自殺したい少女
西暦2092年。アクラ23歳。
アクラは神学科の大学を卒業して、家業の教会を継いでいた。アクラは牧師となり、家の教会で日曜ごとにミサを開いていた。
アクラはあの忌まわしいベクターフローの事件以降、死後の世界に強く興味を持つようになった。しかし正直のところ、神の存在などは信じていなかった。神は人間の作り出したものというのは、そんなことはよくよく考えてみれば誰でもわかることだ。
しかし死後の世界があるかどうかはわからなかった。あるという証拠はないが、ないことを証明することもできなかった。この辺りはしょせん空想でもするしかなかったのだが、死後の世界についての興味はなくならなかった。
このあたりは人によって全く見解が異なることだろう。死後の世界は一切ないと考える人もいれば、死後の世界があって死んだ人間はずっとそこにい続けるとか、あるいは死んだ後に人間はすぐさま別の生物に生まれ変わるとか、人によっていろんな考えがありそうである。
アクラは「死後の世界があるかもしれない」と考えていた。それ以降のことは詳しくは考えなかった。証拠のない空想を広げに広げて、冷静な現実を見られなくなることを恐れてのことだった。死後の世界についてあまり多くのストーリーを作り込んでしまうと、教会を訪れた人々に間違ったことを教えてしまい、あらぬ誤解を与えるかもしれない。とりあえずは聖書に載っている事や一般的な宗教学で教わるようなことをアクラは記憶していたが、それ以上にのめり込んで空想を広げる、というようなことは意識して避けるようにした。
ある日、アクラが毎週のミサを終えた時に、一人の少女が教会に居残って、熱心に祈りを捧げていた。少女は10代後半くらいだった。高校生だろうか?何か願い事でもあるのだろうか?最初アクラはそれを遠くから見ているだけだったが、あまり熱心に何か祈っているので、祈りが終わった後に声をかけてみた。
アクラ「何か願い事でもあるのですか?」
少女はびっくりして顔を上げた。声をかけられるとは思っていなかったようだ。しかし次に少女が発した言葉は、アクラを驚かせる意外な内容だった。
少女「私、自殺したいんです。でも死ぬのは怖いから、死んだ後にどうなるのか知りたいんです。牧師さま、死んだ後に人がどうなるのか教えてください!」
これを聞いたアクラが最初に考えたことは、この少女をどうやって自殺させないようにするか、だった。もし死後の世界があり、例えば極楽浄土の天国のような場所があると言えば、この少女は安心して自殺するかもしれない。
地獄のような恐ろしい場所が死後の世界だと言えば、少女は自殺を止めるだろうか?しかしこの少女は以前からずっとこの教会に来ていたのだから、デタラメを教えても見破られてしまうだろう。嘘をつくわけにはいかない。
どうやったらこの少女を死なせずにすむのか?
どのような苦しい過程で自殺を決意したのかは知らないが、この少女は救わねばならない。それは牧師としての務めでもあったし、ただ死ぬことが恐ろしいということをアクラ自身、日頃からよく感じていたからだ。
しかし的確な答えはわからなかった。そこでアクラの口から出た言葉は、牧師としては実にありきたりな言葉だった。正直、これしか思い浮かばなかったというのが正しい。
アクラ「あなたの体は神様がお作りになったものです。言い換えれば、あなたの体は神様のものなのです。だから勝手に自殺して、神の創造物を破壊してはならないのです」
この言葉しか思い浮かばなかったのだが、アクラはすぐに後悔した。はっきりいって、この言葉はあまりにも思いやりがない。宗教学の教科書に書いてあることをそのまま説明したに過ぎない。
今にも自殺しようとしている人に、教科書的な説明をしたところでその決意を止められるだろうか?しかし返ってきたのは、これまたアクラにとって意外な答えだった。
少女「本当ですか?私の体って神様が作ったんですか?」
少女がそう質問するので、意外だがこれは少女の自殺をなんとか止められるかもしれないと思ったアクラは、慎重にゆっくりと話し始めた。
アクラ「そうです。あなたの体も私の体も、皆等しく、神様がお作りになったのです。自分で自分を殺すことは一番大きな罪なのです」
少女「・・・」
アクラは少女の反応がどうもよくわからなかった。納得しているようにも見えたし、そうでないようにも見える。
アクラ「ですから・・・あなたにどんな辛いことがあったか知りませんが、自殺なんておやめなさい。神様のことがわからなくても・・・そう、死ぬことは恐ろしいことです。あなたがそんな恐ろしい目に合わなくてもいいと思うのですが」
アクラも何をいっていいかよくわからなくなり、必死になって出てきた言葉がこれだった。ただ自分の感想をいったに過ぎないのだが、少女の反応は
少女「そうなんですね!ありがとうございます、牧師さま!私、もう少し考えてみることにします」
そういって少女はいってしまった。
これでよかったのだろうか?その後、あの少女は自殺を思いとどまっただろうか?今も生きているだろうか?
