フライングパン、フォレストピア、蜘蛛。
ロロたちと近衛騎士団の三人との試合が終わり、十五分ほど後の事。
客席に居た貴族たちにも、そろそろ帰り出す者が現れていた。
皆、拍子抜けしたかのような表情で。
「なんか、最後は呆気なかったな」
「うん。あの侍が、ただ歩いて、斬って、終わりだったね」
「近衛騎士団の方が凄かったよな、魔法」
「結果としては勝ったけど、大魔法使いって言われても、何かショボかったなぁ」
「あの巨大な骸骨は少し怖かったがね。やっぱり、ただのハリボテなんじゃないか?」
貴族やその家族、または騎士団の下位の者たちは、ロロたちが勝った事に納得がいかない模様だ。
帝立魔法学園に通う生徒たちも、何やら興覚めといった雰囲気である。
授業ではティナ・シールの派手な広範囲氷結魔法を見ていたため、今回もそれが見れると思っていた矢先に、ただの剣士がごく普通に勝ってしまったのだ。
そう、普通の者には、ムラサメは普通の剣士にしか見えなかった。
今日、この観客席にいる面子で、本当の意味でムラサメの強さを知った者は、数少ない。
だが反対を言えば、少数ながらもムラサメの強さと、それを扱えるロロの魔法を理解した者たちも居た。
各騎士団の上位者や、近衛騎士団のメンバーである。
近衛騎士団の団長セバスチャンと副団長は、試合が終わっても、座った椅子から動かずに、無言のまま固まっていた。
ムラサメが最後にオーバードライブの風船を斬った時の動きは、尋常ではなかったのだ。
試合が終わり十五分経った今、ようやく副団長が冷や汗を流しながら、セバスチャンに掠れた声をかける。
「……団長。勝てますか?あの侍」
「……わかんねえ。距離取ったらイケるかもしれんが、懐に入られちゃあ無理だな。
リリス斬った時くらいの動きならギリ勝てるが、オーバードライブ相手にした時ぁ、さらに一段ギア上げやがった。底が知れねぇ」
セバスチャンは、両手で顔面を揉み、凝り固まった表情筋をほぐす。
副団長が乾いた笑いを吐きながら言う。
「私、団長に仕えて長年経ちますが、団長が勝利を断言しないのは、初めて聞いたかもしれません」
「だってお前ェ、アレが相手だぞ。なんだアレ。なんでアレが無名なんだよ。おかしいだろ」
「わかりません。百年前の英雄も眷属に居るらしいですし、もしかしたらもっと昔の人物なのでは」
「あ~、オイラぁショックだよ。
がんばって大魔法使いにまでなったってぇのに、まだあんなにヤベェ奴がいんのか。
世の中、広すぎんだろ」
セバスチャンは自棄になり、だらしなく椅子にもたれかかる。
周囲に居る近衛騎士団員たちも、声すら出す事が出来なかった。
皆、青ざめて立ち竦んでいる。
近衛騎士団の面々は、自分たちこそが強者だと疑っていなかった。
自分たちの上は、セバスチャンただ一人だけだと思い込んでいた。
しかし、つい先ほど目の当たりにしたのは、今までの常識を覆すほどの凄まじい剣技。
そして、イザベラの極大の炎を斬れたのは、おそらくは刀に施した魔法道具化。
あの侍は、技も魔法も、次元が違う。
そして、それを可能にしているのは、ロロの異常なまでの大規模な死霊術。
ロロの力は、もしかしたらセバスチャンよりも更に上かもしれない。
しかも、英雄クラスの眷属が他にもまだ控えているとのことだ。
今回は近衛騎士の代表三名が戦ったが、仮に五十名全員でかかっても、勝利は怪しい。
それ程のものを、見せつけられたのだ。
あの侍の一撃は、避けられない。
ひとりひとり、ただ順番に斬られて終わるだけだろう。
試合を行ったオーバードライブたち三人は、未だ帰ってこない。
だが、それを言及する者は誰一人いなかった。
もし自分が同じ立場ならば、悔しさで涙するだろうから。
そして、それを誰にも見られたくないから。
その頃、まだ観客席に残っていた第一騎士団では、エリザベスと、デイズの姉、その他数名だけが、ムラサメに圧倒されていた。
エリザベスが、苦虫を噛み潰したかのような声を出す。
「ん~……。
んんんー!
