第48話 ストーカー事件の事実確認②
一通りの説明と傷口の証明も終わり、もう事実確認は終わったものと考えていた。
これで帰れるだろうと算段を付けていると――。
「――ところで、南雲さんはアルバイトの申請を学校に出していませんでしたよね。これはストーカー事件とは別ですが、校則違反という問題がありますね」
瀬那を挟んだ向こう側、A組の担任である負川先生から、重箱の隅をつつくような声がした。
それを聞いた瞬間、隣に座る瀬那の体が「びくっ」と強張ったのがわかる。……マジか、申請していなかったのか。
思い返せば、最初に『ルナポート』で会った時も、俺に『黙っておいてほしい理由』が、『学校の連中の冷やかし』以外に何かある雰囲気だった。それが『学校に無断でバイトをしているから』だったとは……。
親と折り合いが悪い状態だもんな。実質的な保護者である叔母の朱門さんとも『仲は良くない』と言っていたし、保護者のサインが必要な申請書は出せないはずだ。少し考えたらわかりそうなものだが、俺は全く気にしていなかった。
「……そ、それは……」
「負川先生の言う通り、それは大問題ですね! ストーカーに狙われたのですから、あんな危ないバイトは即刻辞めさせて、私の特進クラスに移動させた方がいいのではないでしょうか!?」
言葉に詰まる瀬那を庇う間もなく、特進クラス担任の赤口が身を乗り出して捲し立てた。
なるほど。さっきからこの男の態度がきな臭かった理由がわかった。学年トップの成績を持つ瀬那を、自分の管理下に引き抜きたいという下心か。
「南雲さんみたいに類稀なる頭脳を持つ子が、時給数百円のバイトなんかで貴重な時間を消費するのはもったいない。ちゃんと勉強して、良い大学に進学するか海外留学するのも良いと思いますよ」
赤口の言葉に乗っかるように、勝田も何か言い始めた。
瀬那があのカフェでのバイトを楽しんでいるかを知っているし、何よりあいつの生活費がかかっているのをわかっている俺としては、なんとかしてやりたいが……。
引き抜きはともかく、無断バイトが学校にバレた以上、教師陣を論破してバイトを続けさせるのは俺でも厳しいぞ。
コンコンコン
その時、応接室の扉が控えめにノックされた。校長が「どうぞ」と促すと、中に入ってきたのは、赤みがかかった茶髪にキリッとしたつり目のスーツの女性――昨晩、警察署の会議室に乗り込んできた、瀬那の叔母の朱門さんだった。
「え?」
室内で、素っ頓狂な声を上げてしまったのは俺一人だった。
瀬那も驚くはずだが、一切反応していない。その目は冷たい優等生の仮面を被ったそれに切り替わっている。
朱門さんは当然のように空いている椅子に腰を下ろし、静かに話を始めた。
「すみません、急用で遅くなりました。それで、どこまで話をしましたか?」
「はい、理事長。昨日のストーカーの件は、ほとん――」
「――はっ!? り、理事長!? あの朱門さんが、うちの学園の理事長だったのか!?」
俺のデカい声が、応接室に響き渡った。
大人たちが一斉に「何を今更」という顔で俺を見る。
「……知らなかったのですか、東條くん。入学式で一番初めに、壇上でご挨拶されていましたよ?」
「あー……どおりで、どこかで見たことある顔だと思ったんだ……すみません、話の腰を折りました」
三波先生に呆れられ、俺は大人しく頭を下げて謝罪した。
でも、これで全ての疑問がパズルのように繋がって納得がいった。理事長がこの事件のことを今朝の時点で知っていたこともそうだし、警察から学校に連絡がなかったのは、すでに学園のトップに直接話が行っていたからなのか。
……昼休みに瀬那が「筒抜けです」と何かを言いたそうにしていたのも、このことか。
横を見ると、瀬那が「もう、だからさっき言おうとしたのに」と呆れ返った非難の目を俺に向けていた。すぐにまた氷の仮面に戻ったが……。
「……と言う事です。それで理事長、今は南雲さんがアルバイトの申請を学校側にしていないという、問題について話をしていました」
「そうですよ理事長! ストーカーの件もあったので、あんなバイトは危険です。すぐに辞めさせましょう! そして彼女の将来のためにも、私の特進クラスで手厚く――」
「赤口先生。我が学園は、本分である勉強を疎かにしない限り、生徒のアルバイトに口を出さない方針です。学生バイトだとしても、社会に出て自らの足で仕事をしたという経験は、机上の空論よりも今後の人生の役に立つこともありますからね」
鬼の首を取ったように進言する赤口を、朱門さんは一瞥し、理事長としての絶対的な威厳を持って冷たく一蹴した。
「だ、だが、それはちゃんと学校へ申請をした上での話で――」
「ええ。南雲さんの件なら何も問題ありません。申請はとうに受理されておりますよ」
「へ?」
「担任の負川先生を通さなかっただけでしょう。そうですよね、教頭?」
「……そのようですね。今データを確認したところ、本部の承認印で正式に受理されております」
