memorys,47
一歩、晶へと歩み寄る。
「代々から朝比奈家に仕えてきた身の上……しかし、わたしは今は九条家の執事にございます。お嬢様に危険が及ぶと知って、あなたの命令を聞くわけにはいきません」
キッパリと命令を拒んだ神木さんに、晶は舌打ちをして睨む。
「なら、あの話も断るんだな?」
「はい。そのために参りました」
なんの話をしているのか解らず、ふたりの様子を窺っていると、晶がまた苛立ち隠さぬ表情をわたしへ向けた。
「いいかっ、覚えておけ! いつか、俺を見下したこと後悔させてやるからなっ」
そう吐き捨てると、近くで待機していた車へと乗り込む。わたし達の前を走り去っていく車を見届けると、同時にふたりで溜め息を付いた。
「亜矢、大丈夫? 怪我は?」
「大丈夫……背中を少しぶつけただけだから。助けてくれてありがとう」
「なかなか晶様が来ないから探しにきたから良かったけど……遅かったら危ないとこだった。なんでここに? カフェで何かあった?」
「そういう訳じゃないんだけど」
ここへ来た理由を聞かれる羽目になるとは思ってもみなく、後ろめたさから言い淀んでしまう。
「亜矢?」
「ごめんなさい……急に神木さんが誰と会うのか気になって探しに来ちゃった」
「え?」
どうしてかと不思議に思ったのだろうか。小首を傾げ、神木さんはわたしの言葉をじっと見据えながら待っていた。
「その……女の人と会ってたらって心配で」
申し訳なさに俯きながら言うと、急に笑い声が漏れ始める。
「そんな心配してたの?」
「だって……もしかしたらって思っちゃって」
「焼きもちは嬉しいんだけど……あまりひとりで歩かないで。何かあったら嫌だから」
「ごめんなさい」
目を合わせてから謝ると、優しい笑顔をくれた。
「怒ってないよ。寧ろ亜矢が焼きもちやいてくれて嬉しいし」
「そ、そんなことより……神木さんが会う約束したのってもしかして晶さんだったの?」
少し困った顔をして頷く。
「……実は奥様の再婚が決まった時から晶様に朝比奈家の執事のままでいてくれないかってお願いされてたんだ」
「えっ?」
「一度断ったんだけど、まだ諦めてなかったのか……あのパーティーの日から頻繁にまた連絡がくるようになったんだ。だから、今日は晶様に直接会って断るつもりだったんだよ」
「あの……ごめんなさい。そんな時に……わたし」
余計な迷惑を掛けてしまったことに、再度反省の意を込めて謝罪した。すると、何も言わずに神木さんが手を握り締める。
「謝るのは俺の方だ。怖い思いをさせてごめん……初めから伝えておけば良かったのに」
「ううん、神木さんは何も」
「それと、ありがとう」
なぜかお礼を言われてしまい、わたしは戸惑うように神木さんを見つめた。
「亜矢が居てくれたおかげで、キッパリ断れたから良かったよ。きっとふたりだけで会ってたら、簡単には終らなかったかもしれないからね」
「でも、わたしのせいで晶さんを余計に怒らせちゃったかもしれない」
さっきの台詞が少しだけ気にかかる。神木さんも同じことを考えているのか、考え込むような表情になった。最後に言った言葉は神木さんや陽太さんに向けられたものではないのは確かだった。あのパーティーの件から、きっと晶が最も憎いのは考えなくとも分かる。
自分に歯向かった“わたし”なのだ。
「しばらく晶様の行動には注意しよう。陽太にも伝えておくから……」
「うん」
「あと念のために、明日から学校の行き帰りは車にしよう。亜矢がひとりの時に何かあったら大変だから」
「分かった」
あれが冗談で言った台詞ではないと分かったから、わたしは素直に承諾する。
「亜矢、大丈夫だよ」
そっと、頭を撫でる優しい手。きっと、不安な顔をしていたせいだろう。神木さんは安心させるように落ち着いた顔で囁き掛けるように告げた。
「亜矢のこと、必ず守るから」
「ありがとう、神木さん」
「それじゃ、気を取り直して行こうか……初デートどこ行きたい?」
晶の存在ですっかり忘れていた。今日は神木さんと念願だった“初デート”が叶う日。わたしは嬉しさに、神木さんの手を握り返す。
“映画館”と頭に浮かぶが、あれはただ神木さんをデートに誘う口実を探していただけだ。本人を目の前にして思うのは、一緒に居たいという純粋な願いのみ。
「神木さんとふたりなら、どこでもいいよ」
「んー、なら……とりあえずドライブでもしようか。ふたりでゆっくりいろんな事話そう」
「うん!」
「ああ、けど……」
神木さんがそっとわたしの耳に唇を寄せる。
「亜矢の初恋話はなしでね……亜矢以上に妬いちゃいそうだから」
「神木さんっ」
「ほら、デートなんだよ? 呼び方直したら?」
また悪戯な表情に変わった神木さんに、わたしはふくれながらも、最後は笑顔で返した。
「もう初恋なんて覚えてないよ! わたしが好きなのは誠さんだけなんだから……早く行こうっ」
見つめ合うとまた照れて何も出来なくなってしまいそうで、わたしは彼の手を引きながら走り出す。目の前に広がる景色がなんだかキラキラと輝き出したように映って見えて、さっきまでの不安はどこかへ消え去ってしまっていた。
ふたりならどんなことも幸せだと感じられる。始まったばかりの恋に、繋がれた手の温もりに、終わりなどないのだと信じていた。
しかし、わたし達はまだ気が付いてはいなかった。
この事がきっかけで何かが起ころうとしている事を……
着実に“覚悟する時”が近付いていた。




