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169.新王

 天空城アークノアは、地上に降り立ったまま、微動だにしなかった。

 それは、俺が再び地上に降りて、うっかり何か別の面倒事を拾ってくるのを、ノアが警戒しているからだろう。おかげで、城全体が、俺専用の、安全な「展望台」と化していた。


【帝都ヴァイス】


 俺の脱獄劇の置き土産――大規模脱獄事件は、帝都を大混乱に陥れていた。

 しかし、その混乱は、長く続かなかった。

 モニターに映し出される映像は、驚くべきものだった。新皇帝となったアウグストゥスとコンスタンティンが、見事な連携を見せ、脱獄囚たちを、次々と鎮圧していったのだ。

 荒々しい武力を持つアウグストゥスが、屈強な囚人たちを正面から叩き潰し、冷静な知性を持つコンスタンティンが、複雑な地下水道の脱出ルートを予測し、罠を仕掛ける。


「……すげぇな。あの二人、本当に協力し合ってやがる」

 俺は、あまりにも優秀な新皇帝たちの働きに、ただ、感心するしかなかった。

 数日後、全ての脱獄囚は再捕縛され、帝都の騒動は完全に収束した。彼らの見事な統治手腕は、民衆の不安を払拭し、新体制への期待へと、静かに変わっていった。


「……ふーん。やるじゃん、あの二人」

 俺は、その光景に、感心しつつも、心のどこかで、つまらなさを感じていた。

 そして、俺は、いつもの、あの儀式に取り掛かった。


「ノア! ポップコーンだ! まずいけど、もう慣れた!」

《承知しました》

 俺の前に、いつもの、味のないポップコーンが置かれる。俺は、それをぽりぽりと齧りながら、天井を仰いだ。


---


 その時、俺の頭に、ノアの声が響いた。

《管理人。報告があります》

「なんだよ、ノア。また、俺の悪口か?」

《いいえ。本城の現状に関する、重要な報告です》


 ノアの言葉と共に、玉座の間のモニターに、新たな警告が表示された。


`警告:エネルギー供給システムに、深刻な過負荷を確認`


《現在、本城は、貴方様の指示により、何隻もの方舟を内包しています。九番艦ガイア、七番艦エコーのシステム、及び、巫女マリーナの仮想領域、全てを維持するためのエネルギーが、予測値を大幅に上回っています》

「……つまり、どういうことだ?」

《現状の太陽光発電、及び、魔力自動生成だけでは、継続的なシステム維持が困難になりつつあります。……そこで、追加のエネルギー源の再稼働が必要です》


 ノアの提案は、明確だった。

 【管理人レベル昇格プロトコル(Lv.5 → Lv.6)】

 試験内容:旧動力炉の再稼働。


「旧動力炉?」

《はい。このアークノアには、バックアップとして、古代の原子力発電システムが搭載されています。その起動には、管理人レベル6の権限が必要です》


「原子力! なんか、物騒だな!」

 だが、俺の心は、同時に躍っていた。退屈しのぎに、ちょうどいい。

「よし、やってやる! その再稼働とやらを、今すぐ、始めろ!」


《承知しました。再稼働には、アクセスロックを解除するための、論理パズルを解く必要があります》

 モニターに、パズル画面が映し出された。それは、アルファベットのマスが並ぶ、巨大なクロスワードパズルだった。


「なんだ、クロスワードか。楽勝じゃん!」

 俺は、フォークをペン代わりに、画面にタッチしようとした。だが、表示された『問題』を見て、俺の動きは、ぴたり、と止まった。


`問1:光速に近い速度で航行する際の、空間の相対性収縮を記述する、アインシュタイン=プランクの四元運動量保存則の、基礎理論を確立した学者の名前(ヨコ5文字)`

`問2:方舟のエンジン『アニマ・コア』の動力源である、超重力子の標準模型における、クォークとレプトンの対称性を破る、ヒッグス場のフェルミオン(タテ9文字)`


「…………」

 俺は、白目を剥いた。

 問題は、簡単どころか、俺の知っている日本語(多分)ですら、なかった。


「……無理だ。こんなの、俺の頭じゃ、絶対に無理だ……」

 俺は、絶望に打ちひしがれ、玉座に突っ伏した。


 その時、玉座の間に、一陣の風と共に、紅蓮の髪の女剣士が現れた。訓練を終えたエラーラだった。

「おい、管理人! 貴様、いつまで床で寝ておる! 貴様のそのくだらん変顔駒の屈辱、今日こそ……」

 彼女は、言いかけて、俺の目の前のモニターに映る、数式とクロスワードを見た。


「…………」

 彼女の、鋭い瞳が、数式を、そしてクロスワードのマスを、一瞥する。

 そして、その瞳の奥で、わずかに、驚愕の色が浮かんだ。


「……なんだ、これ。まさか、原子力発電の起動パズルか……」

 エラーラは、心底うんざりしたようにため息をついたが、俺の絶望的な顔を見て、仕方なさそうに、俺の隣に座った。


「いいか、管理人。感謝しろ。私が、貴様の面倒を見てやる」

 彼女は、そう言うと、俺の頭を、乱暴に押しのけた。

「問1は、ローレンツ。問2は、スカラー場、もしくは……」

 彼女は、迷うことなく、クロスワードのマスを、一気に埋めていく。


 俺が、呆然と見ている間に、エラーラは、たった数分で、全てのマスを埋め尽くした。

 そして、最後のマスが埋まった、その瞬間。


 デデーン! 大正解です! お見事!


 玉座の間に、盛大なファンファーレが鳴り響いた。

《プロトコル、クリア。旧動力炉、再稼働シークエンスに移行します》


「よっしゃあああああ!」

 俺は、飛び上がって喜んだ。エラーラは、「なぜ、私が貴様のレベル上げの手伝いを……」と、再び、頭を抱えている。


《――管理人権限レベル6への到達、おめでとうございます》

《これにより、二つの、新たな権限が解放されました》


`権能1:【深層ファイルアクセス権限の上昇】`

`……ノアの最深層データベース、特に『被験体ゼロ』を含む、ブラックボックスのデータの一部に、アクセスが可能となります`


`権能2:【新規方舟作成アーク・ジェネシスの許可】`

`……この一番艦の技術を応用し、小型・特化型の方舟を、一隻だけ、設計・建造することが可能となります`


「…………」

 俺は、その、二つの、あまりにも重すぎる権限を、ただ、呆然と見つめた。

 ネメシスが探している、最重要機密。

 そして、新しい、宇宙船。

 俺の、平和なスローライフは、もはや、どこへ向かっているのか。

 俺は、その、あまりにも壮大な未来に、身震いするのを感じていた。

――ここまで読んでいただきありがとうございます!

面白かったら⭐やブクマしてもらえると励みになります!

次回もお楽しみに!



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