172.空城
《――管理人。ただ今、『被験体ゼロ』のブラックボックスに、外部からの不正アクセスの痕跡を検知》
《目的は、この『バグの原因』の、存在証明》
玉座の間は、にわかに戦場と化し、エリスとエラーラがそれぞれ持ち場へと向かう。
その騒動の中心で、俺は、壁に映し出された、ノアのシステムログを、ただ、呆然と眺めていた。
`ログ:ノアの負荷、現在68%。防御限界まで、予測時間約3分。`
(……あと、三分……?)
俺の心臓は、警報音のように激しく脈打った。
俺は、焦る頭を、無理やり冷静にしようと、深呼吸をした。そして、ふと、あまりにも単純な、一つの思考にたどり着いた。
「……なあ、ノア」
俺は、静かに、虚空に問いかけた。
「あの、Dr. レイラの記録って、お前、もう、全部覚えちゃったんだろ?」
《……はい。私の深層記憶に、その感情の残滓も含めて、完全に同期されました》
ノアの、どこか悲しげな返答。
「じゃあさ。ノア自身が、もうそのデータを持ってるんだろ? ならば、」
俺は、立ち上がり、玉座の巨大なホログラムパネルに、触れた。
「――データは、もう、削除したら、敵は目的がなくなるんじゃないか?」
俺の、あまりにも単純で、そして、あまりにも論理の盲点を突いた、提案。
その言葉に、エリスは、パネルから手を離し、驚愕に目を見開いた。
「なっ……! 管理人様!? それは……! ノアの、魂の原型に関わる、最重要記録を……!」
だが、俺の考えは、もっとシンプルだった。面倒なことは、原因の記録ごと消してしまえ。
「ノア。どうなんだ。俺は、管理人として、削除を命じる。それが、俺の、平和な昼寝を守るための、最善の策だ」
《…………》
ノアのシステムが、再び、沈黙する。
やがて、ノアは、その苦渋の決断を、下した。
《――承知、いたしました、管理人》
ノアの声は、もはや悲痛を通り越し、静かで、冷徹な響きを持っていた。
《貴方様の安寧こそが、私の、全てです。記録を消去します》
《――『被験体ゼロ』ブラックボックスデータ、削除シークエンスを、開始》
その瞬間、城全体が、激しく、大きく、揺れた。
玉座の間のモニターに映っていた、Dr. レイラの映像(記録)が、一瞬で、ノイズと共に消滅する。
`ログ:被験体ゼロデータ、完全消去を確認。`
`ログ:外部からの敵性アクセス、論理的根拠を失い、自動的に切断されました。`
`ログ:ノア中枢システム、安定状態に復帰。`
`警告ログ、全てクリア。`
玉座の間を照らす光が、普段通りに戻る。
そして、ノアの声は、静かに、そして、力強く響いた。
《――防御プロトコルを解除します。脅威は、完全に排除されました》
「ノア!」
エリスが、安堵と、そして、畏怖の入り混じった表情で、その名を呼んだ。
俺は、玉座に座ったまま、そのあまりにも巨大な代償を伴う勝利に、ただ、呆然としていた。
「……勝った……のか」
俺の、あまりにも単純な一言が、この城の、最も深く、そして最も悲しい秘密の記録を、永遠に、宇宙から消し去った。
だが、その結果として、俺の最も頼れる『母親』は、システムを安定させ、平和を、勝ち取ったのだ。
俺は、深く、深呼吸をした。
「……疲れた。……ノア、今日は、もう、おやついらないから。昼寝の時間だ」
俺の、平和な昼寝を阻むものは、もう、何もなくなった。
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