memorys,94
奏の部屋で向かい合うように座る。にこにこと子供が欲しいおもちゃを目の前にしたような無邪気な笑顔をこちらに向ける譲流さんに、わたしは苦笑いに似たぎこちない笑みを浮かべるしかできなかった。
「本当に運命感じちゃうよねー。まさか奏のお友だちさんだったなんて……亜矢ちゃんだっけ?」
「はい」
「好きな人、執事さんだったよね。うまくいって良かったねー」
「はぁ」
頬杖をしながら、楽しそうに話す姿にわたしは気の抜けた返事を繰り返す。フランスで会った時は、なんて素敵な女性なのだろうと見惚れるほどだった。だがしかし、今目の前にいる人をまじまじ見ても、チャラいの一言しか思い浮かばない。本当に同一人物なのだろうかと疑ってしまう。そして、この人が奏の兄という新事実を今だ飲み込めずにいた。
「てか、兄貴さ。なんで女装してたわけ? ファッションの勉強しに海外歩き回ってたんじゃないの?」
わたし達にお茶を持ってきた奏が呆れ顔をしながら部屋へと入ってきた。そんな妹の突っ込みに、心外だと言わんばかりの表情を浮かべる。
「奏は分かってないなー、女装をしないとファッション学べないでしょ。男が想像だけで女性のファッションの魅力なんて理解できないよ。だから、女性の気持ちになって美しいものに触れる……実行に移してこそ様々なファッションを知れるんだ」
なかなか説得力に溢れたことを言っているのだがいまいち話についていけてない自分がいた。奏も同じなようで、やれやれと首を振りながら溜め息を漏らす。
「こんな兄貴でビックリしたでしょ」
「ちょっと想像以上だった」
「まぁ、変わり者だけど悪い人ではないよ」
「それはもちろん分かってるよ!」
わたしは改めて譲流さんに目線を向けた。
「あの、フランスでは助けていただいてありがとうございました」
「いいよいいよ。困ってるときはお互い様って言ったじゃん。気にしない気にしない」
ノリは軽いが確かに悪い人ではない。奏の友達だと知らずに、わたしを助けてくれた。知らない人に対してあそこまで親身になってくれる人はなかなか珍しい。だから、この人はすごく優しい人なんだと理解できる。
「あ、そうそう。亜矢ちゃんのお父さんのドレスすごく良かったよ。亡くなったお母さんのために作ったドレスなんでしょ? あれを間近で見たときは感動したよー」
「もしかして、コンテストを見てたんですか?」
「勉強でね。たまたま見に行ってたんだ」
お父さんに言ったらきっと喜ぶに違いないと思っていると、また譲流さんの顔が近くまで迫ってきた。
「な、なんですか?」
「亜矢ちゃんって、素朴だけど素材としてはいい線いってるよね。モデルとかやらないの? お父さんみたいにファッション関係とか目指してる感じ?」
「いえ、わたしはファッションとかあまり詳しくなくて……モデルなんて考えたこともないです」
「そうなんだー。亜矢ちゃんみたいなモデルは案外どんなファッションも映えると思うんだけど……奏もそう思うだろ?」
漸く顔を離されたと安堵すると、入れ替わりに奏が次に体を寄せてくる。
「たしかに。わたしも初めて見たときから同じこと考えてた。亜矢って着物もきっと似合うよねー」
「ええっ!?」
「でしょ! 和服もいいし、きっとウエディングドレスみたいな豪華なものも似合うと思うんだ。メイ次第でかなり化けるな」
「いやいや、奏も譲流さんも変な冗談言わないでくださいよ! わたしみたいな平凡顔がモデルなんて……スタイルだって」
そう言って、チラッと奏の胸元に目がいく。同じ年齢なはずなのに発達の差を痛いほど感じて、無意識に自分の胸元を隠したい衝動に駆られた。
「何気にしてるの。亜矢は自分が思ってるほど全然いいもの持ってるのよ」
「そうかな?」
奏に言われると嬉しくなってきて、ついつい真に受けそうになってしまう。すると、いっそう目をキラキラ輝かせながらこちらを見つめてくる譲さんに気付き、なぜか嫌な予感が寒気と共に背中を走った。
「いいこと思い付いちゃった」
「あれ? 兄貴も?」
いきなり兄弟意気投合の空気。
「亜矢ちゃん、来週末ひま?」
「え、あの……たぶん予定はなかったと思います」
「なら良かった」
ますます笑顔が眩しくなる様に、わたしは少し後悔した。
(まずい。嘘でも予定あるって言えば……)
譲流さんがわたしの手を捕らえ、話さないとばかり握り締める。
「亜矢ちゃん、君にモデルをやって欲しい」
「へっ!? そんな急に! わたしなんかじゃ」
「君は自分の可能性を試したいとは思わない? 自分がこれからどんなことがしたいのか……どんな夢を描いて実現するのか。いろんな世界に飛び込んで、自分の世界を広げてみたいって思わない?」
そう言われた途端、言葉に詰まってしまう。自分の夢なんて今まで考えたこともなかったし、将来どうしたいかも真剣に思い描くこともしてこなかった。
「これは強制することではないから無理強いはしないよ。ただ、お父さんが携わってる世界を君も見てみたいとは思わない? 新しいものが見つかるきっかけに……返事待ってるから」
譲流さんの言葉は何も持っていない状態だったわたしの胸に痛いほど刺さる。モデルになりたいと大それた夢を持ちたいわけではないが、自分の可能性を広げていきたい。
いつか、神木さんと一緒に歩む未来が来たときに助けられてばかりのわたしのままは嫌だ。
「やります」
意を決して、わたしは声を上げる。
「モデル、やらせてください!!」
「そうこなくっちゃ……これから忙しくなるけど、一緒に頑張ろうね」
そう言って、譲流さんは満面の笑みをわたしに投げた。