34 さて
春菜は目をさまして、自分がまたもやベッドに寝かされていることに気づいた。
一瞬、交通事故からこっちは全部夢だったのかとうんざりしかけたけれど、よく見たらここは病院じゃない。病院の壁に天使のエッチングなんか飾られているはずがない。
着ているのはパジャマだった。起き上がろうとして、左腕の激痛に思わずうめいた。と、壁の向こうからあわてて走ってくる足音が聞こえた。ドアが開いて、春菜の母親があらわれた。
あっ・・・。
と互いの視線がぶつかった。
よく生きていてくれた。と母親が言いたがっていることが春菜にはわかった。春菜が同じ言葉を言いたいから。一度は死んだと覚悟した母親なのだ。しかしあんまりほっとして胸が痛いのと何か言ったら泣き声になりそうなのと照れくさいのとで、結局二人とも黙って互いの顔を見つめあい、結局母親が、わかりきったことを言って口をきった。
「目が覚めたね」
そろりとベッドのそばまでやってきた。
「二日寝とったとよ。ここがどこかわかるや」
「いいえ・・・。病院じゃなさそうですね」
「ここハイビスカスホテルよ。スイートルームだって。二人しかおらんのにベッドの部屋が三つもあってもしょうがないが」
ということは首相のあとに入れてくれたということか。
「お母さんお金払えるんですか」
「うんにゃ、サービスって、ホテルの」
「サービス? ただ? どうして」
「そりゃあね・・・」
母親は変な顔をした。
「地球の救世主からお金はもらえませんって」
救世主?
「高千穂じゃあんたの銅像たてるとか言いよるが。観光に使うっちゃろうもん。あんたがここにおることわかったら大変よ。今TVでもものすごいかいね、あんたを探して大騒ぎよ。ついでにわたしも探されよるわ。親子でアメリカのホワイトハウスに呼ばれてるんじゃないかとか、地球には今おらんとか、そんなん」
「ああ・・・」
試験に合格してよかった。落ちてたら大変だった。今頃おもてを歩けなくなってる。
「あんねぇ。高千穂の家焼けたのよ」
「・・・・・あぁ」
焼けたんじゃない。焼かれたんだろう。
「TVでね、あんたがこの五日間、どんなことをしてたか説明がありよるわ。・・・えらい目にあったね。あんなひどい試験てあるとや? 地球人だって同じ人間なんよ。なんで他の人類にちょっかいだされないかんと。なんであんたが選ばれないかんと。どうしてあんたばっかりいつもひどい目にあうと」
「そうでもないですよ」
春菜は頬をひっかいた。
「終わってしまえばおもしろかった、と思います」
「春菜! 本当のことをテレビで見たんだよ。本当はコガタリはいたんやろ。あんた以外の人間から記憶を消してしまったんやろ? あん時お母さんがあんたを精神科に見せたせいで、分裂症だなんてことになって、ひどい噂されて、どれほどくやしかったか。
コガタリ以外のことじゃあんたはまったく普通と同じだったし、勉強もよくできたんだからね。みんなコガタリのせいやわ。あの宇宙人のせいだよ。今度あんたが試験を受けるはめになったのもあの宇宙人のレポートのせいだったんだろ! 気味の悪い!」
なにもかもが、公になってしまってるんだな。
「あの・・・恐竜が進化した星の・・・宇宙人が、浜から海に入っていったんだけど、どうしたとか、知りませんか」
「恐竜!?」
母親は習慣となってしまっているように、春菜の顔を、正気を疑うように見て、思いなおしたように首を振った。春菜を疑う必要はもうない。
「そう、恐竜が進化した宇宙人がおったのね。でもテレビではそういう話はでとらんかったからお母さんもわからん」
「ああ・・・。それじゃ、古語君は?」
母親は顔をゆがめた。
「コガタリ? 星に戻ったわ、あの宇宙人は。・・・・・・春菜? どうしたとそんなひどい顔して。どこか痛いとや? ・・・泣くほど痛いとや? お医者さん呼んで来ようか」
カタンと窓ガラスに何かぶつかる音がした。反射的にそっちの方を向いて、春菜は古語が羽根を広げて宙に浮いているのを見た。
春菜は考えるより早く窓にかけより、腕の痛みを忘れて窓を開け、古語に向かって両手をのばし、そして我にかえって手をひっこめた。
手はだめだったんだっけ。
ところで古語の方では小さい窓に羽根を広げたままでは入りにくいので、春菜の伸ばしてくれた手をこれ幸い、ひっぱってもらおうとしていた。そこで羽根をたたみながら手をのばし、つかもうとした手が、突然ひっこめられた。ので、ホテルの壁を手と顔でザリザリザリとひっかきながら、十メートルも下降した。
