## 第2話 目に見えない優先順位
始まりの街トランへ戻る道で、ミツキは何度も俺のほうを見た。
「さっきの、もう一回できる?」
「コヨーテ相手に?」
「うん。あれ、どう見ても普通の立ち回りじゃなかったし」
「検証ならできる」
「検証」
言い方がおかしかったのか、ミツキが少し笑った。
「戦う、じゃなくて?」
「戦う前に確かめるほうが先」
俺はそう答えて、森の入口近くにいる《灰尾コヨーテ》の巡回を指した。今度は一体だけだ。
「まず、あいつは一番近い相手を狙うわけじゃない」
「え、でもさっきは」
「さっきは、そう見えるように誘導しただけ」
ミツキの眉が寄る。
こういう顔は分かりやすくて助かる。説明のどこが引っかかっているか、すぐに見える。
「見てて。今度はわざと失敗する」
俺はコヨーテの真正面、視認距離ぎりぎりに立った。ミツキには五歩後ろに下がってもらう。
「ここから一歩だけ前」
「はいはい」
彼女が草を踏む。コヨーテの耳がこちらへ向いた。
「このまま二秒」
一、二。
コヨーテが低く吠えた。少し遅れて、左手の茂みが揺れる。
「うわ、本当に呼んだ」
「視線が通ってるから」
俺はそこで横に移動したが、あえて茂みの薄い場所を選んだ。完全には切れない。コヨーテ二体が並んで走り出す。
「で、この状態だと連携が維持される」
「逃げる気ないの!?」
「ある」
ショートステップで木の裏へ滑り込み、今度は誘音石を使わずに距離を取る。コヨーテは二体とも俺を追う。
予想通りだ。
視線がつながっている間は、音を挟まなくても追跡優先。
そこから俺は大きく弧を描いて沢沿いへ出た。足場が湿る。片方のコヨーテがわずかに進路をずらした。
「……やっぱり」
そこで誘音石。
沢の向こう側の石へ当てる。
ちん、と鳴った瞬間、右側の一体だけがそちらへ顔を向けた。左の一体は俺を追う。連携が切れる。
「ミツキ、正面のほうを盾で受けて」
「了解っ」
彼女が前に出て盾を打ち鳴らす。コヨーテは一瞬だけそちらを見るが、突進はしない。俺がさらに一歩下がった瞬間、ようやく向きを変えた。
そこへマーカーボルト。
細線アンカー。
一体目の足が止まり、二体目がミツキの盾へぶつかる。彼女はそのままメイスで殴りつけた。
「っ、これ普通に戦える!」
「最初からそう言ってる」
「いやでも、何で今こっち見たの? さっきは私じゃなくて音のほう見てたよね?」
「足場」
「あしば?」
「湿った地面に入ってから、右の個体だけ反応が変わった。たぶん音だけじゃなくて、足裏からの振動か、水気を含んだ地面の伝播も見てる」
コヨーテを処理しながら答えると、ミツキはさっき以上に変な顔をした。
「初心者エリアでそこまで見る?」
「見る。序盤ほどデータが綺麗だから」
「データが綺麗」
「上位の敵ほど攻撃もギミックも多くなるし、他プレイヤーも多くてノイズが増える。初心者エリアは、単純な行動を切り分けやすい」
倒したコヨーテが消える。俺はメモに追記した。
《灰尾コヨーテ》
・呼び出し条件:視線維持およそ二秒
・追跡優先:視線>近距離音
・進路変化:湿地で差あり
・複数体連携:視線共有中は維持
隣でミツキが、何とも言えない声を出した。
「そのメモ、全部手打ち?」
「自動ログだと欲しい形で残らないから」
「ほんとに面倒くさい……」
「褒め言葉として受け取っておく」
ミツキは笑ってから、ふと思い出したように言った。
「私ね、本当はああいう“盾役”好きなんだよ」
「見たら分かる」
背中に背負っているタワーシールドは、初心者装備としてはかなり重い部類だ。普通は機動力の落ちる序盤に敬遠されがちだが、ミツキはためらいなく持っている。
「敵の前に立って、味方を守るのって分かりやすいじゃん。でも旧排水路の中ボスだけ、何やってもこっち見ないことがあるんだよ」
「毎回?」
「毎回じゃない。だからみんな“バグっぽい”って言ってる」
その言い方がいい。
毎回じゃないなら、条件分岐だ。
「どんな敵?」
