世界各国
日本政府が突如として全人類に向けて放ったその「緊急記者会見」は、数時間もしないうちに光ファイバーの網の目を駆け巡り、静止衛星の電波に乗って地球全土へと伝播した。
それはまさに、数世紀にわたり人類が築き上げてきた歴史、政治、科学、そして宗教のパラダイムを文字通り根底から叩き割り、宇宙の理そのものを塗り替える決定的なパラダイムシフトであった。
――神。概念や記号、あるいは祈りの対象としての偶像ではなく、確固たる質量と意志を持って現臨した「絶対的超越者」の実在。
――ダンジョンという不可解な絶望に瀕し、緩やかな滅びを待つばかりだった脆弱な人類へ、その神が直接「法外なる異能」を授けたという圧倒的事実。
――そして、その神授の奇跡を魂に刻まれた五名の超戦士による、人類史上初となるダンジョンへの「前転攻勢(逆侵攻作戦)」。
あまりにも荒唐無稽で、まるで三流のファンタジー小説か狂信者の妄想としか思えない発表内容。普段であれば一顧だにされず、一笑に付されていたであろう。
しかし、世界のいかなる超大国も、知性の粋を集めた首脳陣も、これを笑い飛ばすことは断じてできなかった。
なぜなら、日本政府が会見と同時に開示した複数の最高機密映像には、現代の量子力学や最先端の魔術科学の数式をどれほど書き換えたとしても「絶対に説明のつかない、絶対的な超常物理現象」が、逃げ場のない鮮明さで記録されていたからである。
いかなる観測機器も捉えられなかった、空間そのものがガラスのようにひび割れ、歪む怪異。
既存の魔法体系が定める『等価交換』の原則をあざ笑うように、虚空の「無」から完全なる「有」へと平然と受肉する銀髪の少女。
そして、国家最高峰の結界術式と最新鋭の自動防衛火器を、指先一つ触れずに一瞬で塵芥へと変えた、圧倒的なエネルギーの奔流。
地球上の全国家は、この瞬間に理解した。
これまで積み上げてきた軍事バランスも、外交カードも、富の序列も、すべては神の一呼吸で吹き飛ぶ砂の城に過ぎなかったのだと。
世界各国は色を失い、かつてない大パニックの裏側で、生存を賭けた冷徹な情報戦へと突入した。
■ アメリカ合衆国:ペンタゴン(国防総省)最深部の震撼
ワシントンD.C.、国防総省の地下最深部に鎮座する、核攻撃にも耐えうる最高警戒情報隔離施設(SCIF)。
鉄の匂いとサーバーの排熱が立ち込める緊迫した室内で、壁一面を埋め尽くす超大型スクリーンには、だらしなく最高級ソファーに寝そべり、ポテトチップスを囓る月詠霞の姿が、不気味なほど高精細に拡大投影されていた。
そのあまりにも場違いな少女の不敵な笑みが、かえって室内の異常性を際立たせている。
「――国家安全保障局(NSA)およびサイバー司令部、並びにローレンス・リバモア国立研究所の全知能を動員した分析結果を報告しろ。一秒の遅れも許されん」
統合参謀本部議長が、噛み潰した葉巻の灰を落とすことすら忘れた手で低く怒号を放つ。メインコンソールの前に陣取った首席情報分析官は、青白い顔に冷や汗を滴らせながら、震える声で資料を読み上げた。
「……映像、音声、および周囲の重力波・空間曲率のバイタルデータに至るまで、改ざんや高度なホログラムを用いた欺瞞の可能性は『ゼロ』。完全に否定されました。彼女が現れた瞬間、周囲の熱力学第二法則が一時的に破綻しています。結論を申し上げます。確認された空間超震動および未知のエネルギー波形は、現在の我が国の全国家予算を国家プロジェクトに投入し、一世紀の時間を費やしたとしても再現は不可能です。……日本政府の発表内容は、誇張抜きの『完全なる事実』です」
その言葉が落とされた室内に、氷河期のような凍てつく沈黙が満ちていく。
「つまり、なんだ」
数々の修羅場を潜り抜けてきた老四つ星大将が、震える手で眼鏡を外し、絶望に歪んだ顔で呟いた。
「我々がこれまで聖書や神話の絵空事の中に押し込め、科学という光で駆逐したはずの『神』という怪物が……本当に、この現代に、実在するということか……!」
誰もその問いに答えることはできなかった。
ただ、スクリーンの中の銀髪の少女の、底知れない、人類を微生物か何かのように見下ろす神秘的な瞳だけが、それが抗いようのない「現実」であることを無言で突きつけていた。
「至急、在日米軍およびCIA東京支局を通じて、日本政府への情報アクセスを最高レベルに引き上げろ。だが、絶対に、万が一にも高圧的な態度を取るな。核の威嚇も経済制裁も意味を成さない。我々が対峙しているのは日本という国家ではない、その後ろでスナック菓子を食べている『絶対者』だ。これまでの超大国としてのプライドはすべてドブに捨てろ!」
■ 中国:国家安全保障会議(中南海)の焦燥と打算
北京、厳重な警備に守られた指導部が集う暗き会議室。
重厚な円卓の上には、日本国内に潜伏する特級工作員たちが命懸けで奪取した記者会見の生データと、幾重にも及ぶ心理分析・戦術予測資料がうず高く積まれていた。
