memorys,09
学校へ歩いていくのが前なら普通だった。
しかし、行き帰りは自分専用の運転手付きリムジンでの送り迎え。お金持ちの集まるこの学校では、それが日常風景のようだ。
「初めまして、九条 亜矢です。分からない事だらけなので、いろいろ教えて下さい……よろしくお願いします」
自分のクラスにて、なんとか自己紹介を言い終えたが、頭を下げた瞬間に耳から聞こえたのは自分の抱いた期待の声ではなかった。
「あれでしょ? ドレスで有名になった……」
「もともと“庶民”ってこと?」
「なんだか、場違いじゃない? ここの勉強のレベルについてこられるのかしら?」
冷ややかな笑いまで聞こえる。
きっとここで“朝比奈”の名を出せば、もしかしたら上手くいく可能性もあるが、それだけは利用したくない。あんな言い方をされたら、意地でも自分の力でなんとかしなきゃと考えた。
「なら、空いてる席へ座りなさい」
「はい」
女子たちの視線が痛い。男子はまるで、わたしは存在してないもののように目すら合わせなかった。
「……きっと、泣き出して帰る羽目になるわ」
その一言に思わず相手に目を遣る。
「あら、怖い顔。庶民はすぐ暴れそうで怖いわね」
「なっ……」
「九条、席へつきなさい!」
「……はい」
どうして、自分はこんな言われ方ばかりされなきゃいけないの?
言われた通りに席へつくも、込み上げる悔しさに唇を噛み締めた。
「さぁ、今日は休み明けの学力テストからいくぞ。数学、英語、国語の順でいくから」
(初日からテスト!?)
「1年の復習問題だから解けないと恥だぞ!」
そう言いながら、テスト用紙を配っていく先生を見つめるわたしの表情は不安なものへと変わっていく。
(……復習なら、大丈夫だよね?)
しかし、前から回されたテスト用紙を見た瞬間に愕然とする。
(嘘っ……こんなとこ習ってない!)
焦って先生を見るも、声を掛けるには遅かった。
「はい、はじめっ」
開始の合図が言い放たれ、わたしを残した全員がスラスラとシャーペンをテスト用紙に走らせている。なんとかして解こうとペンを握るも、ハイレベルな問題に全く手が動かない。
焦る気持ちばかりが募り、周りから突き放されたような感覚が襲ってきた。時間はわたしを嘲笑うかのように過ぎていく。
そして、呆気なく三時間が経った。
「明日には成績が廊下に貼り出されるからな」
全く解答欄を埋めることが出来ず、学力でさえも“違う”と思い知る。
ここは、わたしが居るべき場所なんだろうか?
「本当に“偽物”なんだな、わたし……」
身に付けている時計でさえ、海外の高級ブランド。テスト内容も大学入試レベル。
世界が違う。
わたしは“お嬢様”になんか、なれっこない。
初日を終え、ひとり校内を回った。案内してくれる人すらいない。人の少なくなった廊下をただ茫然としながら歩いていくと、聞き覚えのあるバイオリンの音色が聞こえた。
(……これは)
あの庭で聞いた暉の演奏だと直ぐに気付く。
(邪魔したらマズイ)
足早に音の聞こえる教室を離れようと歩き出した矢先に音色が止み、ドアが勢いよく開かれた。
「……っ!?」
やはり中から出てきたのは暉くんで、わたしが居るのに少しだけ驚いたような顔をする。
「し、失礼しますっ」
逃げるように立ち去ろうとした背後から笑い声が聞こえ、反射的に振り返った。
「何がおかしいんですか?」
「や、ごめん……予想通りの顔だったから、つい我慢できなくてさ。初日から挫折しちゃった感じ? 兄さんの言ったこと正論だったでしょ」
情けないけど、その通りだ。
陽太さんは間違ってはいない。
だけど、それでも“家族”を手放したくないなんて、わたしが我が儘なの?
「惨めだよね。泣くなら泣けばいい……けど、泣いたってどうにもならないよ? これは君の問題であって、乗り越えなきゃならないのは君自身なんだから」
目の前が真っ暗になったように見えた。
それでも、母の言葉を思い浮かべ、必死に涙を堪える。わたしは笑顔を作り、暉を真っ直ぐ見据えた。
「泣かないよ」
暉くんの表情から笑顔が消える。
「わたしは泣かないし、諦めないよ。必ず学校にだって馴染んでみせるし……ふたりに“家族”って認めさせてみせるから覚悟して!」
精一杯の強がりを暉くんにぶつけ、わたしはまた前へ進み出す。
「へぇー……泣かないんだ。案外面白いじゃん」
最後に暉が呟いた言葉は、耳に届かなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
学校から戻り、神木さんが玄関でわたしを出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「神木さん……ただいまっ」
“おかえり”と“ただいま”を交わせる事で、わたしの心は少しだけ落ち着きを取り戻す。
「学校はいかがでしたか?」
「はい、大丈夫です! すごく勉強が難しかったのはビックリしちゃいましたけど」
「何かお手伝いしましょうか?」
「いえ、勉強なら自分で頑張ればいい話ですから手伝いはいりません」
しかし、学校の勉強に兄弟との問題と頭悩まされることが増えた分、気晴らしに何かをしたいとも考えていた。
いつもなら、何か悩みができれば家事やバイトで体を動かして頭をリセットする時間があった。だけど、今はどちらも出来ない。
「神木さん、聞いてもいいですか?」
「はい」
「バイトとかってダメですよね?」
「バイトは校則でも禁止されています」
神木さんは予想通り、キッパリと答えた。
「なら、家事とかお手伝いするのもダメですか?」
その質問に、少し困った顔をする。
「お嬢様にそのような事をさせたら、わたくし達が奥様に怒られてしまいます。どうか、自分の事を優先なさって下さい………」
「そうですよね……変なこと聞いてごめんなさい」
自分がしようとする事、したい事はここでは迷惑になってしまう。それは世界が違うというよりも、自分の居場所が狭くなったような気がした。