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20 優しき愛《ツェアトリヒェ・リーべ》

 コンクール当日。


 父さんが地区予選会場まで車で送ってくれた。

 控室にいると、他の奏者の音がきこえてくる。

 壁越しに聞こえるだけでもみんなうまい。


 テンペスト、月光、ソナタ四番……。


 予選の課題がベートーヴェンのソナタのいずれか一つだから、みんな速さや技巧を見せられる曲を選んでいるようだ。


 ……弱気になっちゃ駄目だ、芯を強くもっていかないと。


 ついに僕の番がきて、ピアノの前に座る。




 華音は、もう終わりにするべきなのかなって、体育祭の日に言っていた。

 そんな華音に、来てほしいとお願いした。


 華音には、僕のわがままを叶える義理なんてない。

 僕らは、形だけの恋人なんだから。




 

 静かに息を吐いて、大地先生に教わった全てを音にする。


 時間にしてほんの数分なのに、何時間にも感じる。


 最後の一音を弾き終えたとき、ドッと汗が出た。


 ミスなくできただろうか。

 勝てるだろうか。


 お辞儀をして顔を上げたとき、客席一番うしろの列に華音の姿を見つけた。



 ああ、来てくれたんだ。

 泣きたくなるくらい嬉しい。

 

 舞台袖に戻ると、大地先生がねぎらいの言葉をくれる。


「よくがんばったね」

「ありがとう、ございます」


「結果発表までは休憩してくるといいよ。併設のカフェがあるだろう」

「はい」


 ロビーに出ると華音が息を切らせて走ってきた。


「キョウジ!」

「華音」

 

 華音は足元まであるロングワンピースを着ていて、いつもより大人っぽく見える。


「来てくれてありがとう」

「うん、来た」


 会いたかった。

 会って話したいことが、たくさんあったはずなのに。


 うまく言葉が出てこない。


 沈黙をやぶったのは華音だった。


 僕の袖をひいて、オープンカフェを指す。

 


「あそこはいろ? ここのKäsekuchen(ケーゼクーヘン)、おいしいって聞いたよ」

「うん。行こうか」


 店の前の立て看板にはチョークで日替わりやおすすめメニューが書かれている。


 かわいらしい文字で書かれた『チーズケーキ&ガトーショコラ ドリンクセット』を見て目を輝かせる。


「これ! ふたつたのしめてオトクよ」

「でもカップル限定って……」

「いいの!」


 店員に案内されてテラス席に出た。

 晴れているから風が気持ちいい。


「これ、あたしはコーヒーで」


 華音は店員から渡されたメニュー表の表紙を指して即決。

「お連れ様はどうなさいますか?」と聞かれて、反射的に答える。


「僕も同じものを」

「かしこまりました」


 メニューを下げて、サービスで水を出してくれる。


 グラスの中で氷がまわり、パキンと音を立てた。

 表面の水がコースターに滴る。


 何を話そうか考えていたら、華音が急に左手を出した。


「キョウジ。お手!」

「犬かな」


 春先にみんなの前で、「キョウジは子犬ちゃんみたいに甘えてくるのよ!」と大嘘つかれたことを思い出す。

 あのあとしばらくアダ名が子犬ちゃんだったんだよなぁ。


 言われるままに右手を差し出すと、華音が自分の左手を重ねてきた。


「うん。キョウジの手、おっきいね」


 そう言って、ふわりと微笑む。

 触れ合う手のひらがあたたかくて、落ち着かない。


 顔が熱い。

 心臓の音が嫌に大きく聞こえる。


 華音って爪先も手入れしてるんだなとか、肌白くてきれいだなとか、よけいなことを考えてしまう。


die(ディ) oma(オマ)が言ってたよ。手が大きくてやわらかいと、ピアノ向きなんだって」

「……む、向いてるなら、嬉しいな」


 思わず声がうわずってしまう。

 僕がこんなにも気にしてしまっているのに、華音は無邪気に笑っている。


「ベートーヴェン、いいよね。キョウジが弾く悲愴、すごくよかった」


 華音が静かに言う。


「うん。僕もベートーヴェンの作る曲、好きだよ」

die(ディ) oma(オマ)がね、寝る前によく歌ってくれたよ。ベートーヴェンの“Ich(イッチ) liebe(リーベ) dich(ディッチ)”っていう曲」


 ベートーヴェンの書いた歌曲。


 人を大切に思う気持ちがそのまま音になったような、あたたかくて優しい曲だ。


 華音は鼻歌でその旋律をなぞり、懐かしそうに目を細める。


「すごくぜいたくだね、プロの歌手がうたってくれる子守唄」

「ふふふ。あたしもう歌える。キョウジがお昼寝するときは、あたし頭ポンポンして歌ってあげるよ」


 華音なら、冗談でなく本気でやりかねない。

 次はどんなアダ名が増えるのか、想像しないほうがよさそうだ。


「じゃあ、華音が眠るときは僕が弾こう」


 冗談半分で言うと、華音は頬を赤らめてはにかむ。


「ほんと? やくそくね!」


 こんなにも楽しみにしてくれるなら、叶えてあげたくなってしまう。


「……うん。約束」


 嘘の関係でも、この約束を守りたい。


 この瞬間が終わらないでほしい。

 



 華音は結果発表の時間まで残ってくれて、一緒に予選突破を喜んでくれた。




挿絵(By みてみん)

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