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19 楽譜《スコア》の名前 side華音



 今日は、キョウジのコンクール地区予選。


 来てほしいってキョウジが言ってくれたから会場まで来たけど、あたしでよかったのかな。

 ほんとは、葉月さんに来てほしかったんじゃないかな。



 入り口でコンクールのプリントをもらったけど、そこで足がすくんじゃって、シートに入れない。


 エントランスのソファに腰を下ろして、時間だけが過ぎていく。


 防音の施設とはいえ、中から音が漏れ聞こえてくる。


 テンペスト、月光……今回の課題曲はベートーヴェンのソナタのなかから一曲を選ぶと書いてある。



 もうすぐ、キョウジの出番。


 うつむいて座ったまま動けずにいたら、誰かが歩み寄ってきた。


「お加減が優れないんですか?」


 顔を上げると、見覚えのある男の人が、ペットボトルの水を差し出してきた。

 レオの幼稚園のお友だち、ミツキちゃんのパパだ。


 なんとなく、水を受け取る。


「えと、ミツキちゃんのパパ、danke(ダンケ)

「はい。初田ミツキの父です。こんにちは、レオくんのお姉さん。具合が悪いのなら、救護室に行くといいですよ」

「あ……いえ、ええと」


 なんて説明したらいいんだろう。


 迷っていると、初田さんは言った。


「もしかして、響司くんとケンカでもしましたか?」

「キョウジを、知ってるの?」



 初田さんは人差し指を左のこめかみのあたりにトントンして笑う。


「先月、響司くんに、プレゼントを買うお店を紹介してほしいとお願いされまして。友人のセレクトショップに案内しました」


 とっさに、キョウジからもらったバレッタにふれる。


「響司くんは、ミツキが通っている音楽教室の先輩なんですよ」

「そう、なの」


 意外なところでつながりがあってびっくり。


「それで、どうしてここに? もうすぐ響司くんが演奏する時間ですよ」

「…………あたしにそんな権利、あるのかなって」


 キョウジの演奏を聞く権利、ここにいる権利。

 ないような気がしてくる。


「はて。このコンクールは一般入場は自由ですが。彼女さんが聞いてくれなかったら、寂しいのではないですか?」


 あごに手を当てて考える初田さん。


「でも、かたちだけ、だから」


 ずっと悩んでいたこと、うっかり言ってしまった。


「……話してみてください。これでも精神科医です。聞いたことは誰にももらしません」


 初田さんはあたしの斜め向かいのソファに腰を下ろした。

 落ち着いた語り口で、おだやかで。

 ほんとうに、誰にも言わないでいてくれる気がして、少しだけ話す。


「……あたしとキョウジ、わけがあって、恋人のふりしてた。でも、さいきん、嘘吐く理由、なくなったの。だから……ふりは、終わりにしないとって、思って」


 言葉にしたら、涙が出てきた。


 うつむいてしまったあたしに、初田さんはきれいにアイロンがけされたハンカチをさしだしてくる。


「なぜ人は、見えないものにこだわるのでしょうか」

「え……?」


 初田さんは自分の左胸に手を当てる。


「十五年前のことです。はとこの少女と出会いました。その子は難病を抱えていて、家族では治療ができないので、わたしが引き取り闘病を支えることにしました」


 この人ならそれくらいはしそうだと、なんとなく思った。初田さんは続ける。


「そして闘病生活の末に、少女はわたしの仕事を手伝いたいと言い出しました。高校卒業後に資格を取って、クリニックを助けてくれました。そして五年前、わたしはその子と籍を入れて夫婦となりました」

「それが、ミツキちゃんのママ?」

「はい。名前をつけようがない生き方をしていたと思います。兄妹ではない、親子でもない。けれど恋人というわけでもない」


 医者と患者というには近い、けれど、恋人ではない。


「関係なんていう形のないものに、どんな呼び名をつけようと、意味はないのですよ。大事なのは、気持ち。あなたの目に見えているものです」


 初田さんはあたしのバレッタに視線を移す。


「SNSが発達した時代ですから、おめでとうのスタンプひとつで事足りるんです。でも、響司くんはお店まで足を運んで、一所懸命悩んで、バレッタをあなたに贈った」


 

 初田さんの言葉は、不安に潰されそうになってたあたしの心にしみてきた。


 そう。

 おめでとうの一言だけで済ますことだってできたのに、キョウジはあたしに贈り物をしてくれた。


 もらったとき嬉しくて、飛び跳ねたくなるくらいだった。


 終わるのは、離れるのは、嫌。


 もっと、一緒にいたいよ。

 キョウジのそばで、キョウジが弾くピアノを聴いていたい。



 初田さんはスーツの上着から懐中時計を出して劇場の扉を見る。


「そろそろです。さあ、行きましょう、レオくんのお姉さん。終わったら響司くんをカフェにでもさそうといいですよ。ここのケーゼクーヘンは絶品ですから」


「……danke(ダンケ)。ミツキちゃんパパ、すごいセンセね」

「光栄です」



 心はここに来たときよりも晴れやかで。 


 あたしはゆっくりと立ち上がる。

 扉を開けて、空いた席に座る。


 キョウジが名前を呼ばれて、ピアノの前に歩み出てきた。

 キョウジの演奏が、はじまる。


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