memorys,74
長時間のフライトで疲れたせいか足元がまだ宙をさ迷っているようにふわふわしている。それでも、空港から外へと出た瞬間、そんな感覚はどこかへ吹っ飛んでいった。
自分が今どこに居るのかすぐ悟った。
世界遺産が数多く残り、美術館やファッション、ワインなど魅力的なものが散らばる西ヨーロッパに位置する国。誰もが一度は訪れたいと思うであろう場所に、わたしは立っていた。歓喜の声が白い息となり口から漏れる。
「フランスだ……」
歩道を歩く人たちでさえまるで映画のワンシーンでも見ているように映り込む。一歩踏み出しただけなのに、目の前に広がる景色に瞬きも忘れ見入っていた。
「ああ、寒い」
隣で暉くんが身震いしながら、白い息を吐く。
「それだけ着込めば十分暖かいだろ?」
誰よりも厚着をしている暉くんに対して、陽太さんは溜息交じりに言った。しかし、強く否定するように左右に首を振る。
「寒いものは寒いんだよ! これだけ寒いのに平然としてる兄さんと亜矢がおかしいんだって」
少し子供っぽく拗ねた暉くんが心ここにあらずでいたわたしの腕をグイっと掴む。
「亜矢、いつまでこうしてるつもり? 早くいくよ! 動かないと余計寒いんだから」
「ご、ごめん。すごいきれいな街だから感動しちゃって」
「サプライズが成功したみたいで何よりだよ」
わたしの驚いた顔を見られたのがよほど嬉しかったのか、陽太さんは満面の笑みを浮かべる。
「こんな素敵な国に一回でも行けたらなって思ってたから……本当に来られたなんてなんだか信じられない。ありがとう、お兄ちゃん」
「そんなに行きたかったならもっと早く言えばよかっただろ」
「そうだよ、もっと早く言っていればクリスマスは違う場所だったかもしれないのに」
「暉、今年はどのみち寒い国だって分かってただろ? なんなら今から暉だけもっと寒い国に送ってやろうか?」
「亜矢! 立ってないで行くよ!」
陽太さんから逃げるように暉くんがわたしの腕を引っ張りながら走り出す。
「こら、暉! 走ったら転ぶぞ!」
「兄さんこそぼやっとしてると観光時間なくなっちゃうよ! 亜矢も行きたい所があるなら早く言いなよっ」
「えっと……あっ、エトワール凱旋門行ってみたい!! あとエッフェル塔!」
本当に海外初心者だよねと、暉くんが笑う。わたしはちょっとだけ頬を膨らませたが、暉くんがなんだか自分以上にはしゃいでいるように見えてきて、つられて笑顔になっていた。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇
夢のような時間はあっという間に終わりを告げる。どこかの時計台が合図のように音を響かせた。
「そろそろホテルへ行かないと」
腕時計を確認した陽太さんがわたしを気にしながら残念そうに告げる。
「うん。白藤さんもきっとわたし達のこと待ってるだろうからホテルへ向かおう」
ふたりに気を使わせてはいけないと気持ちを切り替えるつもりで発した言葉だった。しかし、その発言がわたしを現実へと連れ戻してしまう。
どうしよう。白藤さんと会うと思った瞬間とてつもなく緊張してきた。
一体どんな顔をして会えばいいのだろうか?
別れの時に言った約束とサプライズのために用意した白藤さんのための誕生日プレゼント。それが一気に頭を駆け巡り、困惑から頭を抱えたい気持ちに駆られた。
(……ちゃんと返事できるかな)
少し前まで普通に話していたはずなのに、ちょっと離れただけで接し方が分からなくなってしまうとは情けない。
(だめだ。しっかりしなくちゃ!)
ホテルへ向かい歩き出したふたりの後ろで、再度気合を入れなおす。
「よし!」
緊張や不安は正直たくさんある。だけど、それ以上に思うんだ。
わたしは、白藤さんに早く会いたい。
ホテルへ到着し、ロビーへ入るとすらっと背の高いホテリエの男性が深く頭を下げる。にこやかに話すも、もちろん喋っている言葉はフランス語。何を言っているのか全く分からないわたしは、陽太さんがそれに対して返事している姿をただただ凄いと見ていた。
「亜矢、荷物は預けて部屋へ向かおう。荷物は後で運んでくれるから」
「う、うん」
案内されながら、広々としたエレベーターに乗り込む。
「お兄ちゃん?」
「なんだ?」
「あの、白藤さんってどこにいるのかな……」
「明日のクリスマスパーティーの準備で忙しいんだろう。ホテルへ着いたことは知らせてあるから、そのうち会いに来るさ」
「そうだよね」
ホテルへ着いたら真っ先に出迎えてくれるんだと思っていただけに、なんだか急に気分が落ちてしまった。エレベーターから降りてすぐ向かい側の部屋を陽太さんが指差す。
「あそこが亜矢の部屋な。その隣が俺、次が暉だから何かあればすぐに部屋に来いよ」
「わかった」
「夕食までは自由にしてていいから、部屋でゆっくりしたらいい」
「そうするね」
夏以来の久々の海外旅行とオシャレにもかなり気合を入れ、踵の高い革製のロングブーツなんて慣れないものを履いてきたおかげで、さっきからくるぶしがじんじん痛み出していた。部屋へ入ったら真っ先にベッドにダイブしてやるんだと思っていたが、その考えは簡単に消えていってしまった。
高級な家具が配置され、絨毯や大きなベッドのカバーはシックな花柄と大人な雰囲気を醸し出す。中央のテーブルの上には可愛らしいチョコレートと紅茶が用意されていた。そして何よりも目を奪われたのは、窓から見渡す町並みだった。こんなにも贅沢なことはない。またも感動から溜息が零れた刹那、ドアをノックする音が部屋に響く。
「お荷物をお届けに参りました」
「は、はい!」
なぜか相手が日本語を使っている違和感に気付かないまま、わたしはドアを躊躇なく開け放った。




