第35話 唐突で憂鬱な呼び出し
Side:南雲 瀬那
昨夜、帰宅後に一日あった出来事を思い出しました。あまり女性と言うか、人と接点を持たないと言っていた朔也くんですが、コミュニケーションが取れないわけではありません。同級生の女の子から話しかけられても、普通に接していました。
(人と関わらないって言っていたのは、どこにいったのでしょうね)
それが悪いわけではないので、ダメだとは言えませんが……。朔也くんの良いところを、みんなに知られてしまったのではないかと少し気持ちがざわつきします。
愛莉さんはともかく、水野さんや金森さんも彼に対して少し見方が変わったような態度でした。
特に金森さんです。金森さんも木内さんも、良い距離感で仲良くさせていただいています。他の女子や、ましてや男子とやり取りするより、安心して一緒に過ごせる方たちです。
それが、いつもは寡黙な方なのに、朔也くんには饒舌でした。クールな方だと思っていましたが、彼に対しての接し方は、クールと言うより、面白いおもちゃを見つけた時の目をしている印象でした。
朔也くんも朔也くんです。
絡まれてもノリよく付き合っていましたし……少し妬けてしまいます。
はしたないと感じますが、学校では秘密にしているとは言え、学校から一歩外に出れば私たちは『恋人(偽)』なのです。妬いても当たり前ですよね。
……まあ、晩ご飯の後に出していただいたパフェ(前回と別バージョン)で、そんなモヤモヤも綺麗にうやむやにされてしまいましたが。
甘いものに釣られるなんて不本意ですが、美味しかったので良しとします。
打ち上げをした翌日である今日は、バイト以外には予定がありません。朔也くんも特に予定はないらしいです。
朝食後、簡単に復習と予習を済ませて、二人で軽くジムに行きました。バイトは十三時からだったので、昼食を取ってから行くことになります。
私がシャワーを浴びてリビングに戻ると、テーブルには昨晩の鶏の照り焼きの残りと野菜で作った簡単なクラブサンド、そしてポタージュが用意されていました。
「……私がシャワーを浴びている間に、さっと作ってしまうのですね」
「その方が楽だろ? 今回、ポタージュは初めてごぼうとレンコンと豆乳で作ってみたから、美味しいことを願ってくれ」
「ありがとうございます。絶対美味しいと思いますよ? ……そりゃ楽ですけど。いつも思うのですが、家事の負担が朔也くんの方が多くないですか?」
「そうか? 瀬那がバイトに行っている時に作ってるから、料理の比重が多く感じているだけだと思うぞ。他はお願いしているわけだしね」
私はバイトを週三回ほど入れています。休日はともかく、平日は放課後からなので、必然的に夕飯を作る時間がありません。家にいることが多い朔也くんが作るのが合理的なのはわかるのですが……。住まわせていただいているのに、もう少し恩返しをしたいです。
私は不満な気持ちを込めて、いわゆるジト目で朔也くんを見つめました。
それを見た朔也くんは、エプロンを外してキッチンから足早に出ていきました。……逃げましたね。
「じゃあ、俺もサクッとシャワー浴びてくるから。外出の準備できたら、ポタージュの味だけ調整しておいて」
「わかりました」
私は髪を整えた後、軽くメイクをしてからキッチンへ向かいました。その時――
ヴゥー! ヴゥー!
視線を送ると、テーブルに置いてあった朔也くんのスマホが震えていました。
画面には『東條 詩織』と表示されています。ご家族の方でしょうか。
勝手に電話に出るわけにもいかないので、洗面所へ持っていきました。
「朔也くん、お電話ですよ。東條詩織さんから」
「えっ? 詩織? ……ありがとう。なんの用だろう?」
朔也くんは洗面所のドアを少し開けて、手を伸ばしてきました。
……その隙間から、中の様子が見えてしまいました。もうシャワーは上がっていたらしく、髪は濡れていてズボンは穿いていましたが、上半身は裸でした……。
「っ……!」
すぐに目を背けましたが、なんだかひどく恥ずかしいです……。プールや海なら普通のことなのに、自宅で不意打ちだと……少し、煽情的です。は、恥ずかしいぃ……。
扉の前で一人で悶えていると――
「えっ? マジかよ。……そんなことあの人言っているのか……。今日は難しいんだよな……。いや、安全を考えたら無理だ」
少し驚愕している声が聞こえてきました。「あの人」とは誰なのでしょうか。その時だけ、声のトーンがすっと下がって聞こえました。それに「安全を考えたら無理」とはなんなのでしょうか。
良くないとはわかっていても、つい会話の内容に聞き耳を立ててしまいます。
とは言っても、このまま扉の前に立ち尽くしているのはマナー違反なので、そっとキッチンに戻って支度を再開しました。
すぐに「ガララッ」と扉を開けて、朔也くんがリビングへ入ってきました。
首をかしげながら苦笑いで、昼食の準備のために皿を出し始めます。
「えっと……。詩織さんってご家族の方ですよね?」
「え? あぁ、妹だよ。歳は一つ下のね」
妹さんだったのですね。『詩織さん』……いつかお会いすることがあるのでしょうか。その時は失礼がないようにしないと。
「妹さんがいらしたのですね。……訊いて良いかわかりませんが、何かあったのですか?」
「大したことじゃないよ。毎月一度は実家に帰って夕飯を取るって話になっているんだけど、『今日来い』っていきなり言われたからさ。急すぎて無理って伝えてもらった」
朔也くんは「一人暮らしの条件みたいなものだな」と、苦笑いしながら言いました。私と同じく、家族とは疎遠な状態だと思っていましたが、夕飯を一緒に食べられるぐらいには仲はよさそうですね。それはそれで良いことではないでしょうか。……あれ?
