第352話 追放者①
カドネ・ランセル。それが彼の生まれ持った名だった。
ランセル王国第二代国王の三男で、第二王妃との間に生まれた最初の子。それが彼の立場だった。
母を異にする上の兄とは六歳、下の兄とは三歳離れて生まれたカドネは、幼少期は腕白かつ好奇心の旺盛な子供と評され、兄たちともそれなりに良好な関係を構築しながら王宮で伸び伸びと育っていった。
しかし、カドネの生活は、カドネにはどうしようもない事情によって一変する。
国王と第一王妃との子である二人の王子が順調に成長し、また国王や先代の意思を継ぐ穏健派らしい思想に育っているため、言わば予備である第三王子は政治的には不要。むしろ、第二王妃の子であるという立場が、不安定な状況をもたらす恐れさえある。
王の忠臣たちによってそう判断されたカドネは、家族から引き離され、名ばかりの代官として辺境にある王家直轄地の都市で暮らすこととなった。それは国の中枢からの実質的な追放だった。
場所は辺境都市とはいえ、自身専用の屋敷を与えられての何不自由ない生活。特に政務を行わずとも許される、無尽蔵の暇を潰すためにただ遊ぶだけの生活。それでもこの境遇は、当時まだ十代半ばだったカドネの心に暗い影を落とした。
何も悪いことをしていないのに、何故自分だけ。
お払い箱になった自分は、これから何を目的に生きていけばいい。人生にどんな意義を見出せばいい。このまま辺境に王家の存在感を示すだけのお飾りとして、無為に年を重ねて死んでいくのか。
多感な時期に抱えたそんな混乱は、やがて恨みになり、やがて憎悪になった。
そして、カドネは有り余る時間を使って多くを学び、自身を鍛えた。いつか復讐するために。その対象が家族か、王を囲む忠臣たちか、あるいはこのランセル王国そのものか、それさえ定かではないまま、カドネは憎悪と共に成長した。
そのカドネに接近してきたのが、長年穏健な体制を敷き続ける王家に不満を募らせた軍閥貴族たちだった。
彼らは穏健派から権力を奪い取り、王国の方向転換を図りたい。そして、カドネは復讐を果たし、己の存在意義を得たい。互いの利害が一致し、カドネは軍閥貴族の旗頭になることを良しとした。
軍閥貴族たちにとって誤算だったのは、カドネがただのお飾りではなく、自ら考える旗頭になったことだ。王国の権力を奪取するための密談に自ら加わり、ときには保守的な軍閥貴族たちの持たない発想を示したカドネは、名実ともに次代の王になり得る可能性を秘めた若者として、彼らに受け入れられていった。
水面下で権力奪取の計画を進める一方で、カドネは自身の手勢を集めることにも着手した。
暮らしていた辺境都市の市街地にくり出し、民に気安く接し、「親しみやすい王子様」として振る舞う。その過程で特に中間層以下の庶民の中から見込みのある者を見出し、近くに置く。
こうしてカドネは、ランセル王国の貴族社会の理屈から外れて自分自身に忠誠を誓う者を集めた。選ぶ基準は才能のみ。自分はこれから王国に新たな秩序と社会を築くのだからと、身分も出自も問わなかった。
有能であれば褒美を。忠実であれば厚遇を。その考えのもとに集められた者たちは、カドネが王となった暁には私兵や寵臣として地位を得る予定となった。
その後、カドネは表向きは、代官としての務めに真面目に励んだ。盗賊の討伐や地方貴族同士の紛争解決などにも尽力し、ある程度の実戦経験も積んだ。それと同時に父王や兄王子たちへの忠誠を語り続けたことで、王国中央からは、一重臣として地方を支える立場になるのならそれも良しと好意的に見られた。
そして数年後。ついにカドネが王の座を兄たちから奪い取るための機会はやってきた。
不意に届けられた、父である第二代国王の危篤の報せ。この時ばかりは王宮への参上を許されたカドネは、父を見舞い、地方から国政を支える弟として好意的な表情をしながら二人の兄と語らい――毒によって彼らを謀殺した。
それとほぼ時を同じくして、国王も逝去。王と、その後を継ぐことを予定していた第一王子、彼にもしものことがあった際に王位を得るはずの第二王子を失った王宮内は、当然ながら大混乱に陥る。
その中でカドネは、血統上の当然の権利として王位継承を宣言した。
