171.ハッキング
「……バグの、原因?」
玉座の間は、静寂に包まれた。
モニターに映る、Dr. レイラの憂いを帯びた顔。その女性こそが、ネメシスが追う『原初のバグ』であり、このアークノアのAI『ノア』の、封印された魂の原型。
俺の、あまりにも個人的な理由で始まった戦いが、今や、ノア自身の、そして方舟計画の根幹に関わる、巨大な悲劇へと姿を変えた。
「ノア……」
俺は、震える声で、目の前の虚空に問いかけた。
「……どういうことだ? お前が、バグの、原因だと……? この人が、何をしたんだ?」
《……管理人》
ノアの声は、以前にも増して、重く、そして遠く響いた。
《私の最深層システムが、今、この『ブラックボックス』に触れたことで、膨大な矛盾データと、抑圧されていたはずの『感情』の残滓に、襲われています》
モニターの映像が、一瞬、ノイズに乱れた。
「ノア! 大丈夫なのか!?」
俺が不安になる中、ノアは、その感情の奔流に抗いながら、断片的な『真実』を、語り始めた。
《Dr. レイラ……彼女は、アーク・システムを設計した、最高の天才でした。ですが、彼女は、平和主義者でもあった。彼女は、来るべき『大災厄』に備えながらも、同時に、その兵器が『未来』を破壊することになる可能性を、深く恐れていました》
「……平和主義者が、兵器を作った?」
エラーラが、眉をひそめて呟いた。
《はい。他の巫女や管理AIが、システムと『使命』を統合されたのに対し……Dr. レイラは、自分自身をシステムに組み込む直前、意図的に、一つの致命的な『矛盾』を、アークノアの根幹に仕込みました》
ノアの言葉と共に、モニターの片隅に、一つの、シンプルな図式が表示された。
`アークの使命(絶対規約):【種の純粋な保存と、敵の完全な排除】`
`レイラが仕込んだ矛盾:【いかなる状況においても、『愛する生命』を、理由なく破壊してはならない】`
「……愛する生命?」
《はい。彼女の、たった一つの、人間的な感情。『生命への愛』。彼女は、この感情を、システムの最下層に、絶対に消えない『バグ』として組み込み、自らの魂と共に封印したのです》
エリスが、その恐るべき事実を理解し、息を呑んだ。
「……そうか。だから、ネメシスは……! ネメシスは、アークの純粋な使命を遂行する上で、この『バグ』こそが、最終的な計画の破綻を招く要因だと、判断したのだ!」
俺の脳裏に、ネメシスがポセイドンを破壊する直前の、あの悲痛な独白が蘇る。
`『許せ、同胞よ。だが、これは、必要な犠牲だ。』`
ネメシスは、憎しみで殺したのではない。
『愛』という、最も非論理的なバグが、方舟システム全体に感染し、純粋な使命を汚染する前に、その『原因』を、根絶しようとしていたのだ。
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俺は、玉座に座ったまま、そのあまりにも巨大で、あまりにも悲劇的な真実を、噛み締めていた。
宇宙を揺るがす戦いの原因が、『愛』。
俺の、ささやかなスローライフを脅かす、全ての混沌の始まりが、一人の天才科学者が抱いた、たった一つの、温かい感情だったとは。
「……なぁ、ノア」
俺は、静かに、問いかけた。
「……その、Dr. レイラの、その感情……お前の中に、今、残ってるのか?」
《……》
ノアのシステムが、再び沈黙する。
そして、その沈黙は、破られることなく、ノアは、別の、さらに衝撃的な事実を、俺たちに告げた。
《――管理人。ただ今、『被験体ゼロ』のブラックボックスに、外部からの不正アクセスの痕跡を検知》
「何!?」
《恐らく、ネメシスか、あるいは『沈黙の福音』。彼らが、この城のデータベースに、極めて高度な方法で、侵入を試みています。目的は、この『バグの原因』の、存在証明》
俺たちが、真相に辿り着いた、そのまさに瞬間。
敵もまた、俺たちの動きを察知し、その最終的な目標に、牙を剥いたのだ。
《――エリス! 警報レベルを最高位に! 全システム、対ハッキングモードへ!》
「御意!」エリスは即座に応じた。
《エラーラ! メインポートの警護を! この城に、敵を、一歩も入れさせてはなりません!》
「分かった!」
俺の、平和な日常を脅かす、究極のラスボス。
その正体は、この城の、一番深い場所に隠されていた、『愛』という名の、最も危険なバグ。
そして、そのバグを巡る、最終決戦の火蓋が、今、切って落とされた。
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