第115話 教室の喧騒
瀬那と愛莉と別れ、教室に入っても視線が俺に向いているのがわかる。浩紀もその視線に気づいたのか「注目の的でよかったな!」と肩を叩いてきたので、叩き返しておいた。
「おはよう、朔也」
「ああ、おはよう龍真」
席へ向かう途中、座っていた龍真から声をかけられた。
彼の兄である先輩の一件以来、連絡を取り続けていて、なんだかんだ仲良くしている。その過程で、兄と区別するために名前で呼ぶ仲になった。
実際、彼のおかげで彼の兄『虎真』と相対することなく夏休みを終えられたのだがな。
「とうとう付き合い始めたんだね、おめでとう!」
「あぁ、ありがとう。……また、面倒かけるかもな」
「あはは……それは仕方ないし、さすがに兄さんももう何もしてこない……はず」
龍真が苦笑いしているあたり、まだまだご立腹なようだ。でもな、残念ながら瀬那は忘れていると思うぞ……。
話を聞く限り、昔から何かと諦めが悪いらしく、思い通りにならないと不機嫌になる性格とのことだ。
(昔から願ったことを実現してきたんだろうな。……実力なのか、わがままを貫き通したのかはわからないが)
俺は席について、提出用の課題の準備をしておく。クラスに来る前に確認したが、浩紀や愛莉も忘れずに持ってきたらしい。
「――いくら和人くんに振り向いてもらえないからって、あんなクズで妥協するとか、南雲さんもプライドないよね」
「あんな底辺の暴力男、私たちなら絶対にお断りなんですけど」
「和人くんが優しいからって調子に乗ってるだけのクズが、自分から手まで繋いで見せびらかすとか、痛すぎて笑えないんだけど」
明らかに俺へ何かを言っている声が聞こえた。……できれば聞きたくない声だが。
「よりによって和人くんの『おこぼれ』みたいなクズを選ぶなんてね」
「わかるー。どうせ和人くんに近づくための当て馬でしょ? 南雲さんも案外したたかだよねー」
「清楚そうに見えて、結構計算高いのかもね」
「ホントそれ。あんな目つきの悪い暴力男、普通好きになるわけないし」
いい加減にしてほしい。それに――
「うるさいんだよ、お前ら。夏休み明けてもその腐った頭は変わってないのな」
「……なっ!」
俺の低く冷たい声に、女子三人組がビクッと肩を震わせた。
胸の奥で、何かが静かに冷えていく。怒鳴り散らしたいわけじゃない。ただ、これ以上聞き流す理由が見つからなかった。
クラスの騒がしさも、俺の一言で静まり返った。
「瀬那を巻き込んで貶すのだけは許さない。……呆れるな」
「……っ」
彼女たちがヒュッと息を飲むのがわかった。
今まで何を言っても無抵抗で黙っていた俺が、はっきりとした敵意と軽蔑を込めて反論してきたのだ。完全に予想外だったのだろう。
(俺のことはどうでもいい。けど、瀬那の気持ちまで汚すような言い方は許せない)
俺が許せないのは、瀬那が侮辱されたことだ。今まで俺に対しての暴言は、ほとんど俺がそう仕向けるような態度を取っていたので、逆に上手く動いてくれていたぐらいの認識だった。
たまに暴言ではなくただの罵倒になっていたり、時には暴力もあったりしたのは、そのせいで助長していたのだろう。ただ、それについては俺のトラウマもあったので、関わりたくなかったのが本音だ。
――これも瀬那のおかげだな。
「あんたっ、とうとう見た目だけじゃなくて、不良になったの?」
「はぁ……何を言っても仕方ないかもしれんが、お前らよりはだいぶマシな自覚あるわ」
「確かにマシだわな。朔也は見た目だけで、やってることは不良じゃないしな」
いつの間にか横に浩紀が来ていた。
こいつも梅沢に対して、ずっとイラついていたからな。
「あんた――」
「俺、お前が朔也の手の怪我に鞄を当てたの、いまだに許してないからな」
「……っ」
あったな、そんなこと。俺でさえ忘れかけていたのに、よく覚えていたな……
周りの生徒も「どうした?」「また梅沢さんがやってるよ……」と、気にし始めていた。一部がワクワクしているのは見逃していないぞ。
さて、とっさに出した言葉だっただけにどうしたものかと考えていた、その時だった――。
「梅沢さんたち、いい加減にしなよ。休み明け早々、また朔也に絡むなんて」
――教室の入り口から、和人の声が聞こえてきた。
その一言で、教室の空気がわずかに変わった。
今まで俺へ向いていた好奇の視線が、今度は梅沢たちへと集まっていく。
「えっ!?」
和人が来るのが想定外だったのだろう。自分の醜いところを見られて焦っている梅沢。……いや、部活があったのかは知らないが、普通に来るだろうに。
「和人も知ってたん? 朔也が色々言われていたの」
「当たり前だろ。仲の良い友達が暴言を言われていたんだ。気づかないわけないし、ずっと不愉快だったよ。……でもね、朔也が『和人は口を出すのはやめておけ。さすがに可哀想だから』って」
「……えっ」
梅沢が信じられないものを見るような目で、俺と和人を交互に見比べた。
『見下していた底辺の男から、哀れみで見逃されていた』という事実。彼女のプライドが傷ついたのがわかった。和人……わざわざそこまで言わなくてもいいのだけどな。まあ、もういいか。
「か、和人くん……ち、違うの……これは……」
「違わないよね。俺は、朔也に謝ってほしいのだけど?」
「……ぃゃ、いやぁっ!」
顔を真っ赤にし、涙目でそう叫んだ梅沢は、バッと教室から走り出していった。
「美津ちゃん!」
それを、他の二人も追いかけていった。