「《濁爪のブルードモール》。でかいモグラみたいなやつ。目がほとんど潰れてて、盾を叩いても、挑発しても、こっちに来ないことがある。なのに後衛が急に吹っ飛ばされる」
「後衛って、回復役?」
「そう。あと軽装の弓もやられてた」
俺は歩きながら頭の中でいくつかの線を引いた。
挑発無視。
後衛狙い。
ただし毎回ではない。
もし本当に単純なヘイト値で動いていないなら、候補は絞られる。位置、距離、音、地形、オブジェクト、状態異常、あるいは特定行動への反応。
「そのとき、後衛は何してた」
「え」
「回復した、走った、スキルを撃った、何か踏んだ。そういうの」
ミツキは少し考え込んだ。
「……正直、よく見てなかった。必死だったし」
「だろうな」
「うっ」
「責めてない。普通そうなる」
戦闘中に必要な情報だけ拾って戦うのが普通のプレイヤーだ。
俺は普通じゃないだけで。
街へ戻ると、広場はサービス開始日の熱気で満ちていた。屋台のNPCがパンを売り、プレイヤーたちが装備や素材を見比べ、あちこちで「どこがうまい」「こっちの狩場が空いてる」と声が飛ぶ。
その端で、旧排水路の話題はかなり大きくなっていた。
「あのボス、後衛絶対狙ってるだろ」
「いや、ヒールした瞬間来たって」
「違う、離れたやつから死んだ」
「挑発効いてない時点でクソ」
全部、断片だ。
でも断片が多いほど面白い。
俺は露店の間を抜けながら、自然と足を止めた。鉄くずや安い工具を並べた、小さなクラフト露店だ。店番をしているのは、茶髪を後ろで結んだ細身の男。ネームプレートはトーマ。
並んでいるのは、初期帯の投擲具、包帯、ランタン部品、ワイヤの束、音の鳴る金属片。
使えそうだ。
「すみません。軽い金属球と、濡れても鳴る小板、それから滑り止め付きの靴底布って作れますか」
トーマがこちらを見て、ゆっくり瞬いた。
「一気に変なの来たな」
「作れる?」
「作れるけど、何に使うの」
「検証」
「もっと分からん」
隣でミツキが吹き出す。
「この人、ずっとこう」
「ああ、そういうタイプ」
トーマは納得したようなしていないような顔で、品物を指折り数え始めた。
「金属球は安い。小板もいける。靴底布はちょい時間かかる。今日中なら三十分」
「お願いします」
「前金」
俺は初日クエストで稼いだ少ない通貨を渡した。レベルが低い代わりに、ほぼ消耗していない資金だ。
「ミツキ」
「うん?」
「旧排水路、今から行ける?」
「もちろん。今の私、あの中ボスめちゃくちゃ気になってるし」
彼女は盾を軽く叩いた。
「ただ、今のパーティは解散したから、人数足りないかも」
「最初は観察だけでいい」
「本当に戦う気ある?」
「ある。でも先に見る」
広場の向こう、旧排水路の入口へ続く石段には、すでに何組ものプレイヤーが出入りしていた。
みんなレベルを上げたい。
素材を掘りたい。
ボスを倒したい。
その中で、俺が欲しいのは勝利そのものじゃない。
再現できる勝ち方だ。
ミツキが呆れ半分、期待半分の顔で言う。
「ナギ。あんた、あのボスのこと倒す前から好きになってない?」
「好きというか」
「うん」
「分からないものは見たい」
それが本音だった。
ミツキは短く笑った。
「やっぱり面倒くさい。でも、そういうの嫌いじゃない」
俺たちはそのまま旧排水路の入口へ向かった。
入口の石壁には湿気がこびりつき、低い水音が奥から響いている。
すでに何人かのプレイヤーが戻ってきていて、表情は明るくない。
いい。
失敗報告が多い場所ほど、拾えるものは多い。
石段を下りながら、俺は静かに息を吐いた。
今日の目標は、倒すことじゃない。
《濁爪のブルードモール》が、何を見て誰を選ぶのか。
その優先順位を、まず一つ拾う。
石段を下りきる直前、ミツキがふと思い出したように振り向いた。
「そういえば、私の前のパーティさ」
「うん」
「最初は普通だったんだよ。雑魚戦は問題なくて、私もちゃんと前で受けられてた」
「中ボスだけ変だった」
「そう。しかも、一回目は私を見てた気がするのに、途中からずれるの」
その情報はありがたい。
