アクラ少年の自由研究
西暦2080年の夏、地球、日本。トリプルレイヤー(triple layer)という州に、フォースデイマーケット(fourth day market)という都市があった。日本で州という単位はおかしいと思うかもしれないが、2020年ごろから日本の経済が急速に低迷し、その後多数の外国からの経済的侵略を受けて日本が半植民地となったため、以前にあった「県」という単位はなくなり「州」となった。県や市の名前は、半ば無理やり英語に変更させられた。これらの矯正は学校の教育に入ってきたので、若い人たちは英語の呼び方に慣れていたが、特に侵略を受ける以前に生まれた年配の人たちは、旧来の名前で呼んだりしていた。
これらの言語的な矯正は様々なところにまで入り込み、日本国民に屈辱を与えた。人の名前に関しても英語読みを強制させられたのだが、日本の人々はこれに強く反発した。実際には日本語の名前をそのままカタカナにして、英語っぽく見せて正当化している人が多かった。
あるいは名前そのものを日本語でも英語でも読めるような名前にしたりもした。例えばケン、ダイ、リン、カレンなど。
ただし苗字は日本語そのままだった。苗字を変えてしまうと戸籍などで行政が混乱してしまうためだ。
このフォースデイマーケット市は海沿いの都市で、ずっと昔は港町として栄え、国際貿易港として活躍した。やがて海外から石油が輸入されるようになると、これを利用した様々な産業が栄えたが、同時に大気汚染・水質汚染が進み、人々を苦しめることになった。しかしこれも市民たちの努力によって改善が進み、「公害」とさえ呼ばれたこれらの問題も、今はもう見る影もない。一時は臨海の埋立地の工場の夜景が美しいというので「夜景クルーズ」などやっていたのだが、経済が低迷した今ではもう行われなくなってしまった。
さて、ここにアクラという少年がいた。正しくは川原 阿倉といったが、ここでは英語風の読み方にして、アクラと書くことにする。
アクラは11歳の少年で、小学5年生だった。父親が牧師で、教会と家が隣接していたので教会が家みたいなものだった。アクラは周囲の人たちが見れば奇妙な遊びに夢中になっていた。古い言い方では、この少年はいわゆるコンピューターオタクというもので、最近ではゴーグル社が開発した無料のシステム「ベクターフロー」というアプリで一人遊びするのに夢中だった。
このアプリは元々は既存の膨大なデータを参照し、様々な不明なデータに妥当な意味を見出す、という、本来であればデータサイエンティスト(人工知能を作るためのデータ分析者)が使用するような装置だったが、誰でも簡易に使えるようなバージョンが無料公開された。アクラが使っているのはこれである。
ランダムなデータに対し、「こうではないか」と意味を推測する装置である。ものすごく平たくいえば、暗号解読器のようなものと思ってもらっていい。厳密には違うのだが、しかしベクターフローは技術自体が新しいため、現実には暗号解読器よりもずっと正確に暗号を解読できていた、そういう装置である。
例えば早朝、家の屋根に留まっているカラスの鳴き声を録音し、その音声データをベクターフローに入力する。その後データの参照と分析のため、ある程度の時間がかかる。夕方ごろにデータの分析が出来上がっているのだが、この時点でこれらの鳴き声に関係すると思われる「キーワード」をいくつか、ベクターフローが抽出する。「エサ、近く、ここ」のようにだ。
その後さらにしばらくデータ分析をさせると、これらキーワードから推測された、意味の通る文章を作り出す。「エサがこの近くにある」という風に。
通常、ベクターフローがデータ分析している間の過程は見ることができず、結果のみが返ってくる。ベクターフローの使用者は、この「エサ、近く、ここ」というキーワードと、「エサがこの近くにある」という最終文章しか見ることはできない。そのためこの装置を使いこなしても、データサイエンティストになれたりはしないのだが。
さらにベクターフローは、必ずしも常に正確な情報を返すわけでは決してない。いくら優秀に高速にデータ分析をしても、やっていることは推測である。「統計的に見て、多分これ」というくらいの意味なのだ。より詳細に、より正確な結果を出そうと思ったら、ベクターフローのより内部の詳細な部分まで使いこなす必要があり、これは専門家でないとできない仕事である。
アクラは自然の様々なデータを記録してベクターフローに分析させた。鳥の鳴き声の音声解読なども面白いが、岩や石の並びの写真のようなものでも分析できる。この場合は特に写真に何者かの意図など含まれていないので、意味の通らないデタラメな文章が返ってくるのだが、それはそれで面白いものだった。