「日本が、世界に先駆けて『神』との直接接触、および事実上の軍事同盟……いや、契約に成功した」
議長が重々しく発したその一言は、室内に集まった人民解放軍の将星たち、そして政治局常務委員たちの胸に、鋭いナイフのように突き刺さった。
世界の覇権を争う彼らにとって、この発表は最悪の地殻変動に他ならなかった。
「最大にして最悪の問題は、その神の恩寵、すなわち世界を書き換えるほどの『力』が、現在『日本という単一国家にのみ』独占的に与えられているという点だ。もし明日の作戦で、日本のあの五人の『神授能力者』たちが圧倒的な成果を収めれば、彼らのダンジョン資源回収能力、ひいては軍事的能力は我が国を遥か彼方へと引き離し、一躍世界の絶対的頂点へと君臨することになる」
情報部の特級分析官が、血の気の引いた声で報告を続ける。一人の軍有力者が激昂したように円卓を叩いた。
「日本政府は『軍事利用はしない。あくまで純粋なダンジョン攻略による人類の生存圏拡大が目的だ』と欺瞞のメッセージを発信しているが、そのような綺麗事を誰が信じるか! 神の権能をその身に宿した『歩く戦略兵器』が隣国に5人も誕生したのだぞ! これ自体が我が国の安全保障に対する、建国以来最大級の脅威だ!」
大国としてのプライドと、先を越されたという猛烈な焦燥が交錯するが、人類の理を超えた「神」の前には、如何なる近代兵器も、数百万の軍勢も無価値であった。彼らにできたのは、一刻も早くその「異能」のメカニズムを盗み出すべく、対日スパイ工作の全リソースを解放することだけであった。
■ ロシア:シベリア地下要塞における冷徹な狂気
永久凍土の地下深くに建設された、かつてのソ連時代から続く極秘軍事科学アカデミーの実験室。
ここでは、白衣を纏った異端の天才科学者たちと、勲章で胸を埋め尽くした歴戦の将校たちが、月詠霞が自衛隊の超合金製の銃身をプラスチックのように容易くねじ曲げた瞬間のフレームを、肉眼では捉えられないほど超スロー再生し、血走った目で何度も検証を繰り返していた。
「……美しい。実に、神をも恐れぬ美しさだ」
老科学者が、モニターに吸い込まれそうなほど顔を近付け、狂気的な笑みを漏らす。
「これは既存のいかなる高位魔術の術式でもなければ、我が国が誇る最新鋭のプラズマ・電磁パルス兵器の類でもない。文字通り、空間の座標、物質の結合度、そして世界の『法』そのものを指先一つで直接書き換えているのだ。もし、このような超次元の概念を、人間に『ダウンロード』できるのだとしたら……これまで人類が積み上げてきた戦術、近代兵器、大陸間弾道弾、師団運用、そのすべてがただのガラクタ、無価値な粗大ゴミに変わるぞ!」
傍らに巨像のように直立する将軍は、冷徹な目で画面を見つめたまま、地響きのような低い声で応じた。
「だからこそ、我々には生々しい戦果のデータが必要だ。日本が手に入れた『神授の力』が、どれほどの密度を持ち、ダンジョンの怪異をどこまで一方的に蹂躙できるのか。明日の正午、人間の皮を被った神の兵器どもが、どれほどの地獄を現出させるのかを、この目で見極めさせてもらう」
■ ヨーロッパ各国、そして全人類を支配する「絶対的畏怖」
ロンドン、パリ、ベルリン――歴史的に「宗教」と「神」という概念の重みを背負い続けてきた欧州の列強首脳陣もまた、深夜の緊急ビデオ回線でパニックに陥っていた。
神の実在は、世界の経済だけでなく、全人類の精神構造や思想をも崩壊させかねない劇薬だったからだ。バチカンは即座に祈祷を捧げ、哲学者たちは沈黙した。
しかし、混迷を極める世界において、あらゆる国家の指導者、冷酷な軍戦略家、そして最先端の研究者たちが、完全に、そして一片の異論もなく一致した、ただ一つの「冷徹極まる共通認識」があった。
――あの『月詠霞』という存在とだけは、人類の歴史が滅びるとしても、絶対に敵対してはならない。
日本政府が示した映像の端々に滲む、圧倒的な強者の余裕。
気まぐれに人类を滅ぼすことも、救うこともできるその超越性。もし彼女がその気になれば、大陸を一つ消し去ることなど、羽虫を払うよりも容易い。
その絶対的な絶望の上下関係だけは、全人類が本能的に理解していた。
そして。世界中が文字通り息を呑み、固唾を吸って見守る中、地球上のすべての思考、すべての関心は、明日の正午に予定されている「ただ一つの審判」へと収束していく。
「まずは、日本の特別攻略部隊による『最初の結果』を見る。世界の行く末を決めるのは、その後だ」
神の力を得た五人の人間。彼らが本当に、これまで人類の刃が届かなかったダンジョンの底知れぬ深淵を切り裂き、蹂躙し、完全なる勝利をもたらすことができるのか。その戦果の如何によって、人類の、そして地球の未来の地図は文字通り書き換えられる。
日本の神奈川第二ダンジョンで始まろうとしている、人類の反撃の初陣。その運命の幕が上がるのを、世界中の超大国たちが、己の存亡を賭けて、息を潜めて静かに見つめていた。




