11.新たなる非凡な僕私-1
─紅の妖精編─
~入学、新たなる非凡な僕私~
「ん……」
朝の日差しが瞼の隙間から差し込み、不意に襲った眩しさに夕凪 優は目を覚ました。
今日は新たなる門出となる記念すべき日、ビフレスト学園入学式当日である。
サクラノ宮全体を騒がせたモノレールハイジャック事件からは、もうすでに一夜が明けていた。
上体を起こし、優は両手を上げて身体をぐぐっと良く伸ばした。
先日の死神との対峙、その他肉体を酷使する場面が何度かあったために、そこそこに体の方には疲れが残っているかと思いきや。
優の晴れ晴れとした表情を見るに、どうやら然したる疲れは残っていないようだ。
「さて……」
程よく身体を伸ばすと、優は呟いて辺りを見渡す。
陽の光を受けて輝く、部屋一面に咲く桃色の家具の数々。
率直な話、女の子……いや年頃女子以上にメルヘン丸出しであり。
ビフレスト学園ミルズ支部学生寮――038号室。
ここが夕凪 優に与えられた、学園生としての自室であるのだが。
何も寮の部屋全てがこの様に桃色に彩られている訳ではない。
基本はアンティークでシックな造りをベースにビフレスト寮の各部屋は用意されてあり。ただ部屋のコーディネイト自体は各部屋主の自由となっているため、となればこれをやった犯人は部屋主である優……となる訳なのだが、当然優には全くと言っていいほどに心当たりはなく。
となれば、考えられる中でこれをやった犯人は、優には一人だけしか考えられなかった。
想像してみてほしい。部屋一面桃色の部屋に、突然今日からここが貴方の部屋ですよと、野郎一人で放り投げられる気分を。
自室な筈なのにまるで落ち着く事のない精神の乱れ。
昨夜、ようやく気を休める事が出来ると……この部屋へと一歩足を踏み入れ、この有様を見てまず優が呟いた一言は──、
『死んでください景さん』
死んだ魚の目をして、呆然と立ち尽くした優であった。
そんな優であったが、一晩も明ければ慣れた(吹っ切れた)もので。
「おはようクマ吉♪」
自らが横になっていたベッド、その横に腰を掛けるクマのヌイグルミ事クマ吉。
彼とも笑顔で朝の挨拶を交せるまでには慣れ親しんで(吹っ切れて)いた。
「んなわけあるか!」
ぼふっとベッドにぬいぐるみを叩きつけ、優は乱した呼吸の中。殺気立ちながらも寝床から抜け出し、洋服ダンスに向うと戸を開いた。
すると眩く発光したかのような錯覚の中視界に映ったのは、ゴシックな服やら……あと何故かアイドルが着るようなフリフリな衣類の数々。
まるでそちらには目もくれずに、優はその中から学園の制服だけを取り出すと、そっと戸を閉め、洗面所に向かった。
「さて……」
瞼を深く閉じると、寝巻である桃色のパジャマを脱ぎ捨て、ささっと制服を着こむ。
男としては越えてはいけない一線。
着替えを行う際は必ず視界を塞ぐことに決めている優なのだが。
視界に頼らなくとも女性の着替えが行えている時点で、既に男としては危ういラインである事に気づいてはいない。
「よし……」
着替えを終え、瞼を上げた先に有る鏡に映るのは、長年慣れ親しんだ権藤 優の姿ではない……夕凪 優の着こなした制服姿。
「寝癖はなし、制服も……。あ、スカートの丈は膝下に……、よし、今日もかわい――」
言いかけて微笑んで、優はその場で両手を床に落とした。
(ばかやろう、なにナチュラルに口走っちゃってんの。あ? セーフ? 言いかけだから言ってないってそんな訳あるかぁ!)