アクラは夏休みの自由研究の宿題を、この大好きなベクターフローにすることに決めた。そこで何を研究対象にするかというのが問題だった。夏休みはもうあまり残されていなかった。
自然界に存在する、例えば水のせせらぎの音や木々の写真など、研究に使える素材は非常にたくさんあったのだが、こういう誰でも思いつくような資源は多くの人がベクターフローにかけて公開していたため、誰がやっても似たような結果になることが多かった。動物の鳴き声なども使えるのだが、アクラの住んでいるところには野生の動物などあまりおらず、かといってペットも飼っていない。
インターネットの世界で資源を探してもよかったのだが、ネットの資源の多くはやはり他の誰かがベクターフローの分析にかけてしまっていて、結果が出てしまっていて面白くない。権利関係も少々面倒である。
そこでアクラはあることに目をつけた。学校の理科の授業で電気についての内容があったのだが、それを応用して今ここに存在している電波をとらえる装置を作った。作り方はネットを調べればわかった。今ここに存在している電波とは、例えば携帯電話の電波とかインターネットの無線で流れているデータなどである。もっと細かい電波も流れていて、誰かが話している携帯電話の内容などもとらえることができる。電波をベクターフローにかけて結果を見る、というのはなかなかおもしろそうだ、とアクラは考えた。
しかし実は、ベクターフローでこれらの電波を解析することはできない。電波をとらえて解析するとその内容が高確率で正確にわかるため、すなわち盗聴になってしまう。だからベクターフローは、人間の出した電波を解析できないように作られてあるのだ。
このことをアクラは知らなかった。アクラは電波をとらえる装置を作り、この内容をベクターフローにかけたのだが、結果は何も出なかった。アクラはこの装置が電波をうまくとらえられていないのかと疑ったが、どこもおかしなところはない。ベクターフローも異常はなかった。
ついに夏休みの最終日になり、この自由研究の宿題だけが残されていた。アクラは再び電波をベクターフローの解析にかけ、その内容を知ろうとしていた。これで何も結果が出なければ、自由研究だけができずに夏休みが終わってしまい、学校の先生に怒られてしまうだろう。
朝から1時間ほど電波を装置に吸収させ、その内容をベクターフローにかける。夕方ごろには解析結果が出るはずだ。
アクラはまた「No Data」と出るんじゃないかと思っていた。さすがにこのまま先生に怒られるのは嫌なので、アクラはインターネット上の「ベクターフローSNS」という専用のSNSに質問してみた。
akura2191「この電波を解析しても結果が出ません。どうしてでしょうか?」
akura2191というのはアクラのSNS上でのハンドルネームだ。
すると即座に返答が返ってきた。
aki_chan「電波wwwww 解析ムリwwwwwww」
「wwww」というのはインターネットスラングの一つで、笑う、または笑える、とい意味である。嘲笑的に使われることも多い。
akura2191「どうしてですか?」
neronero「電波を解析すると盗聴になるから」
akura2191「???」
neronero「盗聴できないようにベクターフローは電波を解析できないように作られてるんだよ」
アクラ「…え?」
それならつじつまが合う。つまりアクラが今まで電波を解析しようとした試みは、全て無駄だったというわけだ。
アクラは絶望した。もう夕方で、自由研究は間に合わないだろう。
先生に対する言い訳としては、とりあえずはベクターフローについて、頑張ったが結果が出せなかった、というしかないだろう。
アクラはまだ動いているベクターフローのスイッチを切ろうとした。そのとき、ちょうどベクターフローの解析が終わったところだった。
結果はわかってはいたが、スイッチを切る前に何が表示されているか見てみた。多分「No Data」だろう。
そう思っていたアクラだったが、しかし結果は少々意外なものだった。データが取れていたのである。
アクラは驚いた。もしかするとベクターフローの不具合かとも思ったが、まずキーワードの結果は実に意外なものだった。
「空 上 死ぬ 世界」
これはなんだろう?
少し待って、文章としての結果が出た。
「空の上に死後の世界あり」
アクラは興奮した。ベクターフローが結果を出したということに驚いたが、その結果がまた実に不思議な内容だったことにも困惑させられた。
このメッセージはどういう意味なのか?
誰が、何の目的でこんなものを出したのか?
このメッセージは、重大なものだろうか?
