プロローグ 前編
初投稿です。
はじめまして。本作『繋ごう、高らかに』は、人と人との繋がりをテーマにした長編ファンタジーです。
人は一人では生きていけない。誰かと出会い、誰かと別れ、それでもまた新しい誰かと繋がっていく。
これは、自分の価値を見失った少年が、多くの仲間との出会いを通して世界を繋ぐ存在へと成長していく物語です。
王族に自由はない。
それが、アレン・ルークロウ=アルベニスタが物心ついた頃から、何度も聞かされてきた言葉だった。
「アレン様。剣の稽古のお時間です」
「稽古が終わりましたら歴史の講義、その後は礼法の確認がございます」
朝から晩まで、何をするのかは決められている。
剣術。
学問。
礼儀作法。
どれも王族に必要な教育なのだと、大人たちは口を揃えた。
七歳のアレンが、どうしたいのかを尋ねられることはない。
「今日は、城の外へ行けないの?」
「本日は予定が詰まっております。それに、城外へ出るには陛下の許可と護衛の手配が必要です」
「少し見るだけでも?」
「申し訳ございません」
侍女が困ったように眉を下げる。
彼女を困らせたいわけではなかった。
アレンはそれ以上何も言わず、窓辺へ向かった。
眼下には王都の街並みが広がっている。
市場へ続く通りを荷馬車が進み、その脇を旅装の者たちが歩いていた。
彼らがどこから来て、どこへ向かうのかは分からない。
城壁の外に何があるのかも、本で読んだことしか知らなかった。
視線を上げる。
一羽の鳥が王城の上を横切り、城壁の向こうへ飛んでいった。
「いいなぁ……」
行き先を誰かに決められることもなく、その姿は遠ざかっていく。
「アレン様」
背後から呼ばれ、アレンは窓を離れた。
部屋の入口には、教本を抱えた家庭教師が立っている。
「歴史の講義を始めます」
「……はい」
机へ向かったアレンの前で、大きな教本が開かれた。
アルベニスタ王国の成り立ち。
近隣諸国との関係。
王家が果たすべき務め。
説明を聞きながら、アレンは頁の隅に描かれた地図へ目を留めた。
王都から南へ続く街道。
その先に広がる森と海。
海へ突き出した小さな岬。
「先生」
「何でしょう」
「ここは?」
アレンが指した場所を見て、家庭教師は僅かに眉を寄せた。
「朧幻の岬です。人の住む場所ではありません」
「第八の新月に光るって、本当?」
「お伽話ですよ」
家庭教師は取り合わず、次の頁を開こうとした。
「誰かが確かめたの?」
「何です?」
「光らないって、誰かが見たの?」
家庭教師の手が止まる。
「古くから伝わるお伽話です。歴史の講義とは関係ありません」
「でも、誰も見ていないなら、お伽話かどうか分からないだろ」
「アレン様。今は講義に集中してください」
咎める声に、アレンは口を閉じた。
家庭教師は講義を再開したが、アレンの意識は地図へ残っていた。
第八の新月の夜。
朧幻の岬は、不思議な光に包まれる。
子供向けの本で読んだだけの話だった。
どの本にも、光の正体までは書かれていない。
ただの作り話かもしれない。
それでも、自分の目で確かめてみたかった。
講義が終わると、アレンは地図に描かれた道を指でなぞった。
王都から南へ進み、途中で海へ向かう道へ入る。
そこから森を抜ければ、朧幻の岬へ辿り着く。
窓の外では、空の端に夕暮れの赤みが差し始めていた。
今夜は、第八の新月だった。
◇
「ハダル!」
訓練場の向こうから、大きな声が飛んできた。
ハダル・ロイドルースが振り返ると、年上の傭兵が木剣を肩へ載せて立っている。
「今日こそ一本取ってやるからな!」
「そっちこそ覚悟しろよ!」
ハダルは木剣を構え、その場から駆け出した。