んあああああ!
何だあれ!何だよもう!
あそこまでとは思ってなかったよ畜生!」
エリザベスが頭を抱え、叫び出す。
ムラサメの強さを知っていたつもりだったが、実際は予想よりも遥かに上のレベルであったのだ。
偵察兵たちがエリザベスに、狂人を見るかのような目線を向ける。
「ようよう、団長、どうしたんだよ。あんなの、ただ歩いて斬っただけじゃんよ」
「そうだぞ!団長の竜巻に吸い込んじまえば勝てるだろ!ガハハ!」
偵察兵たちの発言に、目を剥いて驚愕するエリザベス。
彼らは、分かっていない側らしい。
「うおお!マジか!お前らマジで言ってんのか!
そうだよな!偵察飛行部隊は戦わないもんな!
アレは戦いに身を置いてないと理解できないよな!
でも相手の力量が分からん偵察兵とか駄目じゃねえか!
帰ったら特訓な!」
エリザベスからの突然の謎の叱咤。
偵察兵の二人は、互いに顔を見合わせる。
「えっ?俺ら、何かしたかよ……?」
★
キールは、分厚い木の板で出来た机を、指で叩いた。
暗い部屋の天井に吊られたランプが揺れる。
光源と共に、キールの影が一緒に右往左往する。
向かい側に座り、地理の本を読んでいたスウォームが、顔を上げた。
「何だい?」
「お前の目的は何だ。マンイーターになってまで、何がしたい」
現在、スウォームの手下が、マンイーターの薬の材料を必死で掻き集めている所だ。
その後、裏社会の錬金術師が薬を調合する手筈となっている。
スウォームは、本を音を立てて閉じ、机の上に置く。
スウォームが揺れるランプの明かりの下で、口を開いた。
「まず、前提として、私は他人よりも魔法の力が弱い」
キールは黙って聞いている。
キールの横に座っている、ミーシアも黙って聞いている。
「だから、仕方が無く虫を操るようになった。人間を操るのは無理だから。でもね、子供の頃から、ずっとコンプレックスだったんだ」
「要点を言え」
「まあまあ、聞いておくれよ」
スウォームの全身に身に付けられた宝石が、ランプの明かりを反射して光る。
この美しい男にも、コンプレックスがあったのだ。
しかし、キールはそんな事には微塵も興味が無かった。
スウォームは、キールの様子には気にせず、勝手に喋り続ける。
「結果としてね、虫を操るようになったら、人を操るネクロマンサーよりも、情報が手に入りやすくなったんだ。これも不幸中の幸いって言うのかな。ははは」
スウォームは笑う。
だがこれは、嘘の笑いだ。
「でもね、コンプレックスってのは消えないんだ。どんなに権力を持っても。学生時代のいじめっ子を始末しても。たぶん実際に強くならないと、消えない」
「それでマンイーターになろうと思った訳か」
人食いの化け物になってまで、力を欲したスウォーム。
そこだけは、キールも理解できる。
キールも力が欲しいからだ。
化け物になったとしても。
「うん。でも、ここまでが動機。ここからが手段の話」
「手段?マンイーターの薬を飲むってのが手段じゃねえのか?」
「半分正解かな。マンイーターになった後、何をするのかって話さ」
「……聞かせろ」
ようやく本題に入ったスウォームに、身を乗り出して凄むキール。
だがスウォームには、キールの脅しなど効かない。
「この大陸で、一番強いのは誰だと思う?」
「あん?帝国の近衛騎士団長のセバスチャンじゃねえのか?」
「これも半分正解。正しくは、帝国そのものだよ」
「ああ、まあな」
この大陸を百年前に、ほぼ統一した帝国。