そのようなアクラの心配もよそに、少女は再び教会に姿を現した。少女が来たのはミサの日ではなく、平日だった。
少女「牧師さま!」
アクラ「君は・・・えと、元気かい?」
少女「はい!この前はご迷惑をおかけして、すみませんでした!」
アクラ「あ、ああ。とにかく君が元気そうでよかった」
アクラとしては、とにかくこの少女が生きているだけでもよかった。もしかすると以前に自分がした忠告で、誤って本当に死んでしまっていたら大変だった。
少女「ありがとう・・・ございます」
少女は照れたのか、少しうつむいた。やがて顔を上げていった。
少女「あの・・・自習室を貸していただけるとお聞きしたのですが」
アクラ「自習室?ああ、あるよ。使いたいのかい?」
少女「はい!」
自習室というのは教会の中の一室で、たまたま使わない部屋が余っていたのだが、ここを「居場所のない子供たち」が、邪魔の入ることのないところで安心して勉強できるように、開けて使わせていた。いじめを受けていたりして学校に居場所がない、塾にも行けず、家庭に問題があって家にもいたくない、かといって図書館で一人にはなりたくない、そんな複雑な事情を持つ子供たちのために開けてある部屋だった。
家にも学校にも居場所を見つけられない子供たちが集まって、仲良く喋ったりするわけではないが、なんとなく「同じような事情を持つ子が集まっている」という空間を作り、なんとなく安心感を得られるようにした場だった。
アクラ「そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったな」
少女「羽津 霞といいます」
アクラ「そうか、では・・・カスミちゃん、でいいかい?」
カスミ「はい!」
アクラ「自習室を使いたいということは、受験でも控えてるのかい?」
カスミ「来年、大学を受験するんです」
アクラ「そうか、それは頑張らないとな」
カスミ「はい!」
アクラ(明るく元気そうに振舞っているが、自殺を考えるような子だから、空元気かもしれないな)
アクラはカスミを、教会の自習室へ案内した。
アクラ「今日はたまたま誰もいないけど、普段は2、3人くらいの子が使っていることが多いんだ。喧嘩したりしなければいつでも自由に使っていいよ。ただし親御さんに心配かけるわけにもいかないから、あまり夜遅くまでいてはいけないよ」
カスミ「家に帰らないとだめですか?」
アクラ「帰りたくないのかい?」
カスミ「はい・・・」
アクラは自習室でカスミの話を聞いてやることにした。カスミの身の上話はかなり酷いものだった。
カスミは市内の高校の三年生で、今は17歳だった。家では暴力的な父親がおり、日常的に母親に暴力を振るっていた。たまに娘のカスミにも当たっていた。母親は母親で、年下の若い男と不倫をして離婚話を匂わせていた。
このような家庭で育ったためか、カスミは親しい人間関係の作り方がよくわからず、学校のクラスでも孤立して、よくいじめにあっていた。それで学校にも家にも自分の居場所がなく、毎日自殺することや死後の世界のことばかり考えるようになり、この教会に通うようになったという。
アクラ「眠ることが怖い?」
カスミ「はい。夜、布団に入って眠ったら、そのままずっと目が覚めないような気がして、死んでしまわないかと」
アクラ「何か危険な病気でもあるのかい?心臓の病気とか?」
カスミ「そういうのはありませんけど・・・」
アクラ「だったら眠って突然死んだりすることはないよ」
カスミ「それは・・・そうですけど・・・」
アクラ「眠ったら死にそうな気がするので寝るのは嫌だと。では死ぬのは怖いことで、嫌なことなんだね?」
カスミ「はい。とっても怖いです」
アクラ「死にたくない?」
カスミ「はい」
アクラ「では、生きていたいんだね?」
カスミ「生きていても何もいいことはないし・・・」
アクラ「生きていたくもない?」
カスミ「はい」
アクラ「なるほど・・・では、もし死後の世界がとても楽しくて過ごしやすい世界ならどうだい?それでも死ぬのが怖いかい?」
カスミ「いいえ!もしそんな世界があるならすぐにでも行ってみたいです!」
アクラ「死んでその世界に行けるなら、今すぐにでも死にたい、と?」
カスミ「はい!」
アクラ「そうか・・・だからこの前あんなことを言ったのか。人は死んだ後にどうなるのか、と?」
カスミ「はい・・・」
ここでアクラは疑問に思ったのだが、カスミは神の存在を本当に信じているのだろうか?以前はそのようにアドバイスしてしまったのだが、正直のところ、アクラ自身も神の存在を信じていなかったので、あのアドバイスには全く説得力がないと自分では思っていた。
カスミ「それで、先生・・・」
アクラ「先生、って私のことかい?」
カスミ「はい。そう呼んじゃいけませんか?」
アクラ「いや、かまわないよ」
カスミ「それで先生、死んだ後の世界ってどんなところなんですか?」
アクラ「あ、ああ・・・死んだ後の世界か・・・」
アクラは困った。宗教学の話をそのまましてもいいのだが、これほど真剣に生きるか死ぬかを考えている少女に、こんな教科書的な説明が何かの役に立つだろうか?
