第206話 鷹司の行動の真意②
俺はコップを手に取り、お茶を一口飲んだ。しょうもない話をしすぎてカラカラになった喉に、お茶がやけに染み渡った。
ふう、と小さく息が漏れた。
テーブルには問題集が開かれたままだが、誰のペンも動いていない。
……勉強会のはずなのに、ずいぶん嫌な方向へ脱線してしまった。
「アホなこと? これ以上にまだあるの?」
「それがあったんだよ……」
「ええ……あったんです……」
俺も瀬那も、揃ってげんなりした声を出した。
俺は左のピアスに触れ、心を落ち着かせる。さすがにみんなの前で瀬那と手を繋ぐのは気恥ずかしかったので、こちらで代用だ。
「冬休み中に、鷹司から続報があったんだ。特別講習があって、休み中も学校に行くことが多かったらしい」
これについては特進クラスらしくていいのだけど、その時にクラスで決まったことがあったという。
「俺たちを別れさせる方法についてだ」
「……さすが、せなちー。どこにいても話題になるね」
「……嬉しくもなんともありません」
金森の「せなちー」呼びに突っ込むことさえしないのだから、相当疲れているのだと思う。
昼休み、クラスでその話題が持ち上がったそうだ。
冬休みで学食も開いておらず、みんな弁当を持ってきていた。同じ教室に集まっていたこともあって、議論は余計に白熱したという。
鷹司は唖然としたそうだ。「みんな、先生の言ったことを本気にしてたの?」と。
進学に力を入れている特進クラスで、高校生カップルを別れさせるにはどうしたらいいかを真剣に話し合っているのだから、そりゃそうだろう。
「特進って、暇人の集まり?」
「……俺も、もうさ、勉強のしすぎで脳がやられたんじゃないかって思ったよ」
「あはは……」
雫が乾いた笑いを漏らす。
それで出た結論が、交際を終わらせるなら浮気だろう、というものだったんだとさ。
そこに至るまでのやり取りがおかしすぎて、鷹司もその結論自体には納得してしまったのだという。
「鷹司さんも疲れていたんだね」
「そうだろうな。……で、そこからだ」
瀬那には勉強に集中してほしいから、浮気させるターゲットは俺。
そのために、特進の女子が俺にちょっかいをかけよう、ということになったらしい。
ピキッ……。
隣から、そんな音が聞こえた気がした。
何やら不穏な気配を感じるが、怖いので気づかないふりをしておく。横を向くことさえしない……いや、できない。
ほかのメンツも、瀬那については触れなかった。あの金森でさえ何も言わないんだから、相当だ。
「それで、誰にやらせるかって話になって……」
「……もしかして、それで鷹司さんが?」
「そういうことだ」
前の話と同じく、クラスで一番俺と仲がよく、接近しやすいこと。ある出来事から、俺に好意を持っていると思われていること。
……そして。
「しかも、あいつ、クラスでいじめられているみたいなんだよ。本人は認めていないけど。だから、押し付けられたってのもあると思う。それで、何も進展しないと、いじめがひどくなる可能性があると思ったんだ」
「だから、朔也くんは鷹司さんの行動を咎めないんだね」
「ああ……もちろん、瀬那もこのことは知っているし、相談した結果が今の状態だ」
「……納得はしましたし、今はこれが最善だと思っているのですけどね……」
瀬那は俯いていた。
納得できても、いい気持ちではないのは当たり前だ。たとえ、俺の気持ちが変わらないと信じていても……な。
俺は瀬那の手に自分の手を重ね、そのまま握った。
ここで恥ずかしがっている場合ではない。
瀬那は一度だけ俺を見て、指を絡めてきた。
絡んだ指先は少しひんやりとしていて、けれど、ぎゅっと力がこもっていた。
握り返してくれたことにはほっとするが、それで嫌な気持ちまで消えるわけではないだろう。
「やっぱり、特進ってバカの集まり?」
「それは俺も思ったが、気になる点があったんだ」
「……どういうこと?」