一人で考えても全くわからなかったので、とりあえずはベクターフローSNSに投稿してみることにした。すると即座に色々な返答が返ってきた。
aki_chan「これマジ?」
neronero「ソースと解析データを」
ソースというのは解析の元となった電波のデータのことである。
解析データというのは、ベクターフローの解析処理の過程をデータで記述したものだ。これを見ればベクターフローが問題なくちゃんと動作したかどうかがわかる。要するに、誤作動でこのような結果が出たのではないかという疑いを検証できる。
アクラが出した解析データには問題がなく、電波も問題がなかった。
neronero「確かに間違いないね。この電波、解析できてる」
aki_chan「電波を解析できるわけねーだろ。なんかのノイズでも入ったんだろ」
denmaru「ノイズって何よ?」
aki_chan「風の音でも拾ったんだろ」
neronero「いや、これ電波だよ。この波形は間違いない」
aki_chan「わかるのか?」
neronero「わかるよ。これ間違いなく電波」
denmaru「ベクターフローの不具合じゃね?」
このアクラの出した電波の話題で、ベクターフローSNSは一時騒然とした。しかしある一人の発言によって、この騒ぎの流れが止まった。
riverside0413「ベクターフローの不具合ではない」
aki_chan「ほんとかい?先生」
このriverside0413という発言者は、このSNSで「先生」と呼ばれていた。riverside0413はこのSNSで極めて専門的かつ的確な発言をしていたので、周りの人たちが自然と先生と呼ぶようになったのだった。
riverside0413「ベクターフローは地球上のどんな電波も解析できないよ。発信源が地球上である限り、物理的に受信できないようになってるんだ」
neronero「でもこの電波は確かに解析できてるんですが?」
riverside0413「この電波が地球ではないところから発信された、としか言いようがないな」
aki_chan「地球外って、衛星からの電波とか?」
riverside0413「地球から打ち出された全ての衛星の電波の規格もベクターフローに搭載されてるよ。だから衛星の電波もとらえるはずがない」
denmaru「じゃあ先生はこの電波はどこから来たと思いますか?」
riverside0413「ふむ・・・」
少ししてからriverside0413は答えた。
riverside0413「宇宙人が出した電波かもな」
しかしこの答えはあまりにも突拍子がなかった。
aki_chan「ちょwwww 宇宙人wwwww」
denman「宇宙塵の間違いだろwwwww」
aki_chan「あ、そうか。宇宙の塵のせいでどこかの電波が屈折して変な結果出したってことじゃね?」
以下、このような冗談まじりの問答がaki_chanとdenmaruの間で続き、このSNSの騒ぎはやがて治まった。
SNSでアクラは完全に放置されていたが、しかし十分すぎるほど刺激的な結果だった。
宇宙人が出した電波。
そしてその宇宙人が、われわれ地球人に向かって「空の上に死後の世界がある」というメッセージを出したこと。
宇宙人が、なんのためにこんなメッセージを地球によこしたのだろう?
いや、地球によこすつもりではなかったのかもしれない。どこか別のところに出そうとした電波をたまたまとらえたのかもしれない。
そしてこのメッセージの意味は何か?宇宙人は空の上に天国があるとでも言いたいのか?なぜそんなことを言ったのか?
考えれば考えるほど謎は深まるばかりで、それが実に刺激的で面白かった。アクラは喜んでこの結果を自由研究として記録し、夏休みの終わりに学校で発表したのだった。
しかし学校で得られた結果は、思ったようなものとは全然違っていた。
誰もアクラの研究結果を評価しないどころか、アクラは「オカルト少年」というレッテルを貼られ、皆から嘲笑され、やがてそれはクラスの同級生からのいじめという形で発展していった。
担任の先生もこの結果には理解を示さず、冗談まじりに「宇宙人とは面白いことをいうな」という程度だった。
この同級生たちのアクラへのいじめは、彼らが同じ学校にいる間はずっと続いた。中学の終わりまでいじめは続き、やがて偏差値で振り分けられる高校にもなると、いじめていた同級生たちとは別の学校になったため、いじめは終わったのだった。
このベクターフローと「宇宙人の電波」との研究は、アクラにとっては以降長く続くいじめを生み出した少年時代の苦い思い出となった。
アクラはもう、ベクターフローにも電波にも興味を示さなくなった。ベクターフローを使うことは二度となかった。電波をとらえたり分析したりするようなことも、二度としなかった。
ただなんとなく、アクラが生来持っている悲観的な性格が原因なのか、それとも家が教会で宗教的なことを考える地盤があったからなのか、この事件はアクラが死後の世界について深く考えるきっかけになった。
人は死んだ後、どうなるのか?
死後の世界があって、そこへ行くのだろうか?
それとも別の生物に生まれ変わったりするのだろうか?
こういった空想をするのは恐怖もあって苦痛だったが、興味は尽きなかった。
そしてこの事件は、アクラの将来の方向性を大きく左右することになる。