「えっ!?」
俺の隣で、瀬那が小さく息を呑んだ。
自分で申請書を出していないものが、いつの間にか正式に受理されているのだから、一番驚いているのは間違いなく瀬那本人だろう。
……なるほど。『仲は良くない』と言いながらも、この人は裏でしっかりと、姪っ子のことを守ってくれていたというわけだ。
「さて、他に話はあるのですか? 遅れてきた私が言うのもどうかとも思いますが、これ以上意味のない追及がないのであれば、この場はお終いにします。南雲さん、東條くん。お二人はこのまま理事長室にきていただけますか? 今後のことで大事なお話があります。他の皆さんは、それぞれの持ち場に戻っていただいて構いません」
呆然と口を開けている勝田と赤口を完全に空気扱いして、朱門さんは有無を言わさぬトップダウンでこの事情聴取の終了を宣言した。
俺と瀬那は、別室で話があるらしい。俺も色々と朱門さんに確認したいことがあったので、都合が良かった。
◇
「お二人とも、そちらに座ってください。飲み物はなにがいいですか?」
「いえ、結構です」
理事長室に通された俺たちは、朱門さんからソファに座るように促された。それと同時に飲み物を確認されたが、瀬那がすかさず拒否をした。ソファに座る事さえしない。相当仲が良くない……と言うより、瀬那が一方的に嫌っているようにも感じる。
俺も瀬那に倣って、座らずに立っていた。部屋には俺たち三人のほかに、警察署にもいた有能そうな秘書が控えている。
「……そうですか」
「……バイトの件は、どういうことですか?」
いかにも『理事長の机』という重厚なデスクに座った朱門さんは残念そうな顔をしたが、それを全く気にせず瀬那は尋ねた。
当然の疑問だろう。瀬那が忘れていない限り、申請をしていないなら、誰かが代わりに提出したことになる。この学校でそれができるのは……目の前にいるこの人しかいない。
「あなたが想像している通りよ。私が代わりに申請しておきました。……バイトぐらい、一言言ってくれれば署名したわよ」
「……その件は感謝しますが、私が叔母様に頼りたくないことも、とうに理解されているはずです。今後は一人でどうにかしますので、余計なお世話は不要です。それでは、私は他に聞きたいことはありませんので」
そう言い捨てるや否や、瀬那は踵を返し、理事長室を後にする。
いつもの『他人に興味がありません』という優等生の仮面と違い、一線を引いたニュートラルな状態でもない。絶対零度のように冷たい……明確な拒絶の声色だけではなく、その刺々しい態度も一切隠していなかった。
ここまで激しく他人を拒絶しているのは、火事があった日に俺が不用意に話しかけた時ぐらいだ。あの時は自身を守る虚勢の意味が強かったが、今回は違う。完全な拒絶だ。
部屋に残され、いたたまれなくなった俺は、軽く会釈をして「失礼します」と部屋を後にしようとした。その時――。
「お待ちなさい。あなたに話があります。昨日、あまり話せなかったので、少しだけ話をさせてちょうだい」
呼び留められた。姪である瀬那を置いて、俺に話がある……嫌な予感しかしない。
「そんなに嫌そうな顔をしないでちょうだい」
苦笑いで言われた。しまった! 思い切り顔に出てしまっていたようだ。失敗、失敗。
俺は理事長のデスクの前まで歩み寄り、向かいに立つ。
「座っても大丈夫よ」
「お構いなく」
「そう。……改めて、瀬那のことはありがとう。あなたがいなかったらどうなっていたか、わからないわ。あの子がいつも通り……ではないけど、普通に生活できるのは、あなたのおかげよ。本当にありがとう」
朱門さんは深く頭を下げた。朱門さんの方は、姪である瀬那を心から気にしているらしい。……少なくとも、瀬那が言っていた通りの『期待できない大人』ではなさそうに見えるが。
「昨日も言いましたが、俺は当たり前のことをしたまでです。刺されるってヘマをしちゃいましたが、それはあの男が原因ですので、お気遣いは必要ありません」
「昨日のストーカーのこともだけど、……火事のこともよ」
「!? ……ご存じだったのですね」
「えぇ。ただ、知ったのはここ数日のこと。あなたたち、火事の後すぐに不動産屋に行ったでしょ? それがあって、保証人である私にすぐには話が来なかったみたい」
たしかに火事があった二日後、俺たちは不動産屋に行った。後手に回るのが嫌だったのでできる限り先手を取って動いていたけど……そうか、こういう副作用があったのか。
「でも、あの日あなたが拾ってくれなければ、それこそ何があったか……。火事があったからと言って、あの子は意地でも私に連絡なんてしないでしょうしね。……本当なら、同級生の男の子のお宅に転がり込んでいるなんて保護者として絶対に連れ戻すべき状況なのだけれど。あの子の顔を見ていたら、問題は起きていないみたいだから、今回は目を瞑るわ」
「目を瞑るわ」じゃない……良くないだろ、普通。