一人や二人なら、そんなことを考える奴がいてもおかしくはない。だが、クラスのほぼ全員が同じ結論に至るのは、どう考えても変だ。
何か見落としがないかと思って、鷹司に普段の赤口の言動を訊いてみたんだ。
「話を聞いて思ったんだが……やり方が洗脳に近かった」
金森と雫が、黙って俺を見た。
「成績への焦りをあおったり、叱責したりする一方で、他人より上だという優越感や、できない奴を見下す快感を与える。不安と達成感を交互に繰り返して、赤口の言葉を信じ込ませているように感じたんだ」
「……うそ」
雫が口元に手を当てる。金森も、珍しく茶化さずに眉をひそめていた。
「俺も専門家じゃないから断言はできないけどさ。カルト集団なんかが使う手口に似ていると思ったんだ」
鷹司の話を聞いた時、俺だってあり得ないと思った。
ただの学校で、そんなことをする必要があるとは思えなかったからだ。
もし、歴代の特進クラスでもそれが当たり前だったのなら、虎真の行動も理解できてしまう。
「……これって、担任の問題にできないのかな?」
「今の材料だけで、赤口の責任を問うのは難しいと思う。ちょっかいをかける方法は生徒たちが決めたらしいから、勝手にやったことだって言い逃れされそうだし」
今あるのは、鷹司から聞いた話だけだ。
それだけでは、聞き方や捉え方の問題だと、はぐらかされるかもしれない。
「この辺りのことは、浩紀や和人たちには話しているから、鷹司の行動にも目をつぶってくれていたんだ」
「そうなんだ」
「まさか、あんなに露骨にするとは思わなかったけどねー。しかも、ファミレスまで」
愛莉が頬杖をついたまま言った。
誰も見ていない学校外なら、そこまでしなくていいはずだ、と言いたいのだろうけど……。
「いや、あの時はそうしないと駄目だったんだ。俺たちの後をつけて、ファミレスまで来ていた同級生がいたからな」
「……マジで?」
「マジだ。たぶん、特進の奴らだったんだろう」
「徹底的だな、おい。引くわー」
浩紀が言った言葉は俺も同感だ。
さて、これからどうしたらいいのか……。
まずは、言い逃れできない証拠を掴みたい。
「じゃあ、もうしばらくこのままって感じなのかな?」
「うーん、今はテスト勉強って大義名分があるけど、それがなくなったら、俺と勉強する理由もつけにくくなると思うんだよな」
「確かにそうかも」
俺は学校で勉強するタイプではなく、放課後は委員会がなければ即帰宅する。先生に質問することもほとんどない。
そんな俺を、無理やり放課後まで学校に引き留めるのは難しいだろう。
「ただ、その場合、鷹司が危ないから……昼飯は一緒に食べることになるかもしれない」
「……そうですよね」
瀬那の表情が、さらに暗くなった。
鷹司が一緒に昼食を取ること自体はともかく、俺との接触が増えるのは不快だろうな……当たり前だが。
俺は、瀬那の手を握る力を少し強めた。
「せなちー、鷹司の件もだけど、一葉にも気をつけないとダメ」
「……そちらもありますね」
「あの人も、このアホな計画に絡んでいるの?」
「俺はそう思っている。特進繋がりで、何かあるんだろう」
瀬那から聞いた話では、あいつは俺が「浮気している」とか、「ほかの女子に色目を使っている」とか吹き込んでいるようだ。
あいつからしたら絶好の機会なのはわかるけど……俺たちの様子を、そんなに都合よく知れるとも思えない。だから、たぶん繋がっているのだろう。
「なあ……なんか、うちの学校っておかしくないか?」
浩紀がふと顔を上げた。
「どういう意味だ?」
「うーん、ここまであからさまなのに、学校側が何も対策してないのが気になるんだよな」
「……確かに」
特進クラスの対応ばかり考えていた。
だが、学校側がどこまで把握しているのかは、まだ確認していなかったな。
学校のトップは朱門さんだ。
瀬那が迷惑を被っていると知ったら、何もしないはずがない。
……確認してみた方がよさそうだ。




