memorys,83
目深に被ったニット帽に、薄く色の付いたサングラス。髪は背中まで伸びたふわふわのブロンドヘア。白のロングコートにブラウンのパンツ、赤いヒールを履いて、モデル並みにスタイルのいい人だった。
「具合でも悪いの? 君ひとりだけ?」
優しく微笑みかけ、こちらの返事を待つように見つめてくる彼女に慌てて返す。
「はいっ……えっと、具合は悪くないです……ただ」
「もしかして誰かとはぐれた?」
手を差し伸べてくれた相手が日本語を使っていることへの安堵感からか、返事をする前にお腹から物凄い音が鳴った。朝は食欲がなく、スープ以外に手を付けていなかったためか、今さら空腹を知らせたようだ。タイミングの悪さに恥ずかしさから俯き、お腹を押さえる。
「すいません、朝あまり食べてなくて」
笑われても仕方ないと覚悟したが、聞こえてきたのは変わらずわたしを気遣う声だった。
「空腹で歩き回って疲れたのね。大丈夫? ひとりで立てる?」
「あ、すみませんっ」
差しでしてくれていた手を掴むと、そっとわたしを支えながら立ち上がるのを手助けしてくれる。
「ありがとうございます」
「君、日本の人だよね。観光かなにか?」
「はい。家族で来ていたんですが見失ってしまって……スマホもホテルに忘れてきたみたいで、連絡方法もなくて」
「そうだったの、ひとりで大変だったね。とりあえず落ち着いた方がいいわ」
彼女に手を引かれ、近くのベンチに並んで座った。
「もし良かったら食べない?」
彼女は持っていた紙袋から美味しそうなパンを取りだし、わたしにひとつ手渡す。
「そんなっ、悪いですよ」
「いいのいいの、買いすぎちゃったから食べてくれると助かるんだよね」
「……ありがとうございます」
徐々に空腹が満たされたところで、わたしはまた彼女にお礼を告げ、深々と頭を下げた。
「気にしなくていいよ。それよりこれからどうする? ホテルの名前を教えてくれれば送っていくよ」
「本当ですか!? 何から何まですいません。ちゃんとお礼します!」
そう言うと、彼女は見た目に似合わない豪快な笑い声を上げる。わたしは驚きのあまり口を半開きにしながら相手を見つめた。
「ごめんごめん、君があまりにも真面目で可愛くて……お礼なんて必要ないよ。同じ日本人なんでし、困った時はお互い様でしょ」
なんていい人なんだろうと考えていると、彼女は意味ありげな笑みを溢す。同性の筈なのに、なんだか彼女を見ているとドキドキしてしまう。それほど彼女が魅力的で、目を惹くぐらいに美しいからだろう。変に照れてしまう自分を隠しながら、わたしは笑みの理由を尋ねた。
「どうかしましたか?」
「もしかして、君……なにか悩んでたりする?」
「え!?」
いきなりの質問に思わず動揺の声を漏らす。そんなわたしの姿を見た彼女はおかしそうにまた笑った。
「分かりやすい反応。嘘が下手なタイプだね」
「よく言われます」
白藤さんにもよく指摘されてきたことだが、そこまで顔に出ているんだろうかと、恥ずかしさから手で両頬を覆う。そんなわたしを余所に、彼女は少し真剣な口調で話し始めた。
「知ってる? この噴水広場の言い伝え……なにか悩んで答えに迷ってる人は必ずこの場所に導かれるらしいよ」
「そうなんですか?」
彼女はにっこり微笑むと、噴水に目を移す。
「あと、悩みが解決しない時はあの噴水にコインを投げると解決できるんだって」
「悩みが解決……」
少し前の自分なら、きっと喜んだに違いなかった。けど、今は感動の声も浮かばない。
それが本当ならどれだけいいだろうか。
おとぎ話なんて現実的には有り得ないと、退屈そうに聞いている冷めた子供みたいな心境だった。
「でもコインで解決できなさそうです。わたしの悩みはわたし自身で決めなくちゃならないことなんで」
「君は本当に真面目だね。そして素直……君の悩みはずばり恋かな?」
見ず知らずの相手に悩みを明かすのは躊躇いもあったが、否定せずに素直に頷いた。
「わたし最低なんです。好きだって言ってくれた人にちゃんと向き合うつもりだったのに、前付き合っていた彼と再会したら迷ってしまって……自分がどうしたいのか、どうしたらふたりを傷付けずに済むのか分からなくなってしまって」
彼女は暫し考えた後、噴水を見つめながら告げる。
「傷付かない恋愛なんて現実的に存在しないんじゃないかな? いろんな事をふたりで乗り越えてこそが恋だし、そこから確かな愛を育む過程ができて初めて恋愛と呼べる……決して楽しいことばかりじゃない。それと、これは勝手な推測だけど君自身が傷付くふたりを見たくないだけで本当は誰が好きなのか分かってるんじゃないの?」
わたしはなにも言えなかった。ただ、彼女の横顔を見つめる。
「自分の気持ちが分かっていながら、どっちも傷付けたくないから答えを出したくない。そうだとしたら、それは間違ってると思うよ。それは相手を想っての思いやりでもなんでもなくて、ただ恋愛することを放棄してる」
グサッと胸に鋭い言葉が刺さった。彼女の言っていることは正しい。
「わたしはまだ恋愛に興味なんかないから偉そうなことなんて言えないけどね。ごめん、いきなり説教臭くなっちゃって……」
「いえ、言われた通りだと思います」
今までの事を思い返しながら、わたしは決意したように立ち上がった。