和人は「ふぅ……」とため息をついて、こちらに歩いてくる。
「これで少しは懲りるといいんだけどね」
「和人にしては、強めに指摘したな」
「俺も驚いた!」
「……そう見えたのなら、予想以上に疲れているのかな」
夏休みに言っていた『忙しい』状態は、まだ終わっていないみたいだな。
「和人……本当にしんどいなら、友人として助けるからなんでも言ってくれ。多分、解決できると思うから」
「朔也……あぁ、本当にダメになったらお願いするよ」
「なんで二人で通じ合ってるの? なんか寂しいんだけど……」
浩紀の言い分もわからなくはないが……
俺と和人は目を合わせて苦笑いした。
◇
休み明け初日は、午前中だけとはいえ一応授業がある。ただし内容は少し特殊で、そこまで大変ではない。一時限目は全校集会、二時限目以降は課題の提出時間。それが終わったら、あとは文化祭の打ち合わせだ。
全校集会では久しぶりに朱門さんを見た。お墓参りの件で連絡は取ったが、顔を見るのは素十の件以来だ。……何か疲れている様子だな。瀬那が景時さんに鉢合わせしたことで、一悶着あったのかもしれない。心の中で手を合わせておいた。
名目上、二限目になっている課題の提出はスムーズに終わった。その頃には梅沢たちも戻ってきていて、一睨みされたが俺はスルーした。これ以上騒いでも仕方ないからな。
そして、文化祭の打ち合わせ。初日の今日は、出し物を何にするかの話し合いだ。
この学校の文化祭は十月の上旬に行われる。三年生は受験の追い込み期間だが、少しでも気持ちをリフレッシュしようという流れだ。とはいえ特進クラスは自由参加なので、受験一色の可能性もありそうだ。
ただ、一年生にはまだあまり関係がないので、気楽にできそうで安心する。……そもそも、ちゃんと参加するかどうか微妙なところだけど。
壇上には浩紀と斎藤が立って、司会と進行をしていた。……お前たち、文化祭実行委員だったのか。
「さて、詳しい話は追々として、出し物を決めないとな。一年生の縛りとしては、飲食系はできない」
「えー!」
「まあまあ落ち着け。どうしても飲食をしたいクラスの方が多いから仕方ない。飲食の枠数が決まっていて、先に決めていた三年生と二年生で埋まったんだよ。よくあるよくある。それを踏まえて、何かやりたいものないか?」
「ん? その話だと、上級生は夏休み前に文化祭の準備を話し合ったのか?」
俺は疑問に思ったことを喋ってしまった。この発言に、何人かのクラスメイトが俺へ注目する。
(やらかした……)
「そうみたいだぜ。夏休みに何度か集まったんだけど、その時に聞いたんだ。飲食の枠と出し物が被らないように、先に上級生が決めていたらしいよ」
「それ、私も聞いたことある」
「俺も! 俺も!」
浩紀の説明に賛同する声がいくつかあった。
(上級生が先に決めるのは異論はないが、それなら一年生も夏休み前に決めても良くないか? クラスによっては夏休み中に作業できるだろうに……)
……俺は一体、何目線で言っているのだろうか。
「まあ、そういうことで何するか決めようぜ!」
「はい、お化け屋敷!」
「そういうことなら、射的!」
「俺は……」
「待て待て! ちゃんと挙手してから発言しなさい!」
大変そうな浩紀を無視して、俺は持ってきていたクラフト関係の雑誌に目を通すのだった。
決まったら協力はするが、進んで提案はしない。そもそも俺が提案したら、面倒なことになりそうだしな。
しばらくそのまま、今度作るアクセサリーを思い浮かべていると……
「……くや! なあ、朔也!」
「……」
トントン。
不意に肩を叩かれた。そちらを向くと、隣の席にいる雫が俺の肩を叩いていた。
「どうした?」
「え、えっとね……浩紀くんが呼んでるよ?」
「マジか。ありがとう」
「ううん、気にしないで」
俺は壇上の浩紀に目を向けた。
若干睨まれているが、本当に呼んでいたらしい。
「で、何かあったのか?」
「お前、話を聞いてなかっただろ?」
「あぁ」
「『あぁ』じゃねーよ! 協力しろってーの……朔也らしいと言えばらしいが。お前さ、この間、愛莉と南雲さんとレンジ? レジン? だっけか。ネイルで使ってるやつでアクセサリー作ってなかったか?」
その質問の趣旨はわからないが、聞きたいことはわかる。
「お前が言いたいのはレジンだろうな。確かにアクセサリーというか、型に入れて遊んでたけど、それが何か?」
夏休みの間にネイルで遊んでいた二人が、型にレジンを流し込んで小物を作っていた。ハート型や猫型のモールドもあって、それにレジンを入れて固め、あとから接着剤でパーツ同士をくっつけていたな。ネイル用だからか、硬化後も少し柔らかかったけど。
途中で俺も混ざって、「こういう風にしたら面白い」とか、「これをこのままくっつけたら簡易的なピアスになる」とかやっていたが……浩紀はその時、ゲームに熱中してたっけか。
「そうそう、そんな感じのやつ。あれってアクセサリーになるよな?」
「そりゃ、専用の液で作って、穴を開けて丸カンやキーリングをつければ……って、マジで何の話だよ」
「聞いていないお前が悪い! ということで、これで決定します!」
黒板には『アクセサリー作りと販売』と書かれていた。
嫌な予感はしていた。
だが、まさか自分の趣味が、クラスの出し物にされる日が来るとは思わなかった。
「マジかよ……」
俺はそれを見て、今日何度目になるかわからない言葉を発した。