そりゃ、頭ごなしに非難されて瀬那を連れ戻されても困るが、いくらなんでも高校生男女の同居をこうも簡単に受け入れられてもダメだろ。この人の感覚どうなってるんだ。
「……瀬那を、ご自宅へ引き取らないのですか?」
「……あの子自身が望んでいないのなら、それは無理よ」
少し寂しそうな顔をして、朱門さんは自嘲気味にポツリと零した。それは姪を拒絶しているのではなく、力になれない自分自身を責めているように感じた。
「無理よ」という言葉に何か深い事情があるような違和感を覚えるも、他人の俺がそれ以上問うことは出来なかった。
「東條くん、瀬那からあの子の両親……私の兄夫婦のことを聞いたことある?」
「いえ、特に。強いて言えば、『あてにできない』ですかね。そのような事は聞いたことがあります」
「……そう。そう言うのも仕方ないわ」
それを聞いた朱門さんは、この部屋に入って何度目になるかわからない苦笑いをした。そして、深くため息をついて天を仰ぐ。
しばらくして、顔をこちらに向けた。その顔に自嘲気味な感じはなく、きりっとした顔。たぶん、いつも仕事をしている時の理事長としての表情だ。
「あの子から聞いていないのなら、私から言うのも違うと思う。瀬那が話すのを待っていてあげて。あの子は東條くんを信頼しているみたいだし、いつか話してくれるわ」
「そうですね。瀬那が話してくれるなら、ちゃんと受け止めます」
俺の言葉に納得したのか、安心したのかはわからないが、朱門さんは優しく微笑みを浮かべた。その顔はどこか、瀬那と重なるように見えた。
「ごめんなさい、時間を取らせたわね。私から言いたいことは以上よ。……私が言うのもなんだけど、あの子……瀬那のことをよろしくね。何かあればいつでも連絡して」
個人の連絡先が書かれた名刺を差し出してきた。
俺はそれを受け取ってから言う。
「俺は、瀬那とその家族がどういう状況なのかは知らないです。知らないですが、俺は瀬那の味方でいますよ。あいつが俺を頼る限りは、できる限り助けるつもりです。……それこそ、『俺が言うのはなんですが』ですけどね」
お互いに顔を合わせて、「クスっ」と小さく笑う。
一礼して、俺は部屋を後にした。
ズシン、と腹の底に響くような重く鈍い音を立てて、理事長室の扉が閉まる。
「ふぅー」と深くため息をつき、俺はその場にしゃがみ込む。
「随分と長く、話していましたね」
「!!」
すぐ横に瀬那がしゃがんでいた。俺の話が終わるのを待っていたようだ。
その瞳には、心配と不安の色が入り混じっている。朱門さんとどのような話をしたのか不安なのだろう。……自分のことや、俺が責められていないかなど。
「待っていてくれたのか」
「もちろんです。一緒に出てくるとばかり思っていたら……後ろを見るといないのですから、びっくりしました」
「ははっ、ごめんな。朱門さんに改めてお礼を言われただけだよ。本当にそれだけ」
「本当ですか」
ジト目でこちらを見ていた。
「本当だよ。まあ、強いて言うなら、『瀬那をお願いね』ってさ」
「……叔母様に、そんなことを言われる筋合いはありません」
「まあ、そう意固地になるなって」
冷たい目をして否定する瀬那の頭を、俺は血の滲んでいない右手でポンポンと撫でた。瀬那はこそばゆいような、でも少し嬉しそうな顔をして大人しく受け入れている。まるで懐いた猫のように、俺の撫でる手に好きなようにされていた。
……俺も最近、瀬那に対してのスキンシップが自然と増えている気がしてきた。
自分の行動に遅れて恥ずかしくなり、それを誤魔化すように立ち上がって帰宅を促す。
「よし、色々あったけどとりあえず帰ろうか。もうそろそろ日が暮れるしさ」
「はいっ」
俺が思うに、この二人はどうしようもなくすれ違っているだけだ。少なくとも俺には、朱門さんが瀬那のことを疎ましく考えているようには見えない。むしろ、痛ましいほどに深く気にかけている。
まだ、歩み寄れるはずだ。見栄と世間体しか気にしない、俺の冷え切った家族と違って。
ただ、この誤解と言うか、瀬那の異常なまでの忌避感をもう少し緩和しないと、いくら俺が叔母さんの真意を説明しても絶対に納得しないはずだ。最悪、俺が朱門さんに懐柔されて裏切ったと思い込み、俺の家からも飛び出て行ってしまう可能性がある。
……それだけは、絶対に駄目だ。
他に安全に住む場所があるならともかく、あてもなく家を出て行かれるのだけは避けたい。
(俺たちの同居を理事長が知っていることも、こいつに話すのはまだ早いな。それを知れば、俺にこれ以上迷惑をかけまいと、自分から出て行く可能性がある)
結果的に、瀬那に対して秘密にすることが多くなってしまった。
そういう意味でも、今朝感じた『面倒なことになりそうだ』という嫌な予感は、完全に正解だったようだ。
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