memorys,63
神木のことも忘れられず中途半端なままで、白藤のこともはっきりさせられず、これからどうしたいのかも、わたし自身がわかっていない。
こんな優柔不断なわたしが、すごく嫌いだ。
「アホっ」
頭を覆っていた布団がめくられ、宥めるように髪を撫でられる。
「また余計なことで悩むな。お前は何も悪くないだろ? 何度言えばわかるんだよ」
熱のせいか、涙腺が緩む。泣きたくもないのに、自然と涙が溢れた。
「俺が勝手にお前が好きで、勝手に困らせてるだけだから……お前には責任なんかないよ。だからこれ以上一人で悩むな」
「白藤さん」
するとなぜか、いつもの意地悪な笑顔を浮かべた。
「まっ、そのうち悩む暇もなくなるさ。悩む時間なんか与えてやらないから、安心して寝ろっ」
「それ、どこに安心できる要素があるの!? 余計に寝れないよ!」
言い返したわたしを見ると、満足そうに笑う。
「そうそう、お前はそのくらい元気じゃないと困るからな……さっさと風邪治して、お前らしく頑張れ」
(これも、私を元気づけるためだったんだ……)
さりげなさの中に垣間見える、不器用な愛情。
きっと、神木と出会っていなかったら、わたしは確実に白藤に惹かれていたかもしれない。
またしばらく時間が流れるが、白藤は一向に動こうとしなかった。やはり、隣に人がいると、気になってなかなか寝つけず、わたしは思わず口を開く。
「白藤さん、聞いてもいい?」
「どうぞ」
どうせ寝れないならと、ハワイで白藤が言った“あの言葉”の意味を聞いてみることにした。
「最初にわたしに仕えていたら……何が違ってたの?」
白藤の表情が一気に強張り、動揺からか持っていた書類を何枚か床に落としてしまう。その行動から、聞いてはいけないことだったんだと瞬時に理解し、謝ろうとしたわたしに静かな声が返ってきた。
「“何が”違っていたのか本当はよくわからないけど、お前ともしも最初に出会って、仕えていたら、俺はきっと自分を憎まずに……普通に笑って過ごせたかもしれない。俺は今でも“あの時”の自分が憎くて許せないままなんだ」
そして、ゆっくりと語り始める。
――白藤さんの抱える、もう一つの隠された過去を……
◇◇◇ ◇◇◇
育ての親を亡くした瞬間、白藤の進む道は、二つに分かれた。
施設へ入るか、嫌いな執事になるか。
「俺には親父から仕込まれた執事の仕事ぐらいしか取り柄がなかったから……子供の俺が食っていくためには、執事になるしかないって思ったんだ」
当時の白藤は十三歳。
「君が白藤くんだね……一人前の執事になれるよう頑張ってくれ」
初めて執事見習いをした屋敷の主人は、人柄は良さそうな雰囲気だったが、自分の娘の教育に関しては、人が変わったように厳しくなる一面があった。
「何をやってるんだっ!! あんな成績……家の名前に泥を塗る気なのか!?」
怒鳴り声に、叩かれる鈍い音。
それは日常茶飯事のことだった。
初めの頃は、その光景を目撃するたびに戸惑っていた。しかし、白藤自身がもっとも苦手意識を感じていたのは、主人ではなく、その娘の方だった。
「恥をかかせるな!! わかったか!?」
「わかったわよ!!」
白藤よりも四つ年上で、どんなに父親に怒鳴られても叩かれても、それで彼女が泣いている場面は、働き始めて一度も見たことがない。
説教が終わり、黙って見ていた白藤と目が合うと必ず睨みつけてきた。
「何見てんのよ! 執事見習いがぼーっと見てんじゃないわよ!!」
「申し訳ありませんっ」
彼女は気が強く、誰に対しても挑発的な態度ばかりをとる。父親とは相当折り合いが悪かったのか、顔を合わせれば、衝突していた。
父親との関係は年を重ねていくごとに悪化していき、三年も経つと、彼女の不満をぶつける矛先は、白藤に向けられるようになった。
「あおいっ! あおい、いないの!?」
父親と喧嘩をすると、こうして白藤の名前を叫ぶのが恒例になっていた。
「どうかなさいましたか?」
「ちょっとわたしの部屋まで来なさい! 今すぐ!!」
「お嬢様、申し訳ございませんが……今は仕事が残っていますので」
「だから何?」
彼女の目つきがさらに鋭さを増す。
「あんたバカ? わたしは令嬢、あんたは執事。どっちが偉いかなんて、考えなくてもわかるでしょ? そもそも何? 執事辞めて路頭に迷いたい?」
その言葉はまるで呪いのように、逆らうことを許してはくれない。
「いえ、行きます」
どんなに彼女の傲慢さを嫌おうと、どんなに理不尽なことを言われようと、黙って従うしかないのだ。
――そう、執事である以上は。
「ねぇ、あおい……この家、嫌いでしょ?」
唐突な言葉に戸惑う白藤を、彼女はおかしそうに見つめる。
「言わなくても、見ればすぐにわかるよ。顔に書いてあるもの……わたしから逃げたいって」
「いえっ」
「あおいに自由をあげようか?」
「自由……ですか?」
問いかけに対して、彼女は長い髪を手の甲で滑らせながら、不敵な笑みを浮かべる。
「この家から出してあげる。わたしがお父様に頼んで、別の屋敷へ行けるようにしてあげる……どう? 悪い話じゃないし、嬉しいでしょ?」
思いがけない提案に、白藤はただ驚くことしかできなかった。
「でもね、一つ条件がある……あおい、選びなさい」
「選ぶ?」
「一年間、わたしの命令には絶対服従。この家を出る自由を得るか……今この場で断って、執事を捨てて何もないまま出て行くか……選んでっ」
この時の自分には、この生活から逃げ出す勇気も、すべてを捨てる覚悟ですら持ち合わせてはいなかった。
だから、選択肢は一つしかない。
この日から、自由を手に入れるための一年が始まった。




