第5章 神女 1
益州牧(ぼく:州の長官)となって成都に居を構えた劉備は、戦の恩賞や領民の救済、法律の制定に忙殺される日々を送っていた。それは諸将以下惠姫も同じだった。今回の戦はおびただしい負傷者や戦争孤児を生み出してしまった。惠姫は荊州にいたころの慈所の本部を成都においてさらに規模を拡大し、それぞれ慈児院、慈療院、慈薬院と改め、広い益州の各地と荊州に支部をおいて、民政の充実に貢献した。
軍師将軍となり劉備の直属の補佐役となった孔明は、益州の経済上の運営を行うに当たり、惠姫の織っていた美しい錦に目をつけ、その商品化を進めた。もともと益州は養蚕のさかんなところであり絹糸の量産が可能で、それに惠姫の知るさまざまな薬草を使って多彩な色をつけた美しい錦は、他の真似のできるものではない。しかも惠姫が荊州にいた頃、慈児所(孤児院)の少女たちに手に職をつけさせるため、機織りを教えておいたのでたやすく多くの織り女を得て、直ちに大量生産に入ることができた。これは地名の蜀(しょく:益州のこと)をとって『蜀錦』と名付けられ、これに限っては曹操や孫権の支配する華北や江東にも輸出を奨励し、益州の重要産業となっていった。
小工場とでも言える機織り場のある村々からは、いつも娘たちの機織り歌が聞こえていた。惠姫は慈児院の子供たちの手をひきながらその歌を聞き、この平和な日々がいつまでも続きますようにと、心から願うのだった。
新しい体制作りに明け暮れる中、惠姫は仕事の合間を縫って、頻繁に成都城近くの恵陵に葬られた、龐統の墓参に行っていた。益州攻略の最大の功労者で、孔明に勝るとも劣らない天才軍師の夭折は大きすぎる損失であり、その名を思い出すたび劉備は涙していた。
惠姫は愛馬に芙蓉の入った花籠をつけると、その日もいつものように一人恵陵に向かった。芙蓉は龐統の好んだ花であった。墓前にそれを飾り、手を合わせ黙想していると、近づいてくるひづめの音があった。惠姫が振り返ると、それは趙雲だった。翊軍将軍となり、成都城の警備の最高責任者としてやはり多忙に過ごしている趙雲とは、なかなか会うこともなかったこの頃だった。
「惠姫様、お久しぶりでございます。・・・やはり花を手向けていたのは姫でしたか。親しくされていた姫に来ていただいて、士元殿も喜ばれていることでしょう」
「私にはこれくらいしか、して差し上げられない・・・。巫女姫などと言われながら、士元様の死を正確に予見することも、それを防ぐこともできませんでした・・・」
「姫・・・そのようにおっしゃいますな。この度は姫は我々より長く、女子の身で三年も戦の中にあり、救陣で多くの兵を救ってこられました。士元殿も生前言っておられた、姫はわが軍の、勝利の女神ではありませんか」
「そのようなこと・・・それは士元様が玄徳様に私の出陣を説くためと、軍の士気を上げるために申されていただけのこと。士元様も楊延将軍も失い・・・それに子龍様にまで大怪我を負わせて・・・何が勝利の女神でしょう・・・」
「またそんなことをおっしゃる。それは何一つ姫のせいではないと、再三殿も言われているではありませんか。私とて姫を救い出すのは当然の務め、腕もすっかりもとどおり動くようになりました。それにあの時は姫も、随分辛い思いをなされました・・・どうぞもうお忘れになって下さい」
「私は恩知らずな人間にはなりたくありません。子龍様にはこれで二度も命を救っていただきました・・・本当にありがとうございました、生涯忘れません。・・・ただ一つだけ、お尋ねしたかったことがあるのですが・・・」
惠姫はずっと気になっていたことを、聞いてみようと思った。
「何でございますか」
「あの火事のとき、先頭の陣の守りをしていらしたはずの子龍様が、なぜあんなにも早く、最後部の救陣に来て下さったのですか」
「それは、士元殿が真っ先に私を呼びにいらしたからです。必ず姫をお助けするようにと・・・。私はそれに従っただけです」
「そうだったのですか・・・」
惠姫はようやくわかった。龐統は自分の都合で従軍させた惠姫が、そのために命を落とすことになってはならないと、趙雲に惠姫の救出を命じたのだった。
『そうだったのですね、士元様・・・』
惠姫はもう一度龐統の墓碑を仰ぎ、手を合わせた。




