memorys,58
うっすらと見える後ろ姿で、煙草を吸っている人物が誰なのか直ぐに分かってしまう。
「白藤さん?」
名前を呼び覗くと、案の定そこにいたのは驚いた顔をした白藤さんだった。
「なんだ、お前か」
(……白藤さんって煙草吸うんだ)
きっと隠れて吸っていたのを見られたからか、まだ半分も吸っていない煙草を携帯灰皿に押し込んでしまう。今朝までいつも普段どおりに接してくれていた白藤さんが、視線すら合わせない。そこまで気まずいところを見てしまったのだろうかと、わたしは不思議に思った。
「なんか用事か?」
「あ、うん……あれ?」
今になって気づく。少しだけこちらに顔を向けた白藤さんの顔色がいつもと違うと、直感的に察してしまう。
「白藤さん、なんか顔赤いよ?」
「なんでもない。それより用事は?」
あからさまに視線を逸らす白藤さんに違和感を抱き、わたしは何も言わずに相手の額に手を押し当てた。
「おい、何してっ」
「やっぱり……熱い」
「大したことないっ」
そう言って、額に当てた手を払い退けた白藤さんは明らかに足元がふらついている。
「かなり熱かったですけど……ちゃんと熱、計ったんですか?」
「このぐらい放っておけば治る」
聞く耳を持とうとしない態度に我慢しきれず、突発的に自分から離れようとした相手の腕を掴む。そして一気に引き寄せた。
「おいっ」
「ダメだよ! 顔色も悪そうだし、ちゃんと寝てなくちゃ!」
「馬鹿、仕事があるんだよっ」
わたしの手から逃れようとした白藤さんだったが、相当具合が悪かったのだろう。一瞬動きが止まり、そのまま力なくわたしに凭れ掛かってきた。
「全然大丈夫じゃないじゃないですか! 煙草なんか吸ってる場合じゃないですよ!」
「……お前、なんか用事あったんじゃないのか?」
「こんな白藤さん見捨てて出掛けられません!」
強気で言うと、何故かおかしそうに笑う。
「悪い」
その一言は、なんだか少し弱々しく聞こえた。
◇◇◇ ◇◇◇
計り終えた体温計を受け取ったわたしは、少しだけ怒った顔でベッドの上に座る相手を見遣る。
「38,5……やっぱりあるじゃないですか!」
先程より更に顔を赤くした白藤さんは、何も言い返せず苦笑いを浮かべた。
「今、薬と冷やすもの持ってきますから……絶対に寝てて下さいよ!」
「分かったけど、休むなら自分の部屋に行かせてくれないか?」
そう、ここはわたしの部屋。
ふらついた白藤さんを支えて一度は別館へ行こうとも考えたのだが、弱っている人をひとりにするのはさすがに心苦しさを感じてしまった。いくら気まずい相手だからとはいえ、弱っている人を放ってなんておけない。そう考え直し、わたしの部屋へと連れてきたのだ。
「今日はここにいてください! ひとりにしたら煙草吸ったり、わたしに隠れて仕事してそうだし」
図星だったのか、小さく舌打ちする。
「はいはいっ……仕方ないな。大人しく寝てればいいんだろ?」
上着を脱ぎ捨てネクタイを取ると、観念したようにベッドに横たわった。
(“仕方ない”って……子供みたい)
「じゃあ、薬持ってきますね」
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
開き直ったように、白藤さんの顔にいつもの余裕が戻る。
(こういうとこは具合が悪くてもブレないんだな……さすが白藤さん)
半分呆れ顔で、わたしは部屋を後にした。
「何してんだ、俺……ダサすぎだろ」
自分が居なくなった部屋で、白藤さんが情けない声で呟いた事など知りもせずに……
トレイに薬と頭を冷やす氷入りの水が入ったボールを乗せ、慌てて部屋へと戻る。
「白藤さん、薬持ってきましたよ」
トレイをテーブルに置きながら声を掛けるが返答が返ってこない。
「白藤さん?」
ベッドを覗くと規則正しい寝息を立て、彼からは想像も付かない安らかな寝顔を浮かべていた。
「寝ちゃってる……寝顔はひねくれてないんだなっ」
いくら年上とは言っても、寝顔はなんだかあどけなく感じてしまう。
「眼鏡危ないから外しますよ?」
そっと眼鏡を取ると、幼き日に出会った“あお兄”の面影が重なり、思わず懐かしさに微笑んだ。それと同時に複雑な思いが胸に広がっていく。
「神木さんが居なくなって、白藤さんずっと忙しかったくせに……なんで、わたしなんかの為に毎晩ハーブティ持ってきたりしたの? わたしが落ち着くまで遅くまで付き合ったりするから、熱出しちゃったんじゃないんですか?」
反応のない相手に続けた。
「お母さんと同じこと言ったり、“俺を選べ”なんて……急に変なことばっかり言って、優しくして……そんなこと急にされても」
「……困る?」
いきなり返され、我に返る。さっきまで寝ていた筈の白藤さんが小さな笑みを漏らし、こちらを見遣っていた。
「起きてたんですかっ!?」
「寝てたよ? ちょっとだけな」
「起きたんなら、そう言ってくださいよ!」
「だって面白いこと話してるから起きれなかったんだ」
「だからって、寝たフリはひどいですよっ」
怒るわたしを前にして、なんだか嬉しそうな表情をしながら白藤さんはゆっくりと体を起こす。
「で? なんで困るんだよ……俺を拒めなくなるから?」
「こ、困るに決まってるじゃないですか!」
調子が戻ってきた白藤さんと面と向かって相手にするのは避けたい。わたしは薬の準備をするために、彼に背を向けた。
「拒めなくなるとかの話の前に、わたしが好きなのは今も神木さんだし……気持ちなんて簡単に変えられるものじゃないでしょ? “選べ”とか言い出されても、わたしは白藤さんに何も答えてあげられません。そもそも、わたしは望まれるような人間じゃないからっ……」
「お前が知らないだけだ」
肩に白藤さんの手が当てられ、視線を移す。すると、目の前にあのブレスレットが差し出されていた。