乾いた音が訓練場へ響く。
振り下ろした木剣を受け止められ、すぐに横から切り返す。
相手は半歩だけ後ろへ下がり、ハダルの一撃を避けた。
「遅い!」
「まだだ!」
さらに踏み込む。
だが、次の瞬間には足を払われ、背中から地面へ転がっていた。
「いってぇ……」
訓練場の周囲から笑い声が上がる。
「弱っ!」
「十年早いな!」
「未来の団長様に失礼だぞ!」
「まだ七歳だろうが!」
ハダルは頬を膨らませ、衣服についた砂を払った。
落とした木剣を拾い、再び構える。
「もう一回!」
「休まなくていいのか?」
「今度は勝つ!」
「さっきも聞いたぞ、それ」
傭兵は笑いながら木剣を構えた。
結果は変わらなかった。
何度打ち込んでも受け流され、最後には額を軽く小突かれて終わる。
それでも、ハダルはすぐに立ち上がった。
「まだやる!」
「今日はここまでだ」
「まだ動ける!」
「俺たちが腹減ったんだよ。お前に付き合っていたら、夕飯がなくなる」
傭兵が水筒を差し出す。
ハダルは不満そうに受け取り、勢いよく水を飲んだ。
「焦るな。今でも十分強くなってる」
「勝ててない」
「七歳の子供が大人に勝ったら、俺たちの立場がないだろ」
「僕が強くなったら、皆のことも守れるのに」
呟いたハダルの頭へ、大きな手が載せられた。
乱暴に髪を掻き回される。
「子供が変な心配するんじゃねえよ」
「子供じゃない!」
「俺たちから見れば子供だ」
反対側から伸びてきた別の手まで、ハダルの頭を撫で始める。
「やめろって! 髪がぐちゃぐちゃになるだろ!」
ハダルが両腕を振り回すと、周囲の傭兵たちが声を上げて笑った。
訓練場を離れた先では、大きな鍋から白い湯気が立ち昇っている。
怪我をした者がいれば、手の空いた者が肩を貸す。
食事が足りなければ、自分の分を少しずつ分ける。
誰かが失敗すれば皆で笑い、そのあとで誰かが手を差し伸べる。
血の繋がりはなくても、ハダルにとって傭兵団は家族だった。
「なあ、ハダル」
水筒を受け取った傭兵が、思い出したように口を開いた。
「朧幻の岬の話、知ってるか?」
ハダルはすぐに顔を上げた。
「知ってる!」
「第八の新月に光るって話だろ?」
「本当に光るかもしれないんだぞ!」
「どうせ、見に行きたいとか考えてるんだろ」
ハダルは答えなかった。
その沈黙だけで、傭兵たちには十分だったらしい。
「夜の森には魔物も出る。今日は大人しく寝ろよ」
「……分かった」
「本当か?」
「分かったって!」
ハダルは口を尖らせ、差し出された水筒を押し返した。
日が暮れると、傭兵団の仲間たちは同じ鍋を囲んだ。
そこかしこで笑い声が上がり、今日の仕事や訓練の話が飛び交っている。
ハダルもその輪の中で食事をした。
けれど、頭から朧幻の岬のことが離れなかった。
第八の新月は、何年も先まで巡ってこない。
今夜を逃せば、本当に光るのか確かめられない。
皆が眠り始める頃。
ハダルは昼間使っていた木剣と水筒を手に取り、音を立てないよう野営地の端へ向かった。
眠る仲間たちへ一度だけ振り返る。
「行ってきます」
聞こえないように小さく告げ、ハダルは暗い森へ足を踏み出した。
◇
「失敗です」
無機質な声が、廊下の向こうから聞こえてきた。
ミラン・ネルスライトは、読んでいた本から顔を上げた。
二人の研究員が、書類を手に廊下を歩いている。
「魔力の定着率が基準へ届いていません」
「次は投与量を増やす。所長へ報告しておけ」
「承知しました」
二人はミランの前を通り過ぎた。
何の実験だったのか。
何が定着しなかったのか。
尋ねてみたいと思ったが、研究員たちは立ち止まらなかった。
