第二十六話
キツネの一件ののち、テレビ局は上司たちが所属する会社のことをニュースにはしなかった。代わりに、集団催眠状態にあった街をまたも救った魔法少女たちを称えるような報道をしたのだ。
上司が誰一人として傷つけずに押さえ込んだことも、その一因だろう。街を守ってもらう代わりに報道規制を敷く。その協定を一方的に破った側からすれば、どうにかして事を穏便に済ませたいと考える。上司の方も、要らぬ詮索は好きではないし、丸くおさまるのであればそれに越したことはない。
それ以上に、連れ帰ったキツネの方に、力を回したいらしかった。その思惑は、誰も知らない。
そして、キツネの一件から、変わったことがひとつ。
アイが、魔法少女たちの前から、姿を消した。
当番の日になっても現れず、電話をしてもつながらず、学校帰りを見つけようにも何故か捕まらなかった。学校に確認すると、休んでいるわけではないという。
しかし、困っているかと言われると、そうでもなかった。
これまでの怪人の大半はキツネが送り込んできたもの。であるならば、必然的にキツネがいなくなった現状では格段に侵略者や怪人の発生率が低下しており、キキは念願の休暇をたっぷりと満喫できるようになっていた。
時折出てくる怪人も、担当が現場に向かうと、気を失っていたり、及び腰で降参してきたりする有様で、楽なものだった。
「アイ」
キキは知っている。怪人のあれは、自分が経験したそれと同じ。おそらくアイの手による物だと。
健康優良児としての生活を取り戻したキキは、しかし今まで以上に魔法少女となり、日中・真夜中問わず、できる限りアイを探していた。おかげで目の下はクマができている。
ある日の深夜。キキがビル群の上を飛んでいると、とあるビルの屋上に、フードをかぶった人影があった。身長、持っている杖のようなもの、そして目深にかぶったフードから影を落として見える顔は、アイだった。
急降下して、アイを捕まえようと両手を広げる。
懐に捕まえた、と思ったところで、アイはするりと抱擁をかわし、飛び退いて距離を取った。
「アイ、なんでこんなところにいるの」
「それはこっちのセリフですよ。せっかく念願の休日を、当たり前のように享受できるようになったんですから。こんなことせず、目一杯休んでくださいよ」
「あなたがいないのに、休めない」
「いいんですよ、私は」
「よくない!」
夜の静寂に、キキの声が響く。
「あなたは私の後輩よ。私を止めてくれた、私の父親を助けてくれた恩人よ。あなたは……!」
「殺し屋の孫ですよ」
キキの叫びに、静かに、斬るように一言。
「私は表舞台にいてはならない人間だったんです。キツネの件で、それがようやく分かりました。最初から、他の人とは違うと自分でわかっていたんです。何故だか初めて持ったはずの仕込み杖がうまく使えるなあって。でも、初めてじゃなかったんです。お爺ちゃんが教えてくれてたんですよ」
彼女は無感動なように話す。
「あの後、お爺ちゃんに聞いたんです。私になんで教えたのか。『闇から光を強くする目をしていたから』ですって。表に見せてはならない技で、表の住人を支える。それが、悪人を精神的にも肉体的にも殺してきたお爺ちゃんから受け継いだ、私の役割なんです。私は魔法少女なんていう光の中にはいられない。でも、光になれなくても、影として強く陰ることで、光の中の人たちのためにはなれる。それでいいって思ったんです」
「なんで、傍ではいけないの?」
「皆さんのことを、もう直視できないんです。どういう経緯であれ人の血に塗れた技を、業を、精神的に受け継いでしまったからですかね。自分でも分からないんです。でも、傍ではいけないことだけはわかります」
「私はいい。みんなもいいって言うに決まってる」
「押しつけはダメですよ。キキさんのいいところは、自分で背負い込むところじゃないですか。『みんな』なんて便利な言葉、使わないでくださいよ」
「帰ってきて、アイ」
キキがアイに近づく。
「帰れません」
アイがビルの端へと、キキの反対方向へと退いていく。
ビルとビルの合間、裏路地の十字路を背に、アイは悠々と角ギリギリに立った。
「キキさん、今日は正式にお別れを言いにきただけです。これで、私は本当にあなたたちの前からいなくなります。もう二度と、会うことはありません」
「ダメ」
「ダメじゃないです。もう決まったことですから。じゃあ、どうかお元気で」
最後だけ、嘘偽りのない笑顔を浮かべてアイは谷間へと落ちていく。
キキが追いすがり、手を伸ばす。
スッ──と、手をかすめる鋭い感触。落ちゆく間際、アイは仕込み杖でキキの右手指先を薄く切った。
これが決別の傷。大切な人に傷をつけた自分は、もうそこへは戻れない。揺らぎかけた自身を、再度影へと落とすために、けじめをつけた。
つもりだった。
「んっ!」
キキの口から声が漏れる。
アイの落下が止まり、体が揺らいだことでフードが脱げた。
片足のかかとだけまだビルから離れていない。体勢を保つ起点は、刀の先。
「何してるんですかキキさん!」
切られた右手を、さらに伸ばして、刃だろうが関係なく、キキはアイの刀を固く握っていた。
「絶対、離さない」
「やめてください、ここまでするつもりは」
「アイ」
アイは呼ばれて、キキを見上げた。斜めになっている自分から、キキがもう片方の手を大きく振りかぶっているのが見える。
