2人
†
「ノゾミはいいの? 逃げなくて」
逃げるという言葉に反応する。さっきの声、「1人だけ逃げるなんて」はやっぱり自分のものではなかったのかと、胸をなで下ろす。しかしその動作は、この場に酷く不釣り合いなものだった。
「ウチは行くよ、ノゾミはどうする?」
さっきまでのヤヨイはどこへやら、塞いだ耳を離したときにはいつものヤヨイが目の前にいて、砕けた木板の下に暗闇が広がっていた。
城内は既に暗く、ヤヨイが点けた電池式のランタンが唯一の明かりだ。
「い……くよ……。パパとの思い出の場所にこんなものが出てきて、ノゾミもこの先を知らなくちゃって、なんとなく思うの」
「そう」
ノゾミの決意にヤヨイは小さく返事をして、鞄からケミカルライトを取り出した。
パキッと折って、素早く振り、乱雑に穴の中に落とした。更に数本取り出し、同じ事を繰り返す。
思っていた以上にしっかりと中が見えるようになる。
照らし出されたそこは、物置のような小さな部屋だった。階段のように並べられた木箱が2人を迎える。
「聞こえる、聞こえるよ……この先だ! 行こう!」
ヤヨイが腰まで髪を振って駆け下りる。ノゾミはそれに、そろそろと続いた。
中はどうやら本物の石造りで、降りた途端、ひやりとした空気に包まれ鳥肌が立った。
部屋に有るのは木箱と、扉が一つ。古い、と言うか意図的にそういった趣向で作られたであろう扉は木製で、鍵穴から反対が見える、どちらからも鍵を使わなければ開かない形式だ。
ヤヨイが早速ピッキングにかかる。
すぐ開くからーと周りを簡単に調べるよう言われ、ノゾミが従う。
早速木箱を開けてみようとドアに背を向けた瞬間、小さな一室にヤヨイのひゃっ、という小さな悲鳴が響いた。
「どうしたの?」
「い、いや、今このドア……ノックされた……」
思わず息をのむ。声を潜めて、ノゾミが返す。
「本当に? 奥に人がいるって事?」
「人なんかいるわけ無い……いるのだとしたら幽霊か何かだろ。ただ、スミレコ達の声はまだ遠いから……」
そう言いつつ、恐る恐る鍵穴を覗くヤヨイ。足下に転がるケミカルライトを一本拾い、扉の奥を確認する。しかし、目を凝らしても廊下が続いてる、気がする程度にしか見えない。
「ノゾミも見て良い?」
「良いけど、全然見えないよ?」
「うん、一応」
今度はノゾミが鍵穴を覗く。しかし、やはり何も見えない。
「うーん真っ暗でなんも見えない、暗闇でも結構見える自信あったんだけどなー」
瞬間、鍵穴の向こうの闇が動き、白と黒の曲線の対比が映った。
「え……」
数瞬の逡巡の後、とっさに飛び退くノゾミ。城内に悲鳴がこだまする。
「何々どうしたの!?」
驚き問うてくる、ヤヨイにノゾミがパクパクと口を上下させる。
声にならない声が漏れる。
その様子に呆れ、鍵穴を覗くも、やはり、廊下しか見えない。
「なんもないけど、どうしたの?」
どこか心配する様子で近づくヤヨイに、一呼吸待って、ようやくノゾミが声を発した。
「誰か覗いてるよ……反対側から……黒目が動いて分かった。それまでずっと、壁一枚隔てたドアの向こうと、ずっと目が合ってたんだよ……」
戦くノゾミに、しかしヤヨイは平然と鍵穴を覗く。
「なんも見えないけどな……いや、ノックも黒目も勘違いだろ。なんか、そんな気がする」
さっきまでの不安を忘れたのか、ヤヨイがピッキングを再開した。
「ほら、木箱とか開けてみて。なんか良いもん入ってるかもじゃん」
そのあまりの切り替えの早さに呆気にとられるノゾミ。しかし、呆けている時間も余裕もないと、自ら頬を張りノゾミも動き出した。
「さっきのは勘違い。さっきのは勘違い。さっきのは勘違い……」
小さな部屋にカチャカチャと金属の触れる音だけが流れる。気を取り直してノゾミは手近な木箱から開けていくことにした。
ただ、開けてみてやはり、後悔した。中にはずらにと用途の分からない金属製の器具が入っていた。いや、分からないと言うよりは分かりたくないと言うべきか、恐らく、拷問器具だ。続けて2つ箱を開ける。1つはこの箱と同じ中身、もう一つは斧やのこぎりと言った工具というか凶器と呼べるものが詰まっていた。
鈍色の鈍重な、持っている質量以上に重く見えるそれらは、てらてらと光を反射していた。
「ん……? 油?」
触れようとして、思いとどまる。油なのだとしたらいつ整備されたのだろう。4年もの間放置されていて、こんなに綺麗になっているだろうか。そんな逡巡が頭を過ぎる。その時。
「開いた」
ヤヨイの声だ。
「やっぱり早いね、ヤヨイちゃん」
用心のためにと片手斧を手に取る。ヤヨイが立ち上がり、ドアノブに手を掛け、止まる。
「どうしたの?」
「さっきの、一件もあるしちょっとビビったのかな? 体が勝手に止まった」
そういうヤヨイの手は、よく見ると微かに震えていた。