再び浮上してきて、今度はちゃんと引っ張りいれてもらった古語は、顔をすりむいて黄色くしていたが、そんなことは気にもならない様子で、春菜の顔を見つめた。
「目が覚めたんだな」
「よく来てくれましたね!」
歓迎の挨拶を口にしたのは母親だった。
「ほら、春菜、ぼっとしてないでお礼言いなさい。おまえをここに運んでくれて、しょっちゅう様子見に来てくれたんだよ。地球とのお話し合いでお忙しいのにねぇ。テレビで会見されてるの見ましたよ。
もう、春菜、お茶だして、ああ、いいわ、お母さんお茶の用意するから座ってもらって。お世話になったんだから。本当にありがとうございます。ずっと助けてもらってたんですってねぇ、テレビで見ましたよ。本当に春菜のようなのが試験に合格したのも、調査員の方のおかげですよ。
ほら、春菜、顔をすりむいてらっしゃるじゃないの。なめてあげたら? あんたが役に立ったのってあれだけじゃないの」
春菜の顔に血がのぼった。
あんなことまで・・・。
「ほら、なめてさしあげなさいよ」
「いいんです!」
古語の声が上ずっている。
「こんなものは、勝手になおりますから、はい、ほんとに」
「そうですかぁ? すみませんね。この子は本当に恩知らずで」
母親はお茶の準備をしにキッチンに消えていった。
春菜はやっと目をあげて古語の顔を見た。古語は急いで首をふった。
「いい! 本当にいいから!」
「・・・・・しませんよ」
「・・・あ、そう?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「星に帰ったって・・・」
と言いかけて、それは母親の誤解だったんだろうと気づいた。
「あの、もしかして、あなたがコガタリ君だってことはお母さん知らないの?」
「ああ。一般に公表されているのはごく一部だから。君が、地球を助けるために自分をさしだそうとしたあたりまでだな。そこで合格になったことになってる」
「あ・・・そうなんだ」
ということは、あの浜辺の件は・・・。よかった、あんなこと公表されたら別の意味でおもてを歩けない。
「それでお母さん、島村先生のこと知らなかったんだ。先生は・・・」
と聞こうとして、古語に緊張が走ったのを感じた。
あのまま、戻らなかったんだ・・・。そうだとは思ったけれど、やっぱり・・・。
優しかった島村のことが思い出されてくる。結婚を申し込まれたときのことや・・・。
そんなすごい星のえらい人が、私なんかを好きになってくれた。それよりも、あんなに、うちの星の生徒たちを可愛がって親身になってくれた。
涙があふれて止まらない。
「あ、いや、違う」
古語が言った。
「島村さんは戻ってくるよ。海の中に島村さんの船が沈めてあったから、その中でもう一度変化をやりなおすんだ。百日かかるけど」
「・・・・・」
早く言え。
「じゃあ、千佳さんは?」
「それを言ったら喜んで、学校行きながら待ってるって」
「島村先生、まだ先生を続けられるの?」
「いや・・・それは・・・。そうでなくても二年ここにいたんだ。いくら寿命の長い種族の方でもこれ以上は難しいんじゃないかな。
地球が我々の仲間に入るにあたっての橋渡し役としてしばらくは地球と本部の間を行き来することになると思うけど。・・・島村さんに戻ってきてほしいの?」
「そりゃあもちろん」
「・・・君はあの千佳って子には勝てないと思うよ」
「勝てない?」
「あの子は、島村さんについて行くって言ってた。どこにでも行くって。地球人なんか一人もいないところにでも」
さすが千佳さん。
でも勝てないっていうのはどうして? 私だって、古語と一緒にどこにでも行くって言ったのに・・・。
・・・連れてっては、もらえないんだろうか。
「あ、そうだ。君の喜びそうな話がもう一つある。あの猫だが」
「ニャン吉?」
「そうだ。真実がわかって、仲間たちが探してる。山の中にいるはずだからすぐに見つかるだろう。おまえを助けたというので地球人の間では英雄扱いだし、仲間たちも喜んでるんだ」
「ほんと! よかった!」
喜んでまた涙をにじませる春菜を古語はじっと見た。春菜の言葉を待つように。
が、それに春菜が気づく前に、母親がお茶を持ってきた。
「ごめんなさい、お茶うけが何もないの。今外に出られる状態じゃないから、何も買ってなくて」
「あ、すみません。お母さんにまで大変なご迷惑をおかけしました」
