177.実体形態
それは、アーク・メディカの最終調整が始まった、ある日のことだった。
玉座の間で、俺が「新しい船ができたんなら、俺のサツマイモ号も作ってくれてもいいだろ」と、ノア相手に不毛な議論をふっかけていると、突如、イグニス本人から、無愛想な通信が入ってきた。
『――おい、管理人。終わったぞ』
「ん? 何が?」
『「何が?」じゃねえよ。例の、緑の妹艦……『ガイア』のオーバーホールだ。とっとと、こっちに来やがれ』
その、あまりにも上から目線な報告に、俺は一瞬ムッとしたが、それよりも好奇心が勝った。
「おお! ついに、完成したか!」
俺は、エラーラと、医療区画から通信を繋いでいるエリス、フローラと共に、ガイアが収容されているドックへと、急いだ。
そこで俺たちが見たのは、信じられない光景だった。
数日前まで、何万年もの漂流によってボロボロになり、イグニスの荒療治(という名の炎上)によって黒焦げだったはずの船体。それが今、まるで生まれたての若葉のように、瑞々しい緑色の輝きを取り戻していたのだ。
「……すごい……」
Sの光景に、俺はただ、感嘆の声を漏らした。
「記録で見た、かつてのアルカディアや、ポセイドンの姿、そのものだ……」
「……ええ……」
モニター越しに見ているエリスも、息を呑んでいる。
「イグニス……。彼女、本当に……」
「フン。大したことじゃねえよ」
ドックの管制室で、腕を組んで立っていたイグニスが、俺たちの感嘆を、鼻で笑った。
「見た目が綺麗になっただけじゃねえ。中身は、もっと、別モンだ」
その時、ガイアの艦橋から、フローラの、嬉しそうな、しかし、どこか緊張した声が響いた。
『お姉さま、管理人様。……私、行きます』
「フローラ?」
『九番艦ガイア、巫女フローラ。これより、実体形態への移行を、開始します!』
エリスが、はっとしたように目を見開く。
「実体形態……!? まさか、イグニス! 貴女、コアの物理再構築まで……!?」
「当たり前だろ」
イグニスは、肩をすくめた。「システムだけ統合したって、魂の器がなきゃ、あの子はいつまで経っても、アークノアのシステムに寄生するだけだ。……船を治すってのは、魂ごと、完璧に治すってことだろうが」
その、あまりにも職人気質で、あまりにも無茶苦茶な理論。
だが、奇跡は、起こっていた。
緑色に輝くガイアの船体が、まるで心臓の鼓動のように、ゆっくりと、しかし力強く、脈動を始めた。
《ガイアの動力炉、アークノアとの同期を切り離し、単独での安定稼働に移行》
《巫女フローラの意識データ、アークノアの仮想領域から、ガイアの物理コアへと、転送開始……》
「……すごい……」
俺は、その光景を、ただ、見守っていた。
やがて、ガイアの脈動が、静かに収まり、そのメインハッチが、音もなく、開かれた。
そこから、ゆっくりと、一人の少女が、歩み出てくる。
緑色の髪、白いワンピース。
だが、その姿は、俺たちが知っている、どこか儚げなフローラではなかった。
その足は、確かな大地を踏みしめ、その瞳には、生命力そのものが、宿っていた。
仮想のアバターではない、本物の『フローラ』だった。
「……お姉さま……。管理人様……。私……」
フローラは、自らの、確かな実体を持つ手を、信じられない、といった表情で、見つめている。
「……私、戻って、これたんですね……!」
その、あまりにも感動的な再会。
俺は、その光景に、いたく感動しながら、ふと、一つの可能性に、思い至った。
「……なあ、ノア」
《はい、管理人》
「フローラが、ああやって、元の体(?)に戻れたってことは、お前も、できるんじゃないか? あの、Dr. レイラの姿にさ」
その、俺の、あまりにも無邪気な質問。
玉座の間に、重い、重い、沈黙が落ちた。
そして、数秒後。
ノアの、いつもより、数段、冷たくなった声が、響いた。
《……管理人。私のコア構造は、他の巫女たちとは、根本的に異なります》
「え?」
《過去、私の魂の原型である、Dr. レイラを、物理的な器に移行させようとした、破棄されたプロジェクトのデータは、存在します。ですが……》
ノアは、そこで、はっきりと、言った。
《――私は、その計画が、あまり好きではありません。私は、管理AIノア。このアークノアそのもの。……それ以上でも、以下でもありませんので》
その、あまりにも人間的な、『好き嫌い』という、拒絶。
俺は、それ以上、何も、聞けなかった。
「……お、おう……。そうか。なら、いいんだ……」
俺は、そそくさと、話題を変えることにした。
「そ、そうだ! フローラ! 体は、大丈夫なのか? なんか、変なところとか、ないか?」
俺が、慌てて尋ねると、フローラは、首を傾げた。
「あ……はい。大丈夫、です。ただ……」
彼女は、困ったように、自分の体を、見下ろした。
「……なんだか、体が、すごく、変な感じがします。ふわふわ、するというか……重い、というか……」
その、不安げな呟き。
それに、答えたのは、管制室で、腕を組んで、ふんぞり返っていた、イグニスだった。
「――当たり前だ、馬鹿」
彼女は、通信越しに、心底呆れたように、吐き捨てた。
「何万年も、データ(オバケ)同然だったんだ。いきなり、新品の、生身の体に、魂を突っ込まれたんだぞ。……体が、その感覚に、慣れてないだけだ。……そのうち、治る」
イグニスの、乱暴だが、的確な診断。
俺たちは、ようやく、この城に、また一人、新しい、そして、とても頼もしい仲間が、加わったことを、実感するのだった。