「大丈夫……ノゾミがいるよ……?」
「ん……そうだね」
一度ドアノブから手を離してケミカルライトを集めるヤヨイ。ハルナはその背に、見つけた拷問器具と凶器のことを話した。しかし、ヤヨイは特に驚いた様子は見せなかった。
「当たりだったな」
そう短く言うと漆黒の黒髪を翻し、鍵穴を覗いた。薄い反応にたじろぐハルナに気付き、鍵穴を覗いたまま補足する。
「だから、噂は本当だったって事。遊園地にあるはずのない地下室、拷問器具。もう言い逃れのしようも無い、100%の黒だよ。後は例の拷問部屋見つけるだけ。……ウチの予想では声のするところにあるんじゃないかと……ん?」
「何? どうし――」
「がはあああっっっっっ! ぁ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
腹の底から出て、なおかつ喉を潰すような化け物じみた咆哮とともに突如転げ回るヤヨイ。
「な……目……? や、ヤヨイちゃん!? 目が!」
右目を押さえる手の隙間から溢れるどろりとした液体。暗さで完全には見えないのがノゾミにとっての微かな救いだった。しかしそれでも、ノゾミをその場から動けなくさせるには十分すぎる恐怖で、ただただヤヨイの獰猛な悲鳴に耳を塞ぐことしか出来なかった。
石作の小さな一室、単なる痛みでは言い表せない、絶望すら孕んだ絶叫の果て、その残響。しばらくして、荒い呼吸の中でヤヨイが口を開いた。悲鳴がやんで、ノゾミも耳から手を離す。声を発するヤヨイはうつ伏せにくずおれて、両手で右目を押さえている。
「やられた……ウチの目……声はしなかったのに……」
そんな独り言にノゾミは何も返さない。こんな時掛ける言葉なんて知るはずもなかった。
「声……声がする……なんか、全然くぐもってない……ヤヨイってウチのこと呼んでる……」
そのまましゃべらせるノゾミ。2人とも明らかに疲れていた。ノゾミは精神的疲労のピークに、だんだんとヤヨイの言葉を聞くのさえ億劫になってきていた。
「ドアの先は……スミレコ……。じゃあハルナは……? ドコダロウ……?」
ふっと、一瞬遠のく意識。こんな状況で眠いの……? そんな自分に気付き、馬鹿じゃないのと、ノゾミが己の頬を張る。1番消耗してるのはヤヨイちゃんじゃないか、自分がしっかりしなくっちゃ!
「ヤヨイちゃん……大……丈夫?」
「ハルナ……あれ? ドコ? ハルナ……? ハルナ!」
「し、しっかり! まずは傷の手当てするから、こっち向いてよ!」
取り乱し始めたヤヨイに駆け寄り、仰向けにさせる。傷は見たくないと、思わず目を細めてハンカチをあてがう。
「せめてタオルでも巻いておきたいんだけどな……」
そう呟くと、ヤヨイがノゾミの方をポンポンと叩いた。次いで指を差す。ヤヨイの鞄だった。
もしかしてと思ったノゾミは体を伸ばし、バックを取る。中を漁ると案の定タオルが入っていた。
「ヤヨイちゃんナイス!」
早速それを巻き付け、縛る。見てくれも随分悪いし、処置としては下の下だろうなと思わず苦笑する。
さて、こんなことになったのだ。ヤヨイちゃんがどれだけの覚悟できたと言っても、これでは一度引くしかない。でも……恐らく次はないだろう。そう思うと、こんな状況でさえすぐに帰ると言い出せなかった。この時点で狂い始めているのかもしれない。いや、それとももう既に……。
そんな思考の中、ヤヨイが残った左目を見開き、音もなく口を開閉している事に気がついた。
「何? 聞こえないよ?」
限界まで耳を寄せる。
「ゥ、ェ……」
うえ?
とっさに上を見上げてみる。そこには、悠然と立ち尽くす人影があった。それに、ノゾミは思考が停止した。
「だ、誰?」
そう言ってからはっとしてヤヨイを見やる。相変わらずパクパクと動く口に耳を当てる。
「ハ……ルナだよ……」
頭の先から足の先まで一気に鳥肌が駆けるのと同時、上から何か落ちてきた。形状はケミカルライトのようなそれに、目を細める。
次の瞬間、その物体がシューと言う音とともに何かを噴射しだした。
本能的に危険を感じ、ヤヨイを抱えて後ずさる。さっきの片手斧を拾い上げドアを確認。
あそこしかない。
考えたときには体が動いていた。
ノブを握りドアを押すと同時に振りかぶる斧。
しかし、誰もいなかった。暗い廊下に斧を捨て置き、すぐさまヤヨイを引きずり込む。ヤヨイの鞄だけはなんとか拾って、ドアを閉めた。
これで、……これで閉じ込められた……。
途端に襲う眠気。披露の限界だろうかと、それを考える余力すら無く、糸が切れるように体を壁に委託し、眠りについた。
――ようやく確信に至った拷問部屋の噂、スミレコとハルナの魂の所在。しかし、それを探し求めるほどの体力は2人に残っていなかった。出来ることはただ一つ。誰にも犯せない絶望の深淵でただ静かに呼吸をすることだけだった。




