第4章 入蜀 5
劉備が龐統、惠姫と荊州から出陣して早二年以上が経っていた。援軍を得て体勢を立て直すと、劉備軍は再び敵城の攻撃にかかった。一時小休止となっていた戦が激しくなり、惠姫も救陣で奔走する日々がまた続いていた。
戦のなかで劉備軍が三度目の春を迎えたある日のことだった。
その日は全軍を挙げて出撃していた。惠姫は合戦の声を遠くに聞きながら、いつものように救陣で負傷兵の手当をしていた。
その時、惠姫の耳に戦場にいるはずの龐統が自分を呼ぶ声が、はっきりと聞こえた。
『龐統様・・・?』
惠姫は突如救陣を飛び出ると、愛馬に乗って龐統の声のした方へ向かおうとした。それに気づいた関平が慌てて追ってきた。
「惠姫様、お待ち下さい!今戦場に出るのは危険です!」
しかし惠姫は手綱を緩めなかった。胸を締め付けられる、不吉な予感がした。そしてまさにその時、龐統は戦場で流れ矢に当たり、駆け寄った劉備の腕の中で絶命していた。
合戦の鬨の声が、不意に止んだ。
龐統が戦死したことに気づいた孔明、張飛、趙雲がそこに駆けつけた。
「士元殿が・・・」
皆、胸を射抜かれた龐統の、変わり果てた姿に絶句した。孔明と並んで臥龍・鳳雛と呼ばれた天才軍師龐統は、劉備のために命懸けで臨んだ益州攻略を果たす直前に、三十五歳の短い生涯を、戦場に散らしてしまったのだった。
悲しみに打ち沈んだ劉備らが、龐統の遺体とともに陣に戻る途中、先頭にいた趙雲は惠姫が向かって来るのに気づいた。
「殿、惠姫様がこちらに向かって来ます」
趙雲は一足先に馬を走らせ、惠姫に近寄って言った。
「姫、どうしてこのような所に・・・。陣を出られては危険です!」
後から来た関平が追いついた。
「関平!なぜ姫を陣でお止めしなかった!」
「趙雲様、すみません。私が勝手に出て来たのです。私は士元様に呼ばれたのです」
趙雲はぎょっとした。
「姫、そんなはずは・・・」
「本当です。はっきり士元様の声が聞こえたので来たのです。士元様はどちらですか?」
「士元殿は・・・」
趙雲が言い淀んでいるうちに、龐統の遺体を伴った劉備らがすぐ後ろに来ていた。龐統は白い布で覆われていた。
「お父様、士元様は・・・?」
劉備は馬を降りてきた惠姫を、きつく抱き締めた。
「惠姫・・・。士元は・・・流れ矢に当たって・・・」
劉備は涙で、それ以上言葉にならなかった。
「そんな・・・。お父様・・・!」
惠姫を抱き締めたまま、劉備は涙を流した。
『姫はどうしてここに・・・?』
二人を見守りながら控えていた孔明が、声を落として趙雲に尋ねた。
『・・・姫は、士元殿の呼ぶ声がしたから来たと、おっしゃいました』
『士元殿が、姫を・・・?』
惠姫は劉備に、龐統の湯潅を自分一人でさせてくれるように頼み込んだ。まもなく陣に着いた一同は、おのおの喪装に着替えに行った。龐統の遺体の前には、惠姫ただ一人となった。
「士元様・・」
惠姫はこらえていた涙を、とめどもなく流した。
『姫・・・私があなたを出陣させたばかりに、いろいろ辛い思いをさせて、本当にすまなかった。最後に姫に、謝っておきたかった・・・』
もはや物言わぬはずの龐統の声が、惠姫には聞こえていた。
『何をおっしゃいます、士元様。そんなことはいいのです。それよりも・・・こんなにも早くあなたの才を、空しく天に返してしまうことになるなどと・・・』
『姫、そのようなことは言わんでくだされ。人の寿命は天命だ。私は自分の寿命に気づいていた。だから何としても一日も早く、殿のために益州を手に入れて差し上げたかったのだ。見届けられなくて残念だが・・・、しかしまもなくこの城を落とし、そして成都に迫ることができるだろう。もう私がいなくても大丈夫だ・・・』
『士元様・・・。私があなたの代わりになれたらよかった。あのとき火事の中で失われるはずだった私の命の方が、惜しくはなかったのに・・・』
『いいや、姫。あなたはまだ死んではいけない。あなたにはまだやらねばならぬ大切なことが残っている。殿や、領民たちや・・・そして孔明のために』
『私が孔明様に・・・?私が一体あの方に、何をして差し上げられるとおっしゃるのですか』
『いつかそれが、分かる日がくる。姫・・・私によくしてくれてありがとう。約束を守ってくれてありがとう。あなたのことは忘れない。私はいつでも姫を見守っているよ・・・』
『士元様、私もあなたのことを・・・忘れません・・・』
惠姫は龐統の遺体を整え清めながら、その懐深くにしまわれていた益州の絵図面を取り出した。龐統の血に染まっていたそれを、惠姫は火をおこして燃やした。煙が細く、空高く上って行った。
先程までまだ地上に留まっていた龐統の魂は、その煙とともに天に帰っていった。惠姫は立ち上り、それを見送った。
『・・・さようなら、士元様。安らかに、お眠り下さい・・・』
龐統の死後、凶星はようやく夜空から消えたのだった。
それからの劉備軍は、龐統の弔い合戦として戦った。そして敵の名将厳顔を捕らえることに成功し、説得の末厳顔は劉備に忠誠を誓った。そのため厳顔の部下の将兵が次々投降して、ついに城を落とし、劉備軍は成都に迫ることができた。また豪勇で知られる馬超という名将が漢中の張魯のところにいたが、名君を求めて自ら劉備の傘下に加わった。それを知った劉璋は恐れおののき、もはや勝ち目はないとして、早々に劉備に降参した。こうして劉備の最終目的、成都攻略はついに成就した。三年に及ぶ戦いの末、劉備は益州を手に入れ、ついに安住の地を得たのだった。