「いいんですよ! あなたがあの放送前にかくまってくれたおかげでこうやって無事でいられるんだし、何より春菜を助けてくれたんですからね! あなたは我が家の恩人ですよ! 悪いのはコガタリです! あいつのおかげで我が家は呪われたんですよ! 小学校の頃はいじめられて、中学の頃は病気扱いされて! 今度は家まで焼かれて! もう、殺してやりたい!」
「「・・・・・」」
古語は、ソファに座ろうとした形のまま固まった。
「本当にね、うちの人だって春菜のことを心配して心配してそれで死んでしまったようなものですよ。だいたい今度春菜がこんな目にあったのだって、コガタリが妙なことを書いていたからなんでしょう? あの、春菜に、妙な感情を持ったって、なんかそんなことをテレビで言ってましたけど、本当ですか? 宇宙人に好かれるなんて! 気味の悪い!」
十二年間押さえつけていた怒りを今こそ爆発させるのだとばかりに顔を真っ赤にさせている。
「ああ、もう、ごめんなさいね。どうにも、我慢ができなくて。本当に、春菜がこうやって生きててくれたからよかったですけどねぇ、私にはもう春菜しかいないんですから。・・・あら? どうされました? 地球の飲み物はだめでした?」
青ざめた古語を心配して、母親は茶碗を取ろうとした。
「い、いえ、お茶は好きです」
「どうぞどうぞ、おあがりになって。本当にねぇ、何かつまめるものがあればねぇ、せっかく来ていただいたのに」
「あ、食べられるものは・・・」
と言いながら、古語は軽く右手をふり、それを何故か途中であわてて止めようとしたのだが、カーペットの上にバラバラと、かつおぶし(丸ごと)と、するめと、こんぶ(袋入り)が落ちた。
母親は口をつぐんだ。お茶うけとしてはとんでもないが、宇宙人の好みにうっかり口をはさむと失礼になる。
「すみません、変なものを」
古語は真っ赤になりながら急いで取り集め、それを手に持ったまま、もとに戻そうともせず、歯をくいしばった。
あまりにも様子がおかしいので、春菜は両手をのばした。
「くれる?」
「・・・・え? ええっ?」
「いいだしがでると思うから」
「あ・・・、そうだね」
古語は春菜にそれを渡して、ソファに沈んでしまった。
さっぱりわけがわからない。
「あ、ええと、そうだ、調査員さん、お名前は?」
母親が聞いた。そのとたん、今度ははねるように立ち上がった。
春菜もひやりとした。
隠しておいたほうがいいのか、本当のことを言うべきか。
「わたしの、名前は、地球の方には発音できないと思います」
古語は言った。
「コガタリに関してご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳なく思っています。お嬢さんの記憶からだけは自分のことを完全に抜きたくなかったんでしょう。それがそんなことになってるなんて、きっと思いもしなかったんでしょう。愚かな男です。いくらおわびしてもおわびできません」
「いえいえ、悪いのはコガタリですからね」
「お母さん!」
「何よ大きな声出して」
「お母さん忘れてるけど、コガタリ君は私の命を助けてくれたんだからね」
「そりゃそうだけど、あんた気持ち悪くないの? 宇宙人があんたに変な気持ち持って・・・」
「お母さん!」
「何よ、さっきから」
「私は、コガタリ君が、大好きなんです。今回のことだってコガタリ君が悪いんじゃなくて、コガタリ君はただ私をほめてくれただけなんです」
母親は、ふう、とため息をついた。
「おまえがお人よしだってことだろ? おまえがそんなにお人よしじゃなければいいのにってお母さん時々思うよ」
がたん、と古語が立ち上がった。
「帰ります」
「まぁ、ゆっくりしていってくださればいいのに。でもお忙しいんですものねぇ。お帰りはまた窓から?」
「はぁ・・・地上を歩くと目立ちますので」
春菜は古語を見つめた。行かないでほしかった。
「また来ます」
行きかけて古語はソファに足をひっかけて転びかかった。
「古語君?」
春菜は母親にするめたちを押し付けて古語にかけよった。
「あ、大丈夫大丈夫」
「なんか変だけどさっきから」
「大丈夫だから」
「あの、薬の件だけど、大丈夫なの?」
「ああ、島村さんが、松尾千佳の場合は我々が関わったが為に死んだんだから、薬品使用が許可されるって報告してくれたんだ。だから、わたしはおとがめなしになった」
「じゃあ、星屑には・・・」
「行かないでよくなった」
「・・・・・」
じゃあ、私が星屑に一緒に行くこともなくなったんだ。
春菜は古語の顔を見た。古語はさっきから春菜の顔を見ようとせず、挙動不審で落ち着かない。
あ・・・そうか。
古語は、もう星屑に行く必要がなくなって、それで、私に一緒に行こうと言ったことを後悔してるんだ。気持ちが、変わってしまったんだ。