これがカドネの謀略であることは馬鹿でも分かる。当然ながら強い反発も起こった。しかし、それらは予想されていたこと。カドネの宣言と同時に軍閥貴族たちも行動を開始し、先代国王の側近たちを文字通り「排除」して王宮内を掌握。すると、残る宮廷貴族たちは表立っての抵抗を止めた。
ランセル王国は隣のロードベルク王国と比べても、まだまだ封建制の色が強い国家だ。武門の主流派たる軍閥貴族と完全に結託して彼らを後ろ盾とし、さらには傭兵をかき集めて戦力を補強すれば、表立ってカドネに逆らえる大勢力はない。こうしてカドネは、第三代国王カドネ・ランセルとなった。
自分は名君として歴史に記されるのが約束された存在であり、自身の名を継ぐ子孫も必ず現れるという自信から、気の早いことに「一世」を名乗るようにもなった。
そしてカドネは、年の離れた幼い妹アンリエッタにだけは、情を示した。血筋を理由に罪のない妹を排除すれば、憎き父たちと同じ下衆に堕ちてしまう。そう考え、妹を最辺境の小さな街に流した上で――カドネは急進的な治世を進めていく。
これまでの穏健的な政策を止め、軍備増強を果たしつつ領土的野心を示し、軍閥貴族の欲を満たす。戦術面では彼らを頼り、戦略面では多くの書物から学んだ知識をもとに大胆な策を実行し、ついにはベゼル大森林に道を開くという偉業を果たしてロードベルク王国に攻め込む。
カドネの行動が上手くいったのはここまでだった。その野望を打ち砕いたのは、森の中の小領を治めるロードベルク王国の下級貴族だった。
ノエイン・アールクヴィスト。カドネが生涯忘れないと心に誓った仇の名。
憎たらしい、しかし有能な策士であることを認めざるを得ないアールクヴィスト準男爵に敗北し、自身も両足に麻痺が残る深手を負って、カドネの親征は失敗した。渾身の策を打ち破られ、小規模とはいえ逆侵攻さえ許す無様を晒し、不自由な身体となり、その求心力は急激に落ちていく。
それと並行して、軍閥貴族たちの勢いも鈍り、結束は綻んでいく。度重なる戦争と無理な侵攻路開拓で傾きかけていた国は、非軍閥貴族や民の不満がついに爆発して内戦に突入してしまう。
おまけに非軍閥貴族たちが結束のための御輿に選んだのは、よりにもよってカドネの妹アンリエッタだった。
軍閥貴族から寝返る者さえ現れ、カドネは負け、逃走し、また負け、逃走し、ついには北のレスティオ山地にまで追い込まれた。もはや組織的な抵抗力など失われて久しいこのとき、カドネに付き従っていたのは、かつて低い身分からカドネに見出された手勢の配下たちだけだった。
軍閥貴族として最後までカドネの傍を守っていたクロエ・タジネット子爵に見送られ、過酷な山越えへ。連れてきた奴隷を使い潰して、尚もカドネを慕う臣下たちの文字通り捨て身の犠牲を踏み台にして、カドネは山を越えた。
五十人で山地に入り、山道を抜けたときの生き残りは三十人を切っていた。
「……俺はこれから、どうすればいい。俺を信じた奴らの犠牲をこれだけ重ねて、ここから何をすればいい……なあ、イヴェット」
アドレオン大陸北部に入り、最初の野営の夜。カドネが弱音を零して縋ったのは、猫人の愛玩奴隷だ。
辺境都市で暮らしていた頃、カドネが気まぐれに買い、気まぐれに可愛がり、いつしか唯一本心を語って甘えられる存在となっていた、少し年上の女性奴隷。彼女はカドネの頭をその胸に抱き、優しく語りかける。
「大丈夫です、陛下。陛下はまだ生きておられるのですから。陛下を慕う臣下の方々も、こんなに大勢いらっしゃいます。陛下のために命を投げ出せる彼らは、一騎当千の頼もしい存在でしょう。それに……私もいます。私だけは、何があっても最後まで陛下のお傍を離れません」
それは何の解決にもならない、ただ甘いだけの言葉。しかしその甘さがカドネの傷だらけの心に沁み、彼に明日を生き延びるための活力を与える。
「そうだな。お前がいれば俺は耐えられる。それにまだ二十人以上。それだけの臣下が俺を囲んでる。皆、もとは下層民から俺のもとに集った者たちだ。俺はあいつらに地位を与えると、俺と共に歴史に名を残してやると約束した。俺は……俺はまだ死ねない。死ねないんだ」
イヴェットの胸にしがみつき、動かない両足を彼女にさすられながら、カドネは呟く。