今なお、君臨し続けている。
例外としては、帝国の南に位置する砂漠に遮られた、このフライングパンと、その周辺国。
そして、もう一つ。
帝国の東に位置する、魔の大森林に遮られた、森の国家群『フォレストピア』だ。
魔の大森林は、この大陸の半分以上の木々が集まっていると言われる、地平線の遥か彼方まで広がる密林である。
獰猛な獣が多種生息し、また、獣よりも更に恐ろしい、疫病を持つ蚊やダニがうじゃうじゃと居る。
フォレストピアに辿り着くには、たった一本だけ走っている、森の中の街道を通らねばならない。
なお、街道を無視して森の中に入ったら、いかなるものでも生きては出られないと言われる、迷いの大森林だ。
森と砂漠、二つの例外を除き、大陸の天下統一を果たした帝国こそが、最も強いというのがスウォームの理論らしい。
「ああ、帝国そのものが最強ってのは、わかった。それで?」
「帝国、潰したくないかい?」
キールの動きが止まる。
ミーシアは、ごくりと唾を飲み込んだ。
キールの頬を汗が一筋伝う。
暑さのせいだと思いたい。
「……それが最終的な目的か?」
「うん」
「マンイーターが数人増えた程度じゃ、帝国は落とせない」
「落ち着きなよ、キール。さっきも言ったじゃないか。マンイーターになった後、何をするのかって話。手段の話」
「だから、手段ってのは何だよ。薬を飲むだけじゃねえのか」
「フォレストピア」
スウォームの口から、急に別の国名が述べられた。
「あん?フォレストピアがどうしたってんだ」
「あそこ、秘密主義だよね。キール、行ったことあるかい?」
「無えよ。近づいただけで殺されるんだぞ」
フォレストピアは厳重な秘密主義国家で、魔の大森林に走る唯一の街道は、フォレストピアの街道警備隊に占拠されている。
フォレストピアに近づくものは、例外なく攻撃魔法の雨を食らう事になる。
スウォームが口を開く。
「私、フォレストピアの上層部とも繋がりがあってね。一応、話は付いてるんだ」
「何の話だ」
「一緒に帝国を潰そうって話さ」
キールとミーシアに緊張が走る。
これは、聞いたら引き返せなくなる話だ。
いや、もう既に後戻りはできない場所にいるのだろうが。
スウォームが続ける。
「私たち側の現在の軍事力はこうだ。フライングパンのS級冒険者。フォレストピアのS級冒険者と大魔法使い。二つの国のA級以下の冒険者たち。二つの国の軍隊。でもこれだけでは、帝国には勝てない」
スウォームは、先ほどまで読んでいた、地理の本を指で叩く。
「しかし、そこにマンイーターとなった私たちが加わる。その際には……」
スウォームは、地理の本のページをめくる。
いや、違う。
これは地理の本などではない。
表紙だけ取り換えた、別の本だ。
禁書。
フライングパンの禁書。
『固有種目録』
歴史上、まれに突然変異で生まれる強力な獣の個体。
魔王、魔神と呼ばれる類の個体の記録本。
スウォームが、固有種目録の、あるページを開いた。
「……その際には、フォレストピアが秘匿している、こいつの死骸を譲り受けることになっている。
マンイーターになり、多くの人間を食らった私なら、蘇らせることができるはずだ。
これで帝国の軍事力を一気に超えられる。
かつて、魔の大森林を根城とし、人間を食い漁り、その果てに人類を家畜化しようとした、天空を走る稲妻の魔神」
そのページには、巨大な蜘蛛の死骸の写真が印刷されていた。
「雷蜘蛛だ」




