memorys,34
話を聞き終えた神木さんは額に手を当てながら項垂れる。
「まさか白藤さんがそんな事を……本当にごめん。俺のせいだ」
「神木さんのせいなんかじゃないですよ!」
慌ててわたしは否定の言葉を掛けた。
「それに、あの時のわたしには白藤さんが言ったこと少し図星だったっていうか……思い当たることも合ったし、言われても仕方なかったかなって」
不意に、神木さんの手が顎を掬い、軽く持ち上げる。
「白藤さんの言ったこと真に受けなくていいから! 今回のことは亜矢は何も悪くないし、もうあの家にとって亜矢は欠かせない家族なんだ。仕方ないなんて思わなくていい!」
いかにも不機嫌な顔でわたしに言う神木さんに思わず笑ってしまう。
「なんか笑うとこあった?」
「ごめんなさい。なんか神木さんが敬語付けないで怒ってる姿が新鮮で……まだ実感がないっていうか、頭が追い付いてなくて……きっと執事の神木さんばかり見てきたから慣れてないんだと思います」
「……亜矢は、執事の俺の方がいい?」
その質問に、勢いよく頭を左右に振った。
「そうじゃないです!」
そんなわたしの反応に、不機嫌顔だった彼に笑みが戻る。
「確かに、白藤さんの言ったこと的を得てるかな」
「え?」
「“執事は演じてる”って……それは当たってる。俺たちは常に誠心誠意主に仕え、完璧な対応をしなくちゃいけない世界だからね。完璧な執事を装って、自分を隠してたんだ」
笑みを浮かべるも、なんだか切なそうな顔で言う神木さんの手をそっと握り締めた。
「そんなことないと思います」
少し驚いたように見開かれた神木さんの瞳を見据え、わたしはゆっくり記憶を思い返しながら言葉を口にする。
「神木さん、覚えてますか? 初めて会った日にわたしを全力でサポートするって言ってくれたこと。あの言葉通り、神木さんはいつでもわたしの事を気に掛けてくれて、支えてくれました」
お嬢様レッスンや学校の勉強、今まで乗り越えてきた出来事には必ず神木さんの笑顔があった。
「確かに神木さんは執事として接していたのかもしれません……けど、あれは演技した偽物の優しさですか? 違いますよね? 全部、神木さんの優しさだったって、わたしには分かります」
「亜矢……」
「だから……どっちがいいとかじゃない。わたしは執事の神木さんも、今の神木さんも全部含めて大好きなんです」
言い切った瞬間に恥ずかしさが込み上げる。
(ど、どうしよっ……照れる)
「きっと」
零れ落ちるように漏れた声に、外し掛けた目線を戻す。
「こんなこと言うのは告白しておいて今更だと思うけど……亜矢の知らない“俺”がまだたくさんあると思う。俺は執事みたいに完璧じゃない。情けないところやうんざりされることもある……それでもガッカリしないかな? 本当に俺で大丈夫?」
不安そうに言う神木さんに、じわっと胸が熱くなった。
思い悩んでいたのはわたしだけじゃなかった。
神木さんも同じように悩んでくれていたんだ。
一度呼吸を整え、握った神木さんの手を自分の頬へと誘う。
「もう手遅れだよ。どんな神木さんを見ても嬉しいとしか思わないもん……寧ろ、もっと見たい。だからガッカリなんかしてあげませんからっ! それで、よろしいですか?」
神木さん口調を真似して悪戯っぽく言って微笑んだ。すると、ぐっと神木さんの顔が近付く。
「か、神木さん?」
「すいません……お嬢様があまりにも可愛いらしいので、もう一度キスしてよろしいでしょうか?」
いきなり“執事モード”に切り替わった神木さんにたじろぐも、拒むという言葉なと浮かぶ筈はなかった。
小さく頷いてから、そっと瞼を閉じる。
神木さんが“執事失格”だったとしたら、執事に恋したわたしはきっと“お嬢様失格”。
そんな事を思いながら、優しく触れた温もりに心を震わした。
しかし、問題はまだ山積み。
「まずは白藤さんだね」
神木さんがお茶を淹れ直し、わたしに手渡す。それを受け取り、少し躊躇い気味に告げた。
「それなんですけど……もう一度、話し合ってみようと思うんです」
「また無理してない? 俺が言った方が」
「無理してないよ。このまま白藤さんを苦手ってだけで遠去けるのは違う気がして……あの時は取り乱しちゃったけど、改めて話せば分かることもきっとあると思うの」
それに、今思えば白藤さんがわたしにあそこまで言うのには何か理由があるとしか思えなかった。
「兄弟や神木さんと出会ったのは“偶然”だったって言えば簡単に終わっちゃう話だけどね。出会いや別れにも、全てに意味があるって思いたいの」
「意味?」
「意味のない出会いや別れなんて少し寂しいじゃないですか。だったら、白藤さんも意味ある出会いだって信じてみたいんです。せっかく同じ家に住んでるんだもん……仲良くならなきゃ勿体ないでしょ?」
「そうだね、分かったよ。けど、何かあった時は直ぐ俺に報告……わかった?」
「はいっ! 畏まりました!」
おどけて返事をするわたしをおかしそうに笑う神木さん。すっかり執事の抜けきった彼の姿に、じんわりと嬉しさが溢れる。
まだ緊張感は残るけど、それ以上に心を埋める“愛”というなの愛おしさがわたしの背中を押そうとした。
このまま、彼と笑顔で過ごせる幸せを……
はじまったばかりの恋、膨らむ期待。
この日、わたしにとって神木さんは“執事”で“家族”で、掛け替えのない“恋人”となったのだった。