研究所では、珍しいことではない。
研究員たちは常に何かを調べ、何かを作り、その結果を記録している。
周囲の声が聞こえなくなるほど、研究へ没頭する者も多かった。
父のエドガーも、その一人だった。
優秀な研究者として周囲から敬われていたが、娘と向き合う時間は少ない。
寂しくないわけではなかった。
それでもミランは、父も自分と同じように、知りたいものを追いかけているのだと思っていた。
その影響なのか、ミラン自身も何かを知ることが好きだった。
机の上には、何冊もの本が積まれている。
魔法生物図鑑。
古代遺跡の記録。
世界各地の伝承集。
知らないことを見つけるたび、次の頁を開きたくなる。
けれど、本へ書かれていることだけでは分からないものも多かった。
魔法生物が、どのように森を歩くのか。
古代遺跡に、本当に記録どおりの建物が残っているのか。
本の中に描かれた国で、どのような人々が暮らしているのか。
ミランが実際に見たことのある場所は、研究所と、その窓から見える海だけだった。
「暇だなぁ……」
本を閉じ、廊下の先を見た。
エドガーは少し離れた机で、研究記録へ筆を走らせている。
「お父さん」
「何だ」
「さっき、失敗って聞こえたけど、何の実験だったの?」
エドガーは書類から顔を上げなかった。
「今は忙しい。話は後にしなさい」
「……うん」
ミランはそれ以上尋ねなかった。
閉じた本を書棚へ戻そうとして、近くに置かれていた伝承集が目に入る。
何度も読んだ本だった。
それでも、まだ覚えていない話が残っているかもしれない。
ミランは伝承集を手に取り、適当な頁を開いた。
そこには、海へ突き出した岬の絵が描かれていた。
朧幻の岬。
第八の新月の夜、岬の周辺は青白い光に包まれる。
その正体は明らかになっておらず、現在では地元に残る伝承として扱われている。
大人たちは、ただのお伽話だと笑う。
けれど、ミランにはそう言い切れなかった。
誰も見たことがない。
誰も記録していない。
それなら、存在しないと決まったわけでもない。
ミランは窓辺へ向かった。
夕日に照らされた海が、赤い光を返している。
その沿岸を進んだ先に、朧幻の岬がある。
伝承集の地図を見る限り、研究所から歩いて行けない距離ではなかった。
「本当に光るのかな……」
誰かが書いた本を読むのではなく。
誰かから答えを教えてもらうのでもなく。
自分の目で見て、自分で答えを確かめたい。
そう考えるだけで、胸が高鳴った。
ミランは伝承集を抱え、自室へ戻った。
地図のある頁を机へ広げ、紙へ道を書き写していく。
研究所から旧道を進み、森へ入る。
そこから海沿いへ向かえば、朧幻の岬へ辿り着く。
外へ出るための通用口は知っていた。
普段は薬草や資材を運び込むために使われている。
今から向かえば、研究員が荷物を片づけている隙に外へ出られるかもしれない。
何も言わずに出れば、父を困らせる。
けれど、許可を求めれば止められることも分かっていた。
「見て帰るだけだから」
本当に光るのかを確かめたら、すぐに戻る。
もし誰も知らないものを見つけることができたなら、父にも話そう。
ミランは写し取った地図と小さな灯りを鞄へ入れ、通用口へ向かった。
◇
同じ夕暮れの下。
アレンは王城から出る方法を探し。
ハダルは傭兵団の野営地を抜け。
ミランは研究所の通用口へ向かっていた。
三人は、まだ互いの名さえ知らない。
生まれた場所も。
暮らしてきた環境も。
朧幻の岬を目指す理由も違っていた。
それでも三人は同じ夜、同じ光を求め、それぞれの居場所から外の世界へ踏み出そうとしていた。




