の辺りに位置する、人口三万人程度のヴィルゴア王国。その王子であるカイア・ヴィルゴアとの出会いは、カドネにとってまさに天啓だった。
病に伏し、既に一線を退いている父王に代わって国政を担うカイアは、カドネと同じく野心の旺盛な男だった。国を大きくし、偉大な王として歴史に名を残すことを夢見る人間だった。
しかし、カイアとヴィルゴア王国には勢力拡大の基盤となるものが欠けていた。それは、十分な数の兵士を抱え、養うための知識と技術だ。
周辺の極小国と比べれば、ヴィルゴア王国は大きく強い。しかし、三万の人口を養うには狩猟や採集だけでは到底足りず、大陸南部から見ればひどく原始的な農業に多くの人手を裂く必要があった。それでも時おり食料が足りず、飢饉が起こる有り様だった。
結果、王家と諸侯で少数の私兵を維持するのがやっとであり、今以上の勢力拡大を成せずにいた。辺境の一国王では満足できないカイアは、そのことに不満を募らせていた。
そこへ、カドネが知恵を貸した。少年時代は様々な書物を読んで育ち、知識だけはそれなりに豊富なカドネは、ヴィルゴア王国よりは遥かに進んだ農法や農具の知識をカイアたちに教えた。臣下の中には農民上がりの者も何人かいたので、彼らに命じて農業の指導もさせた。
寒さに強いライ麦を他国から積極的に買い集めさせ、自分たちが食料として持っていた相当量のライ麦も供出し、それを主力の作物とする。同時に肥料の作り方を教え、食料増産と同時に地力を高めるために豆作も積極的に行わせる。鉄製の農具や家畜に牽かせる有輪犂を作らせ、農業生産効率を上げさせる。
国力増大のためには新しい知恵も躊躇なく取り入れるカイアの理解もあって、それらの助言、助力はある程度の成果を収めた。
その結果、カドネは有能な人物としてカイアから認められ、王子の補佐役として、そして個人的な友人として、ヴィルゴア王国内で一定の発言権を得た。
ヴィルゴア王国の勢力拡大を手伝うことと引き換えに、ランセル王国の奪還に手を貸してもらい、大陸北部と南部の大国同士で固い友好を結んで共栄を果たすというカドネの提案は、カイアに受け入れられた。
二年が経つ頃には、カドネの知識を取り入れたヴィルゴア王国の農業効率は飛躍的に改善され、その成果が形となって表れ始め、戦いに回せる兵の数が増えた。小規模ながら国軍と呼べる戦力が作られた。
その戦力を以て、ヴィルゴア王国はまともな軍隊を持たない周辺の小国を次々に襲撃。まずは力によって服従させる。
その次の段階として、カドネはまたカイアに知恵と力を貸した。王子の参謀として服従させた国々を巡り、各国の指導者たちに甘い夢を吹き込んだ。
カイア・ヴィルゴアは大陸北部を統べる大王の器であり、忠誠を誓った配下を守る器量も持ち合わせている。そして、自分は今でこそ反逆者に国を追われているが、大陸南部の大国ランセル王国の王である。
その二人が手を組んで動いている。いずれ大陸北部の国々が統一されるのは間違いない。
カイアの軍門に最初に下った諸卿は、大王の重臣として今後も重く用いられる。貢物や軍役と引き換えに今までの国土の大半は領地として安堵され、カイアの庇護を得て、これまでとは比べものにならないほど豊かになる。貧しく小さな国の王のままでいるよりも、よほど大きな富を得られるだろう。
大陸北部の統一を果たせば、カイアはその強大な力を以てランセル王国の反逆者たちも討ち取る。そうなれば自分がランセル王国の王座に返り咲き、ヴィルゴア王国と固い友好を結ぶ。ヴィルゴア王国はさらなる繁栄を遂げ、諸卿もさらなる豊かさを得る。
そう語りながら、カドネは手始めに農法や農具の知識の一部を、彼らにも与えた。ヴィルゴア王国の力を高めた知識の一部を惜しみなく分け与え、カイアと自分の度量を示した。
仮にも、代官時代は独力で自分個人に忠誠を誓う臣下たちを集め、かつては大勢の軍閥貴族を従わせていたカドネだ。一度自信を取り戻し、地位を得れば、そのカリスマは再び光った。
カドネの話術に魅せられ、あるいは選択の余地がないと諦め、多くの王が恭順を示した。征服した国の大半がヴィルゴア王国に併合され、あるいは属国化された。恭順しなかった国の王族は見せしめに皆殺しにされ、民と土地は強制的に併合された。
極小国も含めれば十を超える国を取り込み、ヴィルゴア王国とその属国の勢力は、人口で十万を優に超えた。アドレオン大陸北部で見れば、破格の大国と言える。
その間も農業生産力は高まり続け、勢力下に加わった国から兵を供出させ、ヴィルゴア王国の軍事力は雪だるま式に大きくなっていった。
こうなる頃には、また二年が経っていた。
「……我が国も本当に大きくなった。ここまでわずか四年とはな。カドネ、あの日お前を拾ったのは、私の人生で最大の幸運だったよ」
「ははは、急にどうしたんだ」
ある日の夜。話し合いがてらに酒を飲みかわしていると、カイアが呟く。カドネはそれに気安い笑みを返す。
