第五章 見えない亀裂⑥
白い光が弾けた。
重なっていた結界が激しく揺れる。
異形の腕は止まっていた。
幾重もの光の壁に阻まれ、村へ届いてはいない。
「止めた……?」
アレンが息を吐く。
「まだだ!」
ガルドの声が響いた。
異形の魔物が、結界へ食い込んだ腕を持ち上げる。
裂けた身体から、二つの魔力が噴き出した。
淡い光と濁った闇。
混ざり合った魔力が、結界の表面を這っていく。
「アレン、離せ!」
「でも!」
「早くしろ!」
アレンが結界を消した直後。
異形の魔力が、残されたガルドの結界へ流れ込んだ。
光の壁が内側から膨らむ。
ガルドは片手を握り締めた。
結界が異形の腕を包み、その魔力ごと切り離される。
切り離された光の塊は、地面へ触れる前に砕け散った。
「結界が……」
「侵された」
ガルドが短く答える。
「あの魔力に触れた結界は、長く保たん」
異形が身体を震わせた。
背中から伸びた突起が、次々と砕け落ちる。
黒い肉が崩れ。
地面へ落ちた途端、霧のように消えていく。
それでも。
異形は村へ手を伸ばした。
「どうして、そこまで……」
「魔力を求めている」
ガルドが答えた。
「自分の身体を保つためにな」
村には人がいる。
多くの命があり。
それぞれが、身体の内に魔力を宿している。
異形が求めているのは、その魔力だった。
「なら、村から引き離せば」
「やってみるしかない」
ガルドが地面へ両手を向ける。
異形の足元を囲むように、巨大な結界が立ち上がった。
光の壁が傾き、その身体を森の奥へ押し返していく。
「アレン! 後ろから押せ!」
「はい!」
アレンも結界を展開した。
ガルドとは反対側から、光の壁を異形へ近づける。
二人の結界に挟まれ。
異形の身体が、僅かに村から遠ざかった。
だが。
その胸元が大きく膨れた。
「伏せろ!」
ガルドが叫ぶ。
異形の口元から、二色の魔力が放たれた。
ガルドは結界を何枚も重ねる。
一枚目が砕け。
二枚目も耐え切れずに崩れた。
三枚目。
四枚目。
魔力の奔流が、光の壁を次々と食い破っていく。
「ぐっ……!」
ガルドが片膝をついた。
「ガルドさん!」
「結界を維持しろ!」
最後の一枚が大きく歪む。
アレンは自分の結界を重ねた。
魔力の奔流が、二人の光へ衝突する。
押し返せない。
防ぐだけで、身体の内側から魔力が削られていく。
「このままじゃ……!」
アレンの視界が揺れた。
次の瞬間。
最後の結界が砕けた。
魔力の奔流が二人を呑み込む。
◇
「急いで!」
フィナの声が、教会の前へ響いた。
村人達が次々と中へ駆け込んでいく。
レンは入口に立ち、まだ姿の見えない者を数えていた。
「東側の人達は?」
「もう入った!」
「北の畑にいた人は?」
「さっき戻ってきたわ!」
最後の老人が教会へ入る。
レンは周囲を見回した。
「母さんは?」
「ここよ」
ミレアが教会の中から姿を見せる。
服は土で汚れていたが、怪我はない。
「ユナは?」
「お母さんと一緒にいる」
フィナが答える。
教会の奥では、ユナが母親の傍に座っていた。
布に包まれた野兎を抱えたまま、閉じられた扉を見つめている。
「アレンお兄ちゃん達は?」
誰も答えなかった。
遠くから、何かが砕ける音が響く。
教会の窓が小さく震えた。
「父さんとアレン兄なら大丈夫だ」
レンは自分へ言い聞かせるように答えた。
「あの二人の結界を破れる奴なんていない」
フィナは何も言わず、レンの手を握った。
「な、何だよ」
「別に」
「なら離せよ」
「嫌」
フィナの指に力がこもる。
レンは顔を逸らした。
それでも。
握られた手を振りほどこうとはしなかった。
再び、大きな音が響く。
今度は先程よりも近い。
教会の天井から、細かな埃が落ちてきた。
「全員、窓から離れて!」
ミレアが叫ぶ。
村人達が壁際から教会の中央へ集まる。
その直後。
外から白い光が差し込んだ。
次いで。
空気を引き裂くような轟音が、村全体を揺らした。
窓が割れる。
教会の扉が内側へ開き。
冷たい風が吹き込んできた。
「レン!」
「ああ!」
レンが開いた扉へ駆け寄る。
外には、白い霧が広がっていた。
