第十七話
木でできたこの海の家は、四方のうち三方にほぼ壁がない。風通しを良くするためだと、この店を貸してくれたおやっさんの古い友人が言っていたそうな。
店の半分はテーブル席そこからカウンターを境にして、残りはキッチンになっている。
夏の灼熱の日差しを遮る屋根の下。ソースがよく絡んだ麺が、香ばしい匂いを立てて、食欲をそそる。
「なるほどずずずず。つまりあなたはずずずず」とミカ。
「冷静に話し合いに臨むためにずずずず、私たちに接触しようとしたわけだずずずず」とキキ。
「お二人さん、行儀悪いにも程ってもんがあんだろうよ。ちゃんと口にものがなくなってから喋りなせえな」
おやっさんが注意をしても、二人は依然として箸を止めない。
麺にがっつく二人は、ものの数分でそれぞれ皿一枚分の焼きそばを平らげた。
合計五百円。経費より。
「ああ、おいしかった~」
「ごちそうさまでした」
「はいよ、お粗末様でした」
「さあ、じゃあ殺り合いましょう」
「お前さん、ほんとに話聞いてたか?」
キキが椅子に立てかけた槍に手を伸ばすと、おやっさんはため息を吐いて後ろ頭をかいた。
ミカはその反応を、じろじろと眺めていた。
「先輩、武器を下してください」
「……」
「どうやら、こちらの方は本当に話し合いをしに来たみたいです」
「お、こっちの嬢ちゃんは分かってくれたみたいだな」
「ミカ……」
「キキさん、ここはひとつ、話を聞いてみましょうよ」
ミカが諭すと、キキは憤怒を目の奥に宿したまま、槍を立て直し、椅子にふんぞり返って静かになった。
「どうやら、お許しが出たみたいです。すみません、こんな先輩で」
「いやいや、話ができるなら俺は構わんさ。お前さんたちから見たら俺たちが先に手を出してんだから、怒られんのは当然だ」
おやっさんはひとつ手を打つと、「それじゃあ話そうか」と事の次第を語りだした。
「最初に言っておかねえといけねえのは、俺たちが元からこのあたりの浅瀬にある穴の中に住んでいるってことだ」
「元から?」とミカが尋ねる。
「厳密にはどれくらいからで?」
「もう何百年になるかわからねえくらいに、だ」
想定外の答えに、ミカは口を情けなく開いたまま固まった。
キキは依然として厳しくおやっさんを睨んでいる。
「そして俺たちは、毎年夏になるとお祭りをしていた。ここいらの人間たちも、確か今週末に祭りをやるよな?」
「え? そうでしたっけ?」
「水際祭りね」
「お、ここは無愛想な嬢ちゃんの方が上だったな」
「別に。ここに来る途中、貼り紙を見ただけよ」
おやっさんが笑いかけると、キキは顔を背けた。
視線の先には、青く、どこまでも広がりを見せる広大な海が広がっていた。水際では、波が打ち寄せてはまた帰って行っている。
水際祭りとは、この地域に伝わる伝統的なお祭りで、ここを豊かにしてくれる水、つまり、山から川を伝う水と、海の水に対して感謝をするという祭りだ。
「まあその水際祭りを、俺たちはここ一か月続けてたわけだ」
「い、一か月」
「ああそうさ。延々と流れ続ける水に対しての感謝を表すんだ。それくらいやっても足りないくらいだ」
「へ、へえ……」
ミカは頬をポリポリと掻く。
「人間は一日だけなのに……もしかしてそれで……?」
ミカが独り言のようにぼそっと呟くと、おやっさんの耳のようなヒレがピクリと動いた。
「別に、人が水に対しての祭りを一日で終わらせるからって怒ってんじゃねえぜ? これは昔からの慣習だし、俺たちの祭りの終わりと人間の祭りの日取りを合わせて決めたのは、俺たちのご先祖様たちだからな」
「そ、そうでしたか」ミカは顔を戻して苦く笑った。
「でもそうしたら」と今度は不思議そうな顔を見せる。
「どうしてここに、あんな大量の魚人が現れたんですか?」
「ああ、そのことなんだがな」
おやっさんは二人を順に見やった。何かを確認するように。
キキは「ん?」と睨み返し、ミカは「どうしました?」ときょとんとしている。
「お二人さん、海にごみを捨てたことはあるか?」
「は?」
拍子抜けしたミカが正直な声を漏らす。
「ごみを海に捨てたことはあるかって聞いてる」
おやっさんの顔は、真面目なそれになっていた。
二人にもその真剣さが伝わってくる。
「いえ、私は特にそんなことをやったことはないですよ」とミカが返す。
「そっちの無愛想な嬢ちゃんは?」
「そんなことしてる暇、私にはないわ。昔は海に行ったこともなかったし」
「そうか、それならよかった」
おやっさんの顔が少しだけ明るくなった。
キキは、おやっさんの目を睨んで、一つの問いを投げかけた。
「つまり、原因は人による海へのごみ投棄なの?」
「……」
おやっさんは一瞬体を硬直させて、次には「ああ」と答えた。
「それも、ただの缶とかごみ袋じゃねえ。あれは花火だった」
「花火? でも花火なら、水に触れればどうってことないんじゃ……」
「そうでもない。それにもしそれが、水中で花開く花火だとしたら?」
「……つまり、水中花火?」
「ご名答」
キキはそれを聞いて、顔をしかめた。
ミカが「ああ、そういえば」と手をたたく。
「最近は水中で爆発する花火が話題になってるって以前ネットニュースになってましたね」
