memorys,73
それから二日後。
わたしはパジャマを隠すくらいのロングコートを着て、赤のマフラーを大雑把に首に巻きつけ、部屋からそっと抜け出した。陽太や暉を起こさないために、二階の廊下から一階へ下るまでは、極力足音を立てないよう慎重に歩く。屋敷の裏口が見えた辺りで、わたしは走り出した。
「白藤さん!」
「亜矢?」
外へ出た瞬間、早朝の冷えた空気が鼻をつんとさせる。薄いパジャマにコートを羽織っただけの身体から、一気に体温が奪われていく。それでもわたしは、車に荷物を積み込む白藤のもとへと駆け寄った。
「間に合ってよかった」
「なんだ、見送りなんか別にいらないのに……そんな薄着じゃ寒いだろ?」
慌てて走ってきたせいか、首に巻いたマフラーが今にも解けそうになっているのを見て、白藤が綺麗に整えてくれた。
「俺がいない間に風邪なんか引くなよ?」
「大丈夫、寒さには案外強いんだよ? それにちゃんと言ってあげたかったし」
「何を?」
わたしは、まっすぐ白藤の瞳を見つめ、笑顔で言う。
「白藤さん……行ってらっしゃい」
「おまっ……そんなこと言うだけのために、わざわざ来たのか?」
「わたしがそうしたかったから、いいでしょ?」
「そうだな……悪くない」
白藤が珍しく照れたような顔をした。
「そういえば、旅行先は内緒のままなんだね」
「陽太様から固く口留めされてるからな。サプライズも兼ねてるんだろう……まあ、楽しみにクリスマスまで待ってろよ」
どうやら朝比奈家の伝統行事ともいえる一大イベントで、当日現地に着くまでは旅行を企画した人以外、行き先を知らされないシステムのようだ。当然、毎年企画者も変更される。
ただ、暉は予測がついていたようだった。前の年に寒い国へ行ったとしたら、次の年は真逆の南国と交互に繰り返されていると説明してくれた。それを話している暉の表情が少々憂鬱そうだったことから、現地は常夏の島ではないということは確かだ。
その暉の顔を思い出して笑ってしまいそうになりながら、白藤の言葉に素直に頷いた。
「わかった……気をつけてね」
手を振って見送る準備をしようとしたわたしの頬に、白藤の冷たくなった両手が触れる。
「もう、冷たいよっ」
またからかわれてると思ったわたしの目に、どこか躊躇う瞳を向ける白藤の姿が映った。
「白藤……さん?」
「クリスマスの日……もしも、心が決まったとしたら……いや、やっぱいい」
何かを言いかけてやめてしまった。白藤の言いたいことは、わたしにも予想がついた。
「わかった」
「え?」
「もしも心が決まったら……クリスマスに必ず返事する」
わたしの言葉に、白藤の両手がわずかに震えた。
「……なら、覚悟しろ。返事を聞いた瞬間、お前がよそ見できなくなるぐらい愛してやるから」
「なっっ!」
「楽しみに待ってるよ」
さっきまでの照れていた白藤が可愛いだなんて思ったのも束の間。またからかうような笑みでわたしを見下ろす。
けど、知っているんだ。こうやって白藤は、わたしがあまり悩まないように、心を軽くするためにわざとやっている。
「うん……待っててね」
去り際にわたしの頭をくしゃっと撫でると、白藤は車へと乗り込んだ。車が小さくなっていくまで手を振り続けていると、後ろから声がかかる。
「こんなに寒い中、見送ってたのか?」
少しばかり不機嫌そうな面持ちで立つ陽太の姿があった。白藤の見送りへ行くことを察していたのか、もしくは先ほどわたしが廊下を歩いた音で起こしてしまったのか、ご機嫌斜めな過保護な兄に、わたしは苦笑いを浮かべた。
「お兄ちゃん……おはようございます」
そんなわたしの表情に、少しだけ呆れ顔になった。
「お前に伝えなくちゃならないことがあって、部屋に行ったけどいなかったから、もしかしたらと思って来てみたんだ」
「そうだったんだ。それで伝えたいことって?」
「実はクリスマス当日にサプライズを予定してるんだ。それを教えておこうと思って」
「サプライズ!?」
行き先を知らない異国でのクリスマスというだけでドキドキするのに、さらなるサプライズが用意されるとは、なんとも女心をくすぐられる企画に目を輝かせた。その場にはわたしたち二人きりだというのに、陽太は耳打ちするように顔を近づけ、声を潜めて告げた。
「クリスマス、白藤くんのバースディパーティーをするから……ちょうど彼、クリスマスが誕生日なんだよ」
「えっ、白藤さん誕生日なの!?」
意外な情報に、わたしは驚きの声を上げた。まさか、クリスマスが誕生日だったとは驚きだ。
「この家に来てだいぶ馴染んできたから、歓迎の意味も込めてサプライズパーティーをしようと思って」
「うん! きっと喜ぶんじゃないかな」
「白藤さんだからなぁー、そこまで喜んでくれるかわからないけど……この家に来たからには慣れてもらわないとな」
「大丈夫だよ! わたしも協力する!」
幼いころから執事の仕事だけをしてきた白藤にとって、きっと誕生日を祝ってもらう機会も、少なかったはずだ。ナイスアイディアだと、陽太にグッドサインを送った。
「詳しい内容も話すから、暖かいところへ移ろう。このまま外にいて風邪を引かれたら台無しになる」
背中を押されながら、家の中へと誘導する陽太の横で、わたしは強く頷く。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもないよ」
クリスマスは白藤にとって大切な日になるようにしたい。プレゼントを用意することも当然だが、それよりも白藤の求めるものをあげようと心に決めた。
白藤さんにちゃんと返事をしよう。
あなたが好きだと伝えるんだ。
白藤がいなくなると知った瞬間に感じた寂しさや悲しさが、自分の気持ちを教えてくれた。だから、今度こそしっかり白藤と向き合う覚悟がわたしの中で強くなった。
「亜矢……」
「なに?」
家の中へ戻ってきたと同時に、なぜか真剣な顔でこちらを見つめている陽太の顔に、わたしは少し動揺した声を漏らす。もしかしたら、白藤とのことだろうかと内心ドキドキしていた。
「いや、いい。気にしないでくれ」
「お兄ちゃん?」
「大したことじゃないんだ。さあ、暉も待ってるはずだから行こう」
――いったい何を言いかけたのだろうか?
陽太はわたしをよく見ているから、白藤とのことを勘づいているのかもしれない。けど、それならば何かしら言ってきてもよさそうだ。
何も言わないということは、本当に大した内容ではないのかもしれない。少し疑念は抱いたけれど、頭はすぐにクリスマスのことへと切り替わってしまった。
次回はいよいよクリスマス旅行!