「よく考えたら、私がここに来てから朔也くんは一度も帰っていませんよね? どうしてですか?」
「それは……。月に一度は帰るっていう約束も向こうが勝手に言っているだけで、俺は了承していないんだよ。それにテストがあっただろ? だから無理して帰らず、テストを優先したんだ。ただそれだけ」
(『ただそれだけ』って言いますが……。それだけではなさそうな感じがします)
まだ長い付き合いではないですが、一緒に生活しているおかげか、朔也くんの癖がなんとなくわかってきています。こういう風に「ただそれだけ」って言う時は、大抵、別の理由も含んでいる可能性が高いです。
昼食の準備をしながら考えます。
家族と仲良くできるなら、それに越したことはないはずです。
(先ほど立ち聞きしてしまったお話を思い出すと……)
「あの人」が誰かはわかりませんが、「安全を考えたら無理」とはどういうことでしょう。ただご飯を食べるだけなのに、実家に帰って安全ではないとは思えません。そうなると……。
「私のことを気にしているなら大丈夫ですよ。ここ最近、ストーカー男と会っていないので、今日も大丈夫ですよ」
「……別にそのことを気にして、帰らないわけじゃないよ。ただ、あの人に会いたくないだけで」
昼食を食べ始めながら投げかけた私の言葉は、ある程度核心を突いていると思います。
彼はすぐにいつもの表情に戻していましたが、明らかに驚いた顔をしたのを私は見逃していません。これは……図星ですね。
「ふふっ。そんなこと無いでしょう? 『最悪』を想定する、優しい朔也くんのことです。考えないはずがないではないですか」
「……くっ」
分かりやすく、図星を当てられたようなリアクションをしています。
ふふっ♪ そういうところは可愛らしいですね。
……それよりも、気になってしまいます。彼の声のトーンが少し下がった『あの人』のこと。無意識なのか意識的なのかわかりませんが、ピアスを触っていました。
「……申し訳ないついでにお聞きしますが、『あの人』とはどなたですか?」
「……母だよ。実母になるね」
「そうなのですか」
「気にしなくていいよ。前から俺は関わりたくないだけだからさ。……月一に帰るのも、母が言い始めたことだけどね」
熱を失ったような目をしているのが気になります。ですから、これ以上深く聞くことができそうにありません。私が自分の家族に対してしているように……完全に拒絶している雰囲気です。
「……妹さんはどんな方なのですか? 仲はいいですか?」
「詩織? 詩織は大人しそうな感じはしてるけど、まだ俺に慣れていないだけかもしれないけどな。勉強はよくやってて、俺が実家にいた時や、たまに帰った時には教えていたよ」
兄妹そろって勉強ができるのですね。……まだ俺に慣れていないってどういう意味でしょうか。一つ下なのに慣れていないっておかしい気がします。
……私にも妹がいますが、ほとんど会ったことがないので正解がわかりませんが。
「仲の良さね……。一緒にスーパーに買いもの行ったり、料理を作ってくれるぐらいには、嫌われていないと思うよ」
「一緒にスーパーへ行き、手料理まで……。さすがご兄弟ですね」
「まあ、お互いに親が家にいなかったから、自分たちで作る必要があったんだと思う」
「……えっ?」
「ん?」
「今の言葉、少し引っかかるのですが……。お互いに、親がいなかった……?」
「ああ。再婚したって話をしただろ? 二人とも仕事で不在がちでさ。それぞれ、ほぼ一人で生活してたようなもんだったからな。俺が実家にいた時も、ほとんど二人で暮らしていたようなものだったよ」
「……」
「……瀬那?」
「もしかしてですが……。血の繋がりがない、義理の妹だったりします?」
「ん? ああ、そうだな。……言っていなかったっけ?」
「……一言も、聞いておりません」
どこのフィクションですか! 義妹と二人暮らしって!