そうだよね。宇宙の、偉い人なんだから。こんな偏狭の猿人なんかのために人生をだいなしにしたくないって、落ち着いて考えたら思うよね。
それを私にどう伝えようか悩んでるんだ。
「古語君、いいんだよ」
春菜は急いで言った。
「な、なにが!」
古語の声が裏返っている。
「私、地球がけっこう好きだし、高千穂に銅像が建つみたいだし、出て行きたくないかも」
「え?」
「故郷に帰れるんでしょ? いいよ。一人で帰りなよ」
古語の羽が、だらりと下がりながら広がりかかって、あわてて元に戻された。
「あ・・・か・・・ああ・・・」
古語は気が抜けたようだ。
ほっとしたんだろうか。寂しい。たまらない。もう会えないなんて嫌だ。だけど、古語を苦しめるよりはずっといい。
古語は春菜の目の奥に何かを探すように見つめた。春菜は口の端を持ち上げて微笑んで見せた。
古語君、愛してる、愛してる、愛してる。宇宙の向こう側に行ってしまっても、古語君がどこかにいるんなら、星がみんな私の為に輝いているんだと思えるよ。
古語は小さく息を吐いて目をふせたが、歯を食いしばり、気を奮い立たせるようにあごを上げると、右手を持ち上げた。
「最後に、握手が、したい」
最後に・・・!
あふれそうになる涙をこらえて、春菜は古語の指に指先で触れた。指先から炎がふきだして全身を焼くようだ。
焼けてしまえばいいのに。今焼けてしまえばいいのに。
古語は春菜の手を握りしめた。
そしてその手はあっけなく離れた。
「じゃ、わたしは、これで」
古語は跳びかかるように窓に向かい、窓枠にぶつかって、倒れ掛かった。春菜は思わず古語の服の背中をつかんだ。
「疲れてるんじゃない? もう少しだけでもここで休んでいったら? もう少しだけでも。ほんのちょっとだけでいいから」
「あ、いや、大丈夫。あの・・・・また、来たい。わたしが星に戻る前に、また来てもいいかな」
春菜はほっとした。これが最後の別れじゃない。まだ大丈夫。まだ大丈夫。
「もちろん。待ってる」
古語は落っこちるように出て行き、地上ぎりぎりに体勢をたてなおしてばっさばっさと飛んでいった。春菜はその姿が点になっても、ずっと見送った。
「・・・春菜?」
「わっ、びっくりした!」
母親を忘れていた。ものすごく変な顔で春菜を見ている。
「何?」
「あんたさっきあの人の名前・・・」
「何よ」
「いや、いいんだけどね」
母親はじっと両手いっぱいのするめと鰹節とこんぶを見つめた。
「・・・・・婿養子じゃだめかね」
「お母さん、わけわかんないことばっかり!」
「あのね、さっきそっちにかつおぶしおと一緒に落っこちてたんだけどね」
母親はテーブルの上をあごでしゃくった。箒を持ったおじいさんとおばあさんの小さな人形が置いてある。
「何これ」
「高砂人形だと思うんだけどね」
「何それ」
「あの人日本のしきたりをよく調べたんだね」
「もう! わけわかんない!」
「桜茶を用意しておかなきゃならないね」
「お母さん!」
「いいから、あんたは、首相官邸に電話して、さっきの人が戻ってきたら、ここに電話するように伝えてもらいなさい」
「電話してもらってどうするのよ」
「お母さんが話があるんだから」
「どんな!」
「あの人がまずお母さんに言わなきゃならないと思い込んでる話があるの」
わからない。
春菜はあきらめた。
もう疲れた。もう何も考えたくない。私は休んでいいはず。
春菜は古語のくれたするめを一枚胸に抱くと、ベッドに戻り、もう一度目をつぶった。
了
やっと終了です。最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
けっこう読んでいただいているようなのですが、実は評価も感想もまだ全く無くて、心配しています。読んでくださった方、できましたら感想をお願いします。長いしつまってるし漢字は多いしで、読みにくいところがあったのではないでしょうか。
ところで、話の中に島村先生が出てきます。私は、男性の登場人物にたいてい島村慎治とつけてしまうので、ペンネームもその名を借りたのです。
作品を掲載する際、島村先生の方の名前を変えておこうと思っていたのにきれいに忘れてそのままにしてしまいました。作者と同じ名前なのはただそれだけのことです。
そして、手塚治虫ファンの方、お気づきでしょうか。この話にはWSのネタがもりこんであります。
気づかれた方、いらっしゃいますか? WSは本当に見事な話ですよね。
それではまた。