──ああ、ぶたれるのか。それで説教して、私を引き戻すつもりなんだ。あんな怖い顔してるんだから。でも、期待には添えないな。今日別れれば、それから先、私は嘘をついてでも、あなたの前からいなくなるから。
アイが目を瞑って、制裁を待つ。
刀が引き寄せられて体もつられて前に傾く。打つには近過ぎないか? なんて考えていたアイの頭は、ふよっと柔らかい双丘の中に吸い込まれた。
「……へ?」
振りかぶられた左手は、ぐるっとアイの体を抱きしめた。
「私には、気を許してくれるって言ったじゃない」
それは、初めての仕事の時。
山の中にUFOを隠していた宇宙人たちを退治したときの、自分の言葉。
自信がなかった自分が、それでもこの人ならと思って言った、疑問符付きの言葉だった。
「悩んでたなら、言ってくれれば」
「キキさん、やめて」
あなたが泣かないで。光が影に落ちてこないで。
あなたはあなたのままでいて。
私は納得してるから。
あなたとの輝かしい思い出は、ずっと大切にしているから。
だから、私なんかのために。
「私は、悩んでなんていませんから」
「なら、そんな哀しい顔をするわけない」
そんなの、キキさんの傲慢だ。
私だって、もしできることならあなたと並んでまた戦いたい。
でも、汚れた私はあなたの傍にいてはダメなんです。
「血なら私だって浴びてきた。どろどろなやつと戦って汚れたり、憂さ晴らしに相手に陰湿なことしたりしてきた。でも魔法少女として今でもやってる。そんなのに比べたら、あなたなんて汚れてない。哀しんでまで、自分一人で背負い込む必要はない。変人なら皆変人よ。ドS社畜にエロオタク、元気バカにドMお嬢様。弱気な殺し屋がいても、大丈夫。あなたの居場所はここにある」
「……なんで、そんなこと言うんですか」
「あなたが私の、大切な後輩だからよ」
「なら、後輩やめますから」
「何言ってんの。私とこうなった以上、死ぬまで後輩だから。これ、パワーハラスメントね。拒否権なし。……それかもしかして、ほんとに私のこと嫌い?」
「……そんなわけないです」
先輩の胸に顔を押し当て、滲み出てきた涙を見せないようにする。
アイの行動に、キキはよしよしと背中をさする。
「大好きですよ。大好きだから、こうしてキキさんだけに話しに来たんです。私のためにキキさんが寝不足になってたらダメだからって。お別れのために。なのに、こんなんじゃお別れできません……」
「だから、しなくていいって言ってるじゃない」
「ほんとに、こんな薄汚れた私でもいいんですか?」
「ほとんどの戦いで峰打ちしてたあなたが、薄汚れてなんてないでしょ。キツネの後の怪人たちも、あれ幻術でしょ? あなた、言動と行動が少し乖離してるのよ」
「……うぅ」
「影って言うなら、私たち全員影よ。魔法少女は、普通じゃない。普通じゃないから、普通じゃない奴らに対抗できる。そうして、普通の人たちを守ってる。だから、あなた一人とか思わないこと」
「はい」
「明日から、また一緒に仕事、してくれる?」
「はい」
「よし」
キキはようやっと、アイを解放した。
右手からは血が出ている。
「あ、そういえば右手!」
「大丈夫よ」
キキは右手を見せつけてくる。頭脳線と感情線を一直線につなぐようにして皮膚が斬れている。しかしその傷がみるみるうちに塞がっていき、数秒後には跡形もなくなっていた。
「蜂男と戦ってからね。やたらと体の調子がいいのよ」
「それは、体の調子がいいとかいうレベルではないような……。でも、よかったです」
「それじゃあ、今日は送っていくわ」
「え、いいですよ」
「ダメ、絶対送っていきます」
「……はい」
アイはキキに抱えられて、自分の家へと戻る。魔法少女に変身することもできたが、
「変身して他のところにいくかもしれないから」
「もう行きませんから」
「もしおとなしく抱えられて帰ったら、その言葉信じてあげる」
という問答の末、今に至る。信じてもらえてないのかと思ったが、こんなこと普通じゃできないな、という思いと、キキととても近くにいられる状況で気が紛れていた。
「信じてないわけじゃないからね」
ぽつりと呟かれ、ぽんぽんと頭を撫でられたアイは、完全におとなしくなった。
───*───*───
アイの家の近くに到着した。角を曲がった先にある和風の豪邸が、アイの自宅だ。
「へえ、あれがアイの家なのね。覚えたわ」
「何する気ですか」
「また遊びに来てもいい?」
「……それなら、いいですけど」
「そ、じゃあね」
「あ、あの」
帰ろうとするキキを、アイは服の裾を引っ張って止める。
「どうしたの?」
「あの……また今日みたいなこと、してもらってもいいですか?」
「今日みたいな……って、どれ?」
「あの……ハグ、です」
「それくらい、お安い御用よ。ほら」
身を翻してキキは、アイを軽く抱き寄せた。
「これくらいのことでもう離れないって言ってくれるなら、毎回やってあげてもいいわよ」
「毎回は心臓に悪いので、お願いした時にお願いします!」
「ふふっ、わかったわ。でも本当に、やっぱり考え直した、とか、どうしても、とかあったら、相談してね。アイが本当に自分から望んで決めたことなら、私は止めないから」
それは、誰のどんな言葉よりもアイの近くに来た。
「はい、ありがとうございます。あと、すみませんでした」
「いいのよ。それじゃあね」
飛んでいくキキを、アイはずっと見送った。
あの人の後輩になれてよかったと、心底思った。