「そうなのか。まあその水中花火が俺らのいるところにまで投げ込まれたせいで、俺たちの集落が少しばかりパニックになって、若い衆が抑えきれずに出て行っちまったってわけさ。そのほとんどが、嬢ちゃんたちに倒されたみたいだけどな」
ミカはなんとも言えず「ははは」と愛想笑いを浮かべた。
「と、これが今回の事件の経緯ってわけだ」
一通り喋り終えた魚人のおやっさんは、二人が食べた焼きそばの皿と箸を片しに入った。
と、キキがまたここでおやっさんに質問を飛ばす。
「あんた、あの青い竜のこと、何か知ってる?」
「青い竜?」
おやっさんの手が、ぴたりと止まった。
思案顔で天を仰いだ後、何か閃いたように少し眉を上げると、シンクの蛇口をひねって皿を洗い出した。
両端に目が合って何でそんなに器用に洗えるのかと、ミカは不思議に思ってまじまじとおやっさんの背中を見つめた。
「もしかして、その竜とやらは青白い鱗で、体長が百メートルを超えるようなでかいやつか?」
「大きさは正確には確認できなかったけど、二十メートルは優に超えてた」
「そうか……そしたらあのお方かなあ」
「あのお方?」
「そ」と簡単に相槌を打つと、おやっさんは少しの間だまって皿洗いを続けた。
「ここいらで語り継がれてる伝説的存在のことよ。俺たちや人間が生まれる前からここにいたっていう」
ちゃちゃっと皿を洗い終わったおやっさんは、手を拭きながらカウンターに戻ってきた。
「それって神ってこと?」
「まあ、簡単に言えばそうだな」
「神……」
キキは顎に指を当てると、また静かになった。
キキの話が終わったのを見計らって、ミカが話を主節に戻す。
「ところで、今回話し合いたいことっていうのは何なんです?」
「ああ、一番大事なところを言ってなかったな。話し合いというか、頼みたい、だな」
「ほう、何をご所望で?」
「頼み事は二つだ」
言うとおやっさんはピースサインを突き出した。指と指の間に水かきが見える。
「一つ、今回のことは水に流してほしい。もう一つ、これ以降、同じようなことが起こらないように対策を考えてもらいたい」
ミカは一度キキの方を向いた。キキからの反応が得られないと判断したうえで、快く首肯を返した。
「ええ、前者はもちろん、後者も会社に頼んでみます。こちらとしても、争わなくていいならそっちの方がいいですからね」
これは、ミカの独自的判断ではない。上司に「もし無駄な戦いが避けられるなら、その方法をとってね」と、可能性として話されていたからこその即断である。
「話が分かる嬢ちゃんで助かったぜ。住み分けさえできれば、俺たちは仲良くやってける。昔の人たちがそうしてきたようにな」
口元を緩めたおやっさんは、ミカに向けて手を差し出してきた。
口に出さずとも、ミカにはその意図くらいくみ取れる。
「そうですね。私もそう思います」
ミカは満面の笑みを浮かべ、固く握手を交わした。
「今後とも、よろしくな。困ったことがあったら何でも言ってくれ。あそこに見える崖下あたりに、俺らの棲み処があるからな」
「あらまあこりゃまたご丁寧にどうも。本当に困ったときは、頼らせていただきます」
「おう、じゃあそういうことでな」
「はい。ささ、キキさん行きますよ。事はこれにて解決したんですから」
「……」
事件が解決すれば、もう魔法少女としてそこにとどまる意味はなく、無駄なリスクを増やすだけ。
ミカに腕を引っ張られる形で、キキは会社へと帰っていった。
二人が空の彼方に見えなくなるまで、おやっさんは海の家から出て、二人に手を振っていた。
やがて二人が確認できなくなると、おやっさんの手は後ろ頭に回る。
「青い竜、ねえ……。そんなにまずいこと、したかねえ」
おやっさんは青く澄んだ空を見上げて、後ろ頭をかいた。
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空を飛行しながら、ミカはキキへ何度も話しかけていた。
頬を叩く風よりも、大きな声を張り上げて。
「キキさん、ねえキキさん聞いてます?」
しかし、いくら呼びかけても、キキからの反応はない。これで十回目だ。
こうなることはそうそうなかったが、キキは考え込むと自分の気が済むまで周りのことを気にしなくなるというのは、以前目にしたことがあった。だから今回のこの状況だって、不思議というわけではない。
「……仕方ないか」
だからといって、このままキキに放心状態でいられると、ミカとしても面倒が増える。
ミカは一息深呼吸をしてから、キキの体を支えていない左手をワキワキさせ、にやけ顔全開で、キキの耳元で囁いた。
「いかがわしいことしますよ?」
こんなことしたら、いくら無意識のキキさんでも何かしらの反応を見せてくるだろう。
そう思っていたミカの予想は、きれいさっぱり打ち砕かれた。
「…………」
「……ちょっとは反応してくださいよ」
完全なる無反応。ミカはそれ以降、観念してキキへのアクションを起こさなかった。
キキは、道中はもちろん会社に帰ってからも、果ては会社を出て家に帰ってからも、一切口を開くことはなかった。