深山家で鍛えられた七日間。
その中でますます女の子らしさに磨きがかかってしまった優。
外面的にもそうだが、それは少なからず内面的にも影響が及んでいるようで。
(まずい……、まずいぞ。なんか最近ナチュラルに女口調にもなってる気がするし。あれ? 末期? 女装趣味に目覚めちゃった系みたいな? あ、でも今は女だからいいのか……、いやいやいやいや! 駄目だって、まずいって! よし、線引きしよう)
男としての危機感からか、冷や汗がだらだらと額から頬を伝う中。
優は立ち上がって自らに宣言する。
(女物の衣服に惹かれたらアウト)
洗面台の蛇口をひねり、冷水を両手で掬うとそこに顔を浸す。
冷たさに眠気の残り火も消え去り、同時に気持ちも切り替える。
(で、それ以外は任務だと思って割り切る、気にしない)
予めタオル掛けに用意して置いたタオルで顔を拭い。
表情を引き締めた後に、鏡に映る自らを見つめ直した。
(にしても……、自分で言うのもなんだけど──)
内心で呟きかけ、優は頭を振って雑念を払った。
鏡に映る自らの頬が朱く染まっているのを見て、ますます頬を朱くする。
(やっぱり、目立つよな。この容姿……)
先日、死神と対峙した後のこと。
中央区の駅に着くと同時に、普段の癖、面倒事を避けて逃走を図ってしまった優。
別段、逃走自体は上手く行った。
その際に姿を見られると言う失敗も犯してはいない。
だが、走行中の車両内にてすでに乗客には優の姿を見られてしまっているのだ。
傍目で彰人が連行されて行くのは見ていたが、今頃は自らの捜索状も出されている筈である。
(これから学園の方からも生徒に探りが入るはず。特に目立った動きはしていないとはいえ……。残してしまった情報としては、ビフレストの制服、女子、あとは……、乗客達から見た夕凪優の容姿、最後に偽名かな)
もう一度鏡越しに、優は自らの現在の容姿を客観的に見て判断する。
先日の車両内、あまり目立った動きはしていないにも関わらず……やはり自らを始終射していた複数の視線。
権藤 優であった時もそこそこに感じていた物だが、夕凪 優となった後はその比ではなく。
(記憶媒体に残されていたらそれでアウトだし。それがなくても、口伝えで相当な数の情報が集まるはず。ここでアスガルズに眼をつけられるのは……正直避けたい)
そもそもの前提が制限されずに動ける事、そう景に指摘されて護衛に選抜されたのだ。
万が一にもアスガルズに注意を向けられる対称になれば、この依頼は即刻無かった事になり、E.H.の沽券にも関わってくる。
恩を仇で返す、それだけは――。
(ま、元々目立つのは嫌いだし)
優は屈み、洗面台下のキャビネットの棚を一つ引くと。そこから一つ小箱を取り出し棚を元に戻した。
長方形状の、片手に収まるプラスチックの箱。
立ち上がってそれを洗面台の上に置くと、優はそれを開き、中にある物を手に取った。
(予め用意しておいたのは正解だったかな)
優の手に収まるそれは、いわゆる黒縁メガネ、と呼ばれる物だった。
別段、特に優は視力が悪いと言う訳ではない。
これは優が保険に、この容姿が邪魔になった際に姿を偽ろうと予め用意していた物。
特に地味、一番今の容姿に合わないと感じたものを選んだ、度も入っていない伊達メガネと呼ばれる物だ。
手に取った眼鏡を一度置き、中からもう一つの変装グッズを取り出す優。
それは質素な黒いゴム、髪を纏める様にと適当に選んだ物。
優はそれらを使い、器用に腰までかかる長髪を一つに纏めて束ねると、最後の仕上げに眼鏡を装着し。
(ん、いい感じ)
すると鏡に映っていたのは、思惑通り、夕凪優の魅力を最大限に抑えることに成功した、どこにでも居そうな普通の女の子。
存在感がない、とまでは言えないが。ぱっと見で人目を集める事も無いだろう、特に特徴も無い平凡な見た目。
これならばアスガルズが探すアンジェリーナ──先日の自分と重なる事も無いだろうと、安堵の息を吐く優だが。
(といっても、油断は禁物。どっからアンジェリーナに繋がるか判ったもんじゃないし)
両手で軽く頬を張り、緩みかけていた表情を引き締めると、優は洗面場を後にする。
――願わくば、景の言ったよう、これからの学園生活が自分にとっても有意義なものになるように、願い。
思った以上に多くの方に読まれているようで感謝感激雨あられでございます!
少しでも面白い、先が気になると思われましたらブックマーク・評価等いただければ作者の励みになります!