アクラ「もし私が死後の世界を知っていたとして、それがとても楽しい世界だったら、君は本当に自殺するのかい?」
カスミ「それは・・・」
アクラ「死後の世界がどんなところだったとしても、君が死ねば君は私たちのいるこの世界からはいなくなってしまう」
カスミ「それはいけませんか?私が死んでも何も変わらないと思うんですけど」
アクラはカスミの顔を見た。またあどけなくて、とても純粋な目をしているように見えた。
アクラ「君が死んでしまうと私は悲しいのだが」
カスミ「先生が・・・悲しい?私が死んだら?」
アクラ「そうだよ。とても悲しいね」
カスミ「私に、死んでほしくないですか?」
アクラ「死んでほしくないね」
それは間違いなくアクラの本心だった。
カスミはうつむいてしばらく考えていたが、やがて顔を上げて
カスミ「わかりました。じゃあ私が死んで先生が悲しいと思っている間は死にません」
アクラ「え?・・・ほんとに?」
カスミ「はい」
アクラ「約束だよ?」
カスミ「はい、約束します」
アクラ「では小指を出してくれないか?」
カスミ「小指?こうですか?」
カスミは右手の小指だけ、アクラの目の前に突き出した。アクラは自分の右手の小指をそれに絡ませた。
アクラ「指切り」
カスミ「何ですか?これ。おまじない?」
アクラ「約束を破ったら指を切るぞ?という、昔の人がやってた習慣だよ」
カスミ「ええ!?怖い・・・」
アクラ「昔の人はそうやって大事な約束事を交わしたのさ。それはともかく、つらくなったらいつでも私のところへ来るんだよ。いいかい?何も言わずに死んではいけないよ?」
カスミ「わかりました。約束します」
その日から毎日、カスミは自習室へ来るようになった。アクラは時間の空いた時に、カスミの勉強を見てやったりした。たまに聖書のお話や歴史のお話をしてやると、カスミはとても喜んで聞いていた。
気のせいかどうか知らないが、カスミは以前よりも元気になっているような気がした。あれから「自殺したい」などということもなかったし、そのような相談事もなかった。
そのような調子でやがて半年が過ぎ、カスミは大学受験に合格したのだった。
アクラ「ノースイースト大学の心理学科?」
カスミ「はい!私、心理カウンセラーになりたいんです!」
アクラ「だからか・・・とにかく大学合格おめでとう!」
カスミ「ありがとうございます!」
アクラ「ノースイーストか・・・ずいぶん遠いところだね」
カスミ「そうなんですけど、とても優秀なところらしいですよ」
アクラ「君ならできるさ。頑張るんだよ」
カスミ「はい!」
以前は毎日のように死ぬことばかり考えていたのが嘘のようで、カスミはとても元気だった。もう大丈夫だろう。
カスミ「本当は先生のような牧師さまになりたかったんですけど・・・」
アクラ「え?・・・牧師?」
カスミ「私、先生みたいに頭良くないし記憶力も悪いし、でも悩んでいる人の力になりたくて」
アクラ(私はそんなに頭よくないと思うがな・・・)
カスミ「心理カウンセラーなって悩んでいる人を助けたいんです」
とても意外だった。まさかカスミの進路希望に自分がそこまで影響を与えていたというのは、考えもつかないことだった。
カスミ「先生にお会いするまでは何もしたいことがなくて、大学だって受かったらどこでもいいやって思ってたんですけど、先生に助けられてから決めたんです!」
アクラ「私が・・・何かしたかい?」
カスミ「私が死ぬのを助けてくれたじゃないですか!」
アクラはそんなに大したことをしたつもりではなかったが、カスミにとっては人生の重大事だったようだ。
カスミ「私が今こうしていられるのも、先生のおかげなんです。本当に・・・本当に今までありがとうございました!」
アクラ「私のしたことがそんなに役に立っていたのか・・・とにかくよかった」
カスミ「はい!あ、それと先生・・・つぶやきSNSのアカウント持ってますか?」
つぶやきSNSというのは最近流行っているSNSで、インターネットを通じていろんな人と繋がれるSNSの一つだ。アカウントというのは使用者が持っている名前のようなものだ。
このSNSは、不特定多数の人々に向けて、自分の文章を公開できる。SNSで繋がっている人たちには、自分の独り言のような「つぶやき」を公開でき、情報を共有できるようになっている。繋がっている人たちとは、相手のつぶやきは自分が見ることができ、自分のつぶやきは相手が見ることができるのだ。多くの人たちと繋がっていれば、自分の発した情報はそれら多くの人々が見ることができ、またその人々の情報も自分が見ることができる。
あまり使っていなかったが、アクラもつぶやきSNSのアカウントを持っていた。カスミのアカウントを入力すると、すぐにカスミから返事が来た。
カスミ「これからもよろしくお願いします、先生」
カスミはずっと遠くに行ってしまったが、SNSでカスミと繋がっていられるし、話もできる。
アクラは正直、カスミがいなくなって寂しかったが、縁が切れたわけではないのが嬉しかった。遠くからでも、この少女のことを見守っていられるのが嬉しかった。