確か、中三のころに親御さんが再婚されたとおっしゃっていましたので、長くても一年ぐらいの付き合いなはずです。赤の他人……しかも思春期の難しい時期です。それなのに一緒に生活して普通に接しているのだとしたら、妹さんは朔也くんの人の好さを深く知っているのかもしれませんね。羨ましいです……。
――今の私の状態と、ほとんど違わないことからは、ひとまず目を逸らして言いますが。
それにしても、お母様と違って詩織さんのことについては、普通に話しています。再婚自体が、朔也くんにとって嫌な事ではないのですね。良かったです。
実家に帰るのが嫌なのは、この感じからして本当にお母様に会いたくないのですね……。
――ですが、私の事情だけで行かないのも申し訳ないです。無理強いはできませんが。
ヴゥー! ヴゥー!
再び朔也くんのスマホが震えました。自然と画面を見てしまいます。画面には『東條 夜香』と表示されていました。
「げっ!」
あからさまに嫌な顔をしています。つまり、お母様なわけですね。そんなに嫌な顔しなくても……。
見なかったことにしようとして、テーブルの端に寄せないでください。あぁ……もう! うるさいからってソファに投げちゃダメですよ!
私は立ち上がり、ソファからスマホを拾って朔也くんに渡します。
「もう、ちゃんと出てください」
「えぇ……」
「……なんなら、私が出ますけど?」
「……それは説明が難しくなるな。……わかったよ」
朔也くんは渋々ながらスマホを手に取り、電話に出ました。
「はい。……いや、だから、急すぎるんだって。今日は無理。……知らねーよ、そっちの都合じゃねーか。……それって、俺がいなくても問題ないだろ? ……いや、だからさ」
電話口のやり取りが白熱しています。お母様は相当食い下がっているようですね。
ここまでして会いたいとおっしゃるのでしたら、やはり今日は行った方が良いと思います。
私は朔也くんに近づき、小声で話しかけながら、彼の服の袖を少しだけ強く握りしめました。
「ねぇ、朔也くん」
「え? ……ちょっと待って」
朔也くんは「ピッ!」っと電話を一時保留に変更しました。
「どうした?」
「お母様は朔也くんに会いたいのですよ。やっぱり、今日はご実家に行った方が良いと思います」
「いや、そういうわけではなくてだな……」
「それに、会える時に会っておいた方が良いですよ。急に会えなくなることだって、あるんですから」
私は、亡くなった曾祖父と曾祖母のことを思い出します。
死んでしまったら、もう二度と会う事はできないのです……。
「会ってくれて、ちゃんとお話をしてくれるだけ、いいじゃないですか」
今の状況はともかく、昔の私は願っても両親に会うことすらできなかったのですから。
心の奥底から泥のような苦い思い出が浮上してきそうになるのを、私は必死に振り払いました。
ここで私が暗い顔をして、彼に余計な気を遣わせてはいけない。私は彼を見上げて、笑顔を作って見せました。
「……っ。わかったよ。でも、本当に気を付けるんだぞ」
「はい。もちろんです」
朔也くんは再度電話に出て、了承の言葉を口にしました。
「わかった。今日は行ってやる。でも、今後は急に言ってきても行かないからな」
電話を切った朔也くんは、ひどく疲れた顔をして椅子に座りました。
そして何かを考えるように、手を口元に当てています。
「……もしもの時のために、スマホで合図出せるようにしておこうか」
「合図ですか?」
「そう。簡単に俺に連絡を取れる、もしくは現在地を送れるようにってこと。最悪、逃げながらでもどうにかなるように」
彼らしい徹底した提案に少し呆れつつも、そこまで私のことを考えてくれているのがわかるので、嬉しいです。でも、それを彼に気づかれるのはなんだか恥ずかしいので、少し素っ気なく言い返します。
「相変わらず、心配性ですね」
「悪いかよ」
「いいえ、朔也くんの美徳なところだと思いますよ」
私たちは、単純な操作ですぐに朔也くんに緊急連絡を送る方法を話し合いました。こういう時、最近のスマホは便利で助かります。
設定を終え、私はそのまま食器を片付けにキッチンへと向かいました。
「……あんな泣きそうな笑顔を見せられたら、拒否できるわけないじゃないか」
誰もいなくなったリビングにポツリとこぼれ落ちた朔也くんのつぶやきは、私には届きませんでした。




