memorys,19
「お前は何をやってるんだ! 相手は朝比奈財閥の副社長で、次期社長候補だぞっ!!」
パーティー会場から離れたテラスへ来た途端、予想通りの言葉が飛ぶ。
「ご、ごめんなさい!」
わたしは即座に頭を下げ謝罪した。
いくら頭にきたとはいえ、陽太さんの立場を悪化させてしまったのは事実。これは怒られても仕方がないと覚悟した。
「お兄ちゃんを悪く言われてカッとなっちゃって……また迷惑掛けて本当にごめんなさい!!」
「いや、大きな声を出してすまなかった。あれはもういい」
「良くないよ! これでお兄ちゃんが会社に居づらくなったらわたしのせいだし……もしもクビになんかなったら」
「大丈夫だから、頭を上げろ」
さっきの声とは違う優しい声に、わたしはゆっくり頭を上げる。すると、ふんわりと包まれるように陽太さんに抱き締められていた。
「お兄ちゃん?」
「ありがとう」
「お礼を言うのはわたしの方だよ。庇ってくれて、ありがとう」
「庇ってくれたのは亜矢だろ? 晶に言い返してくれて嬉しかった……あのまま続いてたら、きっと俺が同じことをしてたかもしれないしな」
「それなら、わたしがやって正解だったね。お兄ちゃんがやってたら、もっと責められてたかもしれないもん」
笑う声が近くで響く。夜風が吹く度に、わたしの頬に陽太さんの柔らかな髪が掠め、少し擽ったい。
「ずっと会社を辞めてやろうかと思ってた」
「えっ!?」
笑いが止んだ直後、陽太さんから放たれた言葉に思わず声を上げた。体が離され、困ったような顔をする相手を凝視する。
「あいつ……晶は父さんの弟夫婦の息子なんだ。父と違って社員を見下すようなやり方をする人たちだから、俺が社長になって父の理想を守りたかったんだけどな」
陽太さんが前に言っていた台詞が頭に浮かんだ。
『お前の父親が現れなかったら、俺は朝比奈の後継者のままだった。そしたら、父さんの跡を継ぐことが出来たのに……お前らのせいで全部なくなったんだ! あんな奴が後継者になったのは、お前たちのせいだっ!』
“あんな奴”とは、晶のことを指し示していて、どうして必死に“後継者”で有り続けたかったのか今分かった。陽太さんはお父さんの会社だけでなく、“夢”を守り抜きたかったのだろう。なのに、わたし達が現れたことで、後継者から外されてしまった。その虚しさや苛立ちがどれだけ陽太さんを苦しめたのか、ようやく分かった気がする。
「本当にごめんなさい」
分かってしまったと同時に、陽太さんに対しての申し訳なさが溢れ出した。
「お父さんの会社を継げなくなって」
「亜矢が謝るな……お前もお前のお父さんも何も悪くない。それに、辞めようと考えてはいたが亜矢のおかげで考え直したんだ」
「え?」
陽太さんの手がわたしの頭を優しく撫でる。
「どんな環境にも挫けず、ただ真っ直ぐに俺たちと向き合おうとしたお前を見ていて思ったんだ。今はただの社員だが……必ず俺は俺の力で社長になってみせる」
新たな夢を見付けた陽太さんの表情はとても晴れやかだった。
「自分のやり方で会長を説得してみるよ。まあ、無謀な挑戦にはなるけどな」
「そんな事ないよ! きっとお兄ちゃんの想い、会長さんにも伝わると思う。周りの人だって、あの人よりもお兄ちゃんの方が社長に相応しいって分かる筈だよ!」
「ありがとう、亜矢」
髪を撫でた手がゆっくりとわたしの手へと近付き、優しく包むように触れる。
「お兄ちゃんの夢、わたし全力で応援するから!」
「ああ、よろしく頼む」
とても嬉しそうに微笑む陽太さんに、わたしも笑顔で返した。
「陽太様」
背後から神木さんの声が掛かり、陽太さんとわたしは同時に視線を向ける。
「晶様の着替えは済みました」
「悪かったな」
「会長がお探しになられてましたので、直ぐに向かわれた方がいいかと」
「分かった。今行く」
神木さんに返事をし、繋がれた陽太さんの手がそっと離された。
「亜矢、お前は最高の妹だ」
そう言って軽く頭をポンッと叩く。なんだか照れ臭くて小さく微笑むと、陽太さんはそのままパーティー会場へと向かって歩き出した。
またひとつ、家族として近付けた感覚に嬉しさが込み上げる。
「お嬢様も戻りましょう。旦那様が心配されていましたよ」
「そうだ! お父さんにも心配掛けちゃったんだ」
あの場面を見ていたお父さんや涼華さんの顔が浮かぶ。そして、わたしを晶から守ろうとしてくれた神木さんの姿も思い出された。
「神木さん、助けようとしてくれてありがとうございました。もしかしたら神木さんがぶたれてたかもしれないのに、迷惑掛けてしまってごめんなさい」
「わたくしは執事です……お嬢様を守るのは当たり前のこと。あなたを傷付けるものから守るのも、わたくしの仕事にございます」
いつものように“執事”として丁寧に対応する神木さん。前までは、そんな彼を見ると緊張して妙にドキドキしてしまっていた。
なのに、今は寂しく感じるのは何故だろう?
あの日“執事”ではない笑顔を向けてくれた神木さんが頭に残って離れない。もう一度、あんな風に笑い掛けてほしいなんて思ってしまっている自分に気付く。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「え?」
「いえ、顔色が優れないようですが……」
神木さんはわたしにとって“家族”。
しかし、それはわたしの勝手な気持ち。
神木さんが自分に優しいのは“執事”という仕事をしているからで、彼自身の感情ではない。自分勝手な考えで浮き沈みして、また心配を掛けてしまうのは避けたかった。
「大丈夫です。慣れないパーティーで疲れただけですからっ」
くだらない事で悩む自分を押さえ込み、笑顔を向ける。
「お父さんのところへ戻りましょう!」
「はい、お嬢様」
神木さんの顔を直視せずに背を向けた。その後ろで僅かに表情を曇らせた事に、わたしは全く気付かなかった。