memorys,62
突然のキスに混乱する中で、懸命に片方の手で白藤さんを押し退ける。
「待って!」
「却下」
わたしの制止などあっさり払い捨て、次は強引に唇を奪われてしまう。離れようとしても、頭に回された手のせいで拒む事すら出来ない。深い口付けに息苦しさを感じ、やめてと何度も胸元を叩くが、全く相手はびくともしなかった。角度を変えながら与えられる刺激に、抵抗の手は次第に弱まっていく。
漸く唇が離された頃には全身の力が抜け、後ろの木にもたれ掛かった。
「……なんで? わたし……」
「ゆっくり時間を掛けるつもりだったけど、それは止めにする」
「だから、なんでそうなるの!?」
「お前の笑顔が可愛かったから……我慢するのは無理だって分かった」
予想外の発言に、口を手で覆いながら白藤さんを凝視する。
「俺は全力でお前を振り向かせる。悩む暇なんてないくらいに……俺しか考えられなくなるぐらいに、本気でやるって決めたから」
「困るよ! わたしが好きなのはまだっ」
言い返そうとしたわたしの唇に、そっと人差し指を置く。
「言いたいことは分かってる。けど、神木にお前を譲るつもりも……諦めるつもりもない」
意地悪を含まない瞳に、わたしはただ困惑するしかなかった。
「俺は出来てるから……全てを捨てる覚悟」
決意の篭った言葉に、声が出ない。
「何が起きてもお前の側に居てやる。俺はどこへも行かないし、お前を泣かせたりしない……いつも笑顔にさせてやる。俺にとって最初で最後の恋だから、逃がしてなんかやらない」
柔らかな笑顔に変わる彼に、自然と目が奪われていく。
「俺の想い全部受け取ってもらうから、覚悟しろよ……亜矢っ」
直球過ぎる彼の想いが身体に伝わり、身動きできなくなった。白藤さんの顔すら、今はまともに見ることも出来ない。
その後、ただわたしは下を向いたまま、鳴り止まない雷と降り頻る雨の音を聞き続けた。
◇◇◇ ◇◇◇
意識が朦朧とする中で、心配そうにわたしを覗き込む陽太さんの顔が映る。
「この熱じゃ、学校は無理そうだな……学校には連絡しておくから、ゆっくり休むんだ。いいな?」
「分かった……ありがとう、お兄ちゃん」
昨日はなかなか雨が止まなくて、かなりの時間を公園で過ごした。
そのせいだろうか。
次はわたしが熱を出してしまったのだ。
陽太が何か言いたそうに口を開く。だが、直ぐに閉じられた。
「お兄ちゃん?」
「いや、なんでもない。俺は仕事へ行くから……何かあったら、直ぐに連絡してこい」
「分かった。行ってらっしゃい」
不安そうにする陽太さんを安心させるために笑顔をつくる。
「ああ、行ってくる」
少しぎこちない返しをしてから、陽太は部屋から出ていく。その瞬間に気が抜けたのか、一気に体が重くなった。
「駄目だ……だんだん頭がボーッとしてきた。また熱上がったかな」
熱で頭が回らないのに、なぜか昨日の出来事ばかりがリアルに蘇る。
拒めなかったキス。
きっと、力一杯拒絶を示せば止めてくれたに違いない。
だけど、あの時のわたしは全力で拒んではいなかった。
なぜ、わたしは白藤さんのキスを許してしまったんだろうか。
“あお兄”だから……?
再会は最悪で、初めは白藤さんが何を考えているのか全然分からなくて、酷いことも言われたりして苦手だった。でも、白藤さんがあの“あお兄”だと知って、どこか悲しい顔を浮かべる彼がたまに気になっていた。
(そう言えば……あれって、どういう意味だったんだろう?)
ハワイで言った、白藤さんの台詞がぼんやり浮かぶ。
『はじめからお前に仕えていたら、俺はもっと違ってたかもしれないのにな……』
苦しそうな声で言った白藤さんの声が今でも忘れられない。
(お父さんのこと以外に何かあったのかな?)
今にも途絶えそうな意識の中でそんな事をぼんやりと思っていると、突如額に何かが押し当てられた。目線を移動して、ようやくそれが白藤さんの手だと分かる。
「熱いな……薬持ってきたから。起き上がれるか?」
わたしは頷き、ゆっくりと体を起こしていく。しかし、途中で体がふらつきだし、横へと傾いていった。
「亜矢っ」
瞬時に白藤さんが肩を支え、自分の方へ引き寄せる。相手の肩に頭を預けるような形になり、相手の心配そうな顔が間近に迫った。
「ごめん!」
「いや、いいからっ……」
昨日の気まずさから慌てて体を離すと、耳にぎこちない返事が届く。
薬を飲み終えると、直ぐに出て行くかと思っていた白藤さんはベッドの近くに座り込み、予め持ってきていた書類に目を通し始めた。何故ここに居ようとするのかと、相手の背中を黙ったまま眺めていると、呟くような声で問い掛けられる。
「眠れないか?」
いきなり声を掛けられ、気まずさから返事に戸惑っていると、また小さく告げる。それは、いつも強気な白藤さんには珍しい謝罪の言葉だった。
「悪かった……風邪引かせて。執事として、配慮に欠けてた」
実は物凄く気にしていたのだと気付く。今も側に居続けようとしているのも、きっとわたしを心配しての行動なのだと理解した。
ああ……もう、また何も言えなくなってしまう。
白藤さんが与える優しさは本当にずるい。
いや、それは違う。
「白藤さんは何も悪くないよ」
布団に潜り込み、酷い顔をしているであろう自分を隠す。
「悪いのはきっと……わたしだから」
白藤さんの優しさを拒むことも、振り払うことも出来た筈なのに、それが出来ないわたしはもっとずるい。
今の自分は本当に最低だ。




