memorys,87
彼は執事らしい身のこなしで、なんの疑いもなく部屋へと入る。片手に淹れたての紅茶が入ったティーポットとふたり分のカップを乗せたトレイを持ちながら、器用に涼華さんとわたしにお辞儀した。
「待ってたのよ、白藤くん」
涼華さんが何を目論んでいたのか理解してしまったわたしは、何も知らずに招かれた白藤さんをただ目で追うしかできない。予想外の展開に身体は硬直し、口は開いたまま閉じることを忘れてしまった。
「紅茶は窓際のテーブルに置いてちょうだい」
「かしこまりました」
テーブルに並べられた綺麗なカップに、暖かな紅茶が注がれていく。湯気と共に、慣れ親しんだ香りが漂ってくる。
「では、わたくしはこれで」
紅茶を淹れ終え、白藤さんはごく自然に部屋を出ようとした。だが、今の彼にそれは許されない。
「白藤くん」
すかさず、涼華さんが呼び止めた。
「はい」
「あなたは残ってちょうだい」
自分が淹れた紅茶が並ぶテーブルの前に用意された椅子のひとつを少し引き寄せ、ここに座れと言うように指示を促す主人の意図を瞬時に理解したのか、白藤さんの表情は一変する。さっきまで作っていた執事の顔が抜け落ちていくのをわたしは見逃さなかった。
「はい」
疑問を口にすることもなく、白藤さんは涼華さんに指示させるがまま椅子へと座る。そして、今度はわたしの番がきてしまった。
「亜矢ちゃん、座っていいわよ」
「はい」
白藤さんと同様、拒絶することもなくわたしは素直に向かい側の席に腰を下ろす。
「さぁ、これで誰の邪魔も入らずに話ができるわね。この部屋にはしばらく誰も入らないようにお願いしておくから、納得いくまではなしなさい」
“頑張ってね”なんて、明るく声援をわたしに言うと、そのまま部屋を出ていっってしまった。待ってと伸ばした手は最後まで上げることなく、ドアが閉まったと同時に膝の上に戻された。
涼華さんなりに気を遣ってくれたのは理解できた。
確かに、どうやって白藤さんを呼び出して、話を切り出そうか迷っていたのは事実だ。
覚悟していたこととはいえ、いざ向き合うと言葉に悩む。少し前だったら、強引に言い寄ってくる白藤さんを何も考えずにはね除けていた。だけど、前とは状況は違う。どんなことを言っても白藤さんを傷付けてしまうことには変わりはないけれど、前のような感覚で彼を振ることは出来ない。
何か言わなくちゃと口は開くけど、その言葉は本当に正しいのかと思うと不安で飲み込んでしまう。まだふたりになって数分も経っていないのに、ひどく長い沈黙のように感じた。
「また余計なこと考えてるだろ」
急に掛けられた言葉にはっと顔を上げる。
「お前は本当に分かりやすいんだよな。顔に出しすぎなんだ」
白藤さんはおかしそうに笑うと、普段と変わらない様子で自分が淹れた紅茶を一口飲む。
「どうせ、俺を傷付けないで振るフレーズが浮かばなくて悩んでるんだろ?」
やはり、お見通しだった。
「気づいてたんだ……」
「お前の行動と顔を見て気付かない方がおかしいだろ」
少し強めのデコピンが額に飛ぶ。突然の鈍い痛みに思わず大袈裟なりアクションをしながら、改めて彼の顔を見た。
「神木に決めたんだろ?」
少し悲しそうな眼差しと、寂しげな口調が胸に痛みを与える。傷付いた彼を見て、わたしが傷付くなんて間違ってる。どんなに責められても、罵倒されても仕方のないことをわたしは白藤さんにしてしまった。だから、嫌われる覚悟で彼に向き合わなくては意味がないじゃないか。
今から逃げ出したら、これから恋する資格なんてわたしにはない。
わたしは小さく頷くと、真っ直ぐ白藤さんの瞳を見据えた。
「わたしは、白藤さんが好きだった」
白藤さんとの思い出を思い返しながら、ゆっくりとした口調で話す。
「いつでも真っ直ぐに気持ちをぶつけてきて、わたしのこといつも気遣ってくれて、側で支えてくれた。あお兄はわたしの初恋だから再会したことも、わたしを好きだって言ってくれたこと本当に嬉しかった……でも、やっぱりわたしの中の神木さんへの想いが消えてなくなることはなかったの。いくら忘れたフリをしていても、いつもどこかに彼の存在がわたしの中に存在してた。それに気が付いた」
「そうか」
「白藤さんに返事するって言ったくせに、こんな風になってごめんなさい。でも、気づいた以上はもう白藤さんに曖昧な態度はとりたくない」
そう言うと、白藤さんはその先の言葉を受け入れるかのように微笑んだ。
「わたしは神木さんが好きです。また辛いことや悲しいことがたくさんあるかもしれない……でも今度こそ、ふたりで乗り越えていきたい。だから、白藤さんとは付き合えません。本当にごめんなさい!」
深く頭を下げる。すると、優しく頭を撫でる感触が温もりとともに伝わってきた。
「分かった」
「ごめんなさい」
「謝るなって」
「でも、白藤さんには本当にひどいことをしたから」
「ほらっ、顔を上げろっ」
白藤さんの両手が頬を包むと、少し強引に顔を上げられる。そこには優しく微笑む白藤さんの顔があった。
「言っただろ。簡単に人の心は変えられない。俺がいつまでもお前を忘れられなかったように、お前がずっと神木を忘れられないのは分かってた……お前は一途で真っ直ぐだから」
「白藤さん」
「神木との恋を貫き通したいなら、その道を進めばいい。俺はお前の答えを受け入れる」
泣いてはいけないと思っていたのに、白藤さんの優しさを改め痛感した瞬間、自然と涙が溢れる。そんな彼に言える言葉はもうひとつしかなかった。
「ありがとう」