アレン達の結界が砕けた時に生まれた光が、村の中まで流れ込んでいる。
その向こうで。
巨大な影が、ゆっくりと立ち上がった。
「嘘だろ……」
村の北側を守っていた結界は消えていた。
◇
アレンは地面へ倒れていた。
耳鳴りが続き。
自分がどこにいるのかさえ、すぐには分からなかった。
「アレン」
呼びかける声が聞こえる。
「立て」
視界の先に、ガルドの足が見えた。
アレンは地面へ手をつき、身体を起こす。
「結界は……」
「破られた」
ガルドの左腕から血が流れていた。
それでも、異形から目を離していない。
異形の身体も無事ではなかった。
魔力を放ったことで、崩壊がさらに進んでいる。
片方の腕は形を失い。
背中の突起も半分以上が消えていた。
だが。
二人との間を隔てる結界はもうない。
異形が顔を上げる。
村から漏れ出す人々の魔力へ頭を向けた。
「駄目だ」
アレンは立ち上がろうとする。
足に力が入らない。
異形が二人の横を通り過ぎた。
「待て!」
ガルドが光の壁を作り出す。
だが、先程までの大きさはなかった。
異形は結界へ身体をぶつける。
短い抵抗の後。
光の壁は砕け散った。
異形が村へ向かって走り出す。
「止まれ!」
アレンも結界を張ろうとした。
半透明の光が生まれる。
しかし。
形を作る前に崩れてしまった。
魔力を使いすぎている。
分かっていても、止まることはできなかった。
「もう一度……」
再び光を集める。
結果は変わらない。
指先から生まれた光が、形を持たずに消えていく。
異形の影が村へ入った。
木造の家へ、その身体が触れる。
壁が砕け。
屋根が崩れ落ちた。
「レン……」
アレンは教会の方角を見る。
人々が避難した場所。
ミレアも。
レンも。
フィナも。
ユナもいる。
「行かなきゃ」
アレンはふらつきながら走り出した。
「待て、アレン!」
「みんながいるんです!」
ガルドの制止を振り切り、村へ向かう。
その背後で。
さらに大きな魔力が膨れ上がった。
ガルドは振り返る。
森の奥。
組織が開いた亀裂から、新たな魔力が流れ出していた。
亀裂は閉じていない。
それどころか。
異形を吐き出した後も、少しずつ広がり続けている。
「くそが……」
異形を追わなければ、家族が危ない。
亀裂を放置すれば、さらに何かが現れる。
ガルドの足が止まる。
森と村。
二つの方向を見比べた。
迷っている時間はなかった。
◇
「扉を閉めろ!」
異形が教会へ近づいていた。
レンと村人達が扉を押さえる。
フィナは怯える子供達を祭壇の奥へ移していた。
「お母さん」
ユナが母親の衣服を握る。
「大丈夫よ」
母親はユナを抱き寄せた。
「ここにいるから」
外から、建物が崩れる音が響く。
一つ。
また一つと。
音が教会へ近づいてくる。
「レン」
ミレアが息子の背中へ声をかけた。
「扉は私達が押さえる。あなたも奥へ」
「俺は父さんから頼まれたんだ」
レンは扉から手を離さなかった。
「家族を守れって」
「だからこそ」
「母さん達を置いていけるわけないだろ」
フィナがレンの隣へ並ぶ。
「私も手伝う」
「奥にいろよ」
「一人より二人の方が早いんでしょ」
「それ、さっき自分が言ったことだろ」
「使ってあげたの」
「こんな時まで偉そうだな」
扉の向こうで。
何かが地面を踏み締めた。
教会全体が揺れる。
レンとフィナの表情から、僅かに残っていた笑みが消えた。
「来るぞ」
レンが腰を落とす。
フィナも扉へ両手を当てた。
ミレアは二人の背中を見つめる。
そして。
何も言わず、その隣へ並んだ。
「母さん?」
「家族を守るのでしょう?」
ミレアが扉を押さえる。
「なら、私も家族を守るわ」
三人の手に力がこもる。
次の瞬間。
教会の外壁へ、異形の腕が叩きつけられた。
石壁が砕ける。
天井から、瓦礫が降り注いだ。
村人達の悲鳴が重なる。
「伏せろ!」
レンの声が響く。
ユナの母親は娘を抱き締め、その小さな身体へ覆いかぶさった。
再び。
異形の腕が振り上げられる。
月明かりの下。
崩壊した腕から、二色の魔力が溢れ出していた。
教会へ向けて。
二度目の腕が振り下ろされた。