かつて疲れ果ててカイアに拾われたカドネは、今はヴィルゴア王国とランセル王国の文化を織り交ぜたような豪奢な衣装と装飾品を身に纏っている。大国の王族としての威厳と余裕、自信を取り戻している。
「いや、父を看取って正式に王になったのだと思うと、感慨深いものがあってな。お前の助けを受けなければ、私は今も野心を燻らせながら狭い国を治めていただろう。お前はまさに天からの贈り物だ」
実際には、かつてのヴィルゴア王国も大陸北部の中では小さい国というわけではない。が、友人としてカイアに接してきたカドネには分かる。彼の器と野心に対して、確かにヴィルゴア王国はあまりにも小さかったのだろうと。
「よしてくれ、お前らしくもない。むしろ礼を言うのは俺の方だろう。お前のおかげで俺はやり直す機会を掴んだ。自分の国を取り戻す夢が現実的なものになりつつあるし、俺についてきた奴らにもいい思いをさせることができている」
そう言いながら、カドネは傍らのイヴェットの方を向く。獣人が迫害されないこの地で、イヴェットは最早奴隷ではない。今はカドネの従者であり愛人だ。カドネがランセル王国の王位を取り戻した暁には、妻にするつもりでいる。
「男同士で褒め合うよりも、先の話をしないか」
「ふっ、そうだな。そろそろ次に征服する国を決めなければ……俺としては、西側の小国をいくつか併合するのがいいと思うが、どうだ?」
尋ねるカイアに、カドネは首を横に振った。
「いや、今は西じゃないと思う」
「何故だ? 西の国々は弱い。今なら容易く併合できる」
「だからこそだ。最初の頃ならともかく、土地のやせた弱くて貧しい国々に、お前や俺がわざわざ出向いて征服する意味はもうない。ヴィルゴア王国が権勢をもう一息高めれば、あれらの国は少し声をかけるだけで自分から尻尾を振って軍門に下るだろう。後で簡単に手に入るものに、今時間をかける意味はない」
「なるほどな……では、お前はどこを狙うのがいいと思う?」
「南東だ」
問いかけられたカドネは即答する。
「南東……デール侯国か?」
「まずはそうだな。本命はそのさらに南東、レーヴラント王国だ」
「なるほど、あそこか。お前の仇敵と手を結ぼうとしている国を叩くというわけか?」
レスティオ山地を挟んだレーヴラント王国の南にはアールクヴィスト領――現在は独立を果たしたアールクヴィスト大公国があり、レーヴラント王国が彼の国と貿易を始めたという話は、既にヴィルゴア王国にも聞こえている。
「そういうことだ。何でもレーヴラント王国の今の王は、大陸南部の知識や技術を積極的に取り入れて、国力増大を図る考えだと見られているそうじゃないか。そんな国に力をつけられると後が厄介だからな。まだ貿易が始まったばかりの今のうちに、余計な芽を摘んでおきたい」
「確かにそうだが……レーヴラント王国は弱くはないぞ? 小規模とはいえまともな軍隊だって持ってる。今までのように気軽に襲いに行ける国じゃない」
大陸北部の国家は、レスティオ山地に近いところほど人口比の国力が高い傾向がある。山地に接しており、人口が二万を数えるレーヴラント王国は、強国ではないが決して雑魚ではない。グロースリザードの家畜化に成功しているので、馬と併せてそれなりの数の騎兵も備えている。
これまで征服した人口一万人にも満たない小国や、人口が多くても原始的な農耕を行うばかりだった国とは訳が違う相手だ。
「ああ、だから俺たちが行うのは、単なる襲撃じゃない……本格的な戦争だ」
カドネは酒を一気にあおり、不敵に笑った。空になった杯に、イヴェットが静かに酒を注ぐ。
「小細工はなしだ。最低でも三千、できれば五千の軍勢を揃えて、一気にレーヴラント王国まで攻め込む。周辺国の中には、今や自ら俺たちの軍門に下ろうと擦り寄ってくる国もあるくらいだ。そいつらにも兵を出させる。戦後の好条件での併合と引き換えにな。そうすれば数は揃うだろう」
「最低でも三千、か……大陸北部の歴史に残る大戦争になるな」
カイアは緊張をはらんだ笑みを見せる。大陸北部では千人も集まれば相当な大軍だ。もし数千人もの兵を率いて戦争ができれば、戦記物語の主人公として語り継がれるだろう。
「だからこそ、やる意味があるんだ。それだけの大軍勢を率いて見せ、勝利を掴んだとなれば、カイア・ヴィルゴアの名は大陸北部に轟く。今以上に、お前の軍門に下ろうとする国が増える。レーヴラント王国征服を果たした後には、北部最大の国の王になれるぞ。何をするのも思いのままだ」
「……そいつは凄いな。そうなれば当分ゆっくり休めそうもない」
「はははっ、当たり前だ。大陸北部を統べる大王になるんだろう? その後には俺が自分の国を取り戻す戦いにも付き合ってもらうんだ。北部にかつてない大国を築き、南部にまで攻め入る王に、若いうちから休む暇なんてあるわけないさ」
「嬉しい悲鳴というやつか。面白い。では今回も、お前の提案に従おう」
カドネとカイアは、上機嫌に杯を打ち鳴らす。