最初から完全にタンク無視なら、ただの別ルールで済む。だが途中でずれるなら、戦闘中に評価項目が更新されている。
「前に立ってて、自分の仕事はできてたって感触はあった?」
「あった。だから余計にむかついた」
「いい」
「いいの?」
「手応えがあったのに壊れたなら、前半と後半で条件が変わってる可能性が高い」
「そういう受け取り方するんだ」
「する」
俺たちは入口近くの待機スペースで、少しだけ他プレイヤーの装備も見た。
重装は格子で音を立てやすい。
軽装は浅瀬を横切りやすい。
回復役は後ろで位置を変えがちだ。
中ボス部屋の構造と組み合わせれば、それだけで事故の条件はかなり増える。
ミツキがぼそっと言った。
「こうして見てると、みんな結構適当に入ってくんだね」
「初日だし、初心者ダンジョンだから」
「その“初心者ダンジョンだから”って油断を、ナギだけ一切してないの面白いな」
「最初だからこそ雑に入ると、あとで誤解が残る」
「誤解?」
「“このボスはヒーラー狙い”とか、“挑発無効”とか、“ただの運ゲー”とか。そういう雑な理解」
雑な理解は、攻略を速くすることもある。
でも、それで見えなくなるものも多い。
旧排水路の入口から、また一組プレイヤーが戻ってきた。誰かが「格子危ねえ」「いや水門だって」と言い合っている。
断片が増えるたび、脳の中で候補が整理されていく。
いい感じだ。
頭の中で、候補を一つずつ並べる。
位置依存。
音依存。
足場依存。
水路依存。
それから、行動の途中で優先順位が更新されるタイプの分岐。
単純なヘイト無視なら、ここまで証言が割れない。
ヒールしたから、走ったから、格子を踏んだから、水門を触ったから。どれも“人によって見えている失敗”としては正しいのに、説明としてはどれも足りていない。
つまり、たぶん一つじゃない。
ミツキが隣からのぞき込んできた。
「今、何個くらい候補あるの」
「大きく四つ」
「多くない?」
「この時点なら少ないほう」
「うわ」
でも、本当はそこまで悪くない。
候補が四つでも、検証手段があるなら順番に潰せる。逆に、候補が二つしかなくても試しようがなければ前へ進まない。
だから今ほしいのは、派手な仲間じゃない。
条件を一つずつ動かせる道具と、前に立ってくれる盾役だ。
その意味で、ミツキはかなり相性がいい。
俺は軽く息を吐いて、指先で短弩の弦を弾いた。
初心者ダンジョン。
みんなが通り道だと思っている場所。
そこに、いきなり“考えないと勝てない敵”が置いてあるなら、このゲームはかなり好きになれそうだった。
石段を下りる前に、俺は簡単にメモを閉じた。
《旧一号排水路・入口報告》
・ヒール後に後衛が狙われた
・離れた軽装が狙われた
・格子を踏んだあと軸がずれた証言あり
・水門操作直後に事故った証言あり
証言はまだ雑だ。
でも、雑な証言は嫌いじゃない。むしろ最初はそのくらいのほうがいい。人の記憶に残るのは、たいてい“本当に危なかった瞬間”だからだ。
「ナギ」
「うん」
「その顔、もう半分くらい中入ってるでしょ」
「そうかも」
「まだ石段なのに」
「石段の時点で拾える情報もある」
ミツキは呆れたように笑った。
「ほんとに、戦う前から戦ってる人なんだな」
たぶん、その表現が一番近かった。
俺は石段の最初の一段へ足をかけながら、候補をもう一度だけ頭の中で並べた。
格子。
浅瀬。
水門。
位置変化。
もしかしたら光。
まだ雑だ。
でも雑なままでもいい。入る前に候補があるのと、何もないまま事故るのでは、回収できる情報量がまるで違う。
ミツキが俺の横で肩を回す。
「その顔、今たぶん楽しいんでしょ」
「かなり」
「初心者ダンジョンの入口で?」
「入口だから」
彼女は小さく吹き出した。
「ほんと、普通の楽しみ方してないな」
たぶんそうだろう。
でも、普通じゃない見方ができるなら、それは十分武器になる。
少なくとも、旧一号排水路の中ボス相手には。
そして今日の入口は、その最初の証明になりそうだった。




