167.侵入者発生
独房の奥深く、夜明けの冷気が、俺の肌を刺す。
だが、俺の心には、かすかな希望が灯っていた。
(エリス、思ったよりすげえな! あいつなら、本当に助けてくれるかもしれない……!)
しかし、そんな希望も、次の瞬間には、凍り付くような不安へと変わった。
独房の通路の奥から、不気味な足音が近づいてくる。
ゴオオオ……ゴオオオ……
それは、ただの看守の足音ではなかった。
通路の角を曲がって現れたのは、二メートルを優に超える巨漢だった。その男は、全身に、鍛え抜かれた筋肉をまとい、顔には、無数の古傷と、深い隈。
そして、その手に持っていたのは、鎖で繋がれた、巨大な鉄球。
鉄球の表面には、使い込まれた痕跡か、それとも、血の跡か、不気味な赤黒いシミが浮かんでいた。
「……看守……? っていうか、処刑人か、あれ……」
巨漢の目は、獲物を探す獣のように血走り、その口からは、わずかに涎が垂れているように見えた。いかにも、血に飢えている、という形容が似合う男だ。
(あわわわ……あんなのが巡回してるのかよ!? エリス、大丈夫か!?)
俺は、あまりの恐怖に、身じろぎ一つできない。
ノアからの通信は、沈黙したままだった。
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その頃、王城の地下牢へと続く通路を、エリスは、眠ったままのエコーを抱きかかえながら、駆け抜けていた。
彼女の行く手を阻もうとする衛兵たちは、エリスの論理的超加速と、ヌンチャクによる予測された一撃の前に、次々と意識を刈り取られ、崩れ落ちていく。
通路の壁には、衛兵たちの武器が、無残にも叩きつけられた痕跡が残されていた。
「……まったく。この状況で眠り続けるとは、ある意味、あなたも規格外ですね、エコー」
エリスは、疲労の色一つ見せず、冷静に呟いた。
『……んんー……運んでくれて……ありがと……』
抱えられたエコーは、まるで夢うつつの中で返事をするように、か細い声で答えた。
そして、ついに。
エリスは、通路の最奥、俺が囚われている独房の、目の前までたどり着いた。
「――そこに、いるのか。侵入者」
独房の入り口には、巨大な鉄球を構えた看守が、仁王立ちになっていた。その目には、エリスと、抱えられたエコーの姿が映り、獰猛な笑みを浮かべた。
「ようやく、獲物が来たな。ちょうど、身体が鈍っていたところだ」
看守は、鉄球を軽々と地面に叩きつけ、凄まじい音を響かせた。
エリスは、抱えていたエコーをそっと地面に下ろすと、懐から、彼女の本来の得物である、巨大な大剣を取り出し、構えた。
「……邪魔です。そこを退いてください。さもなくば、排除します」
「排除だと? 小娘が、粋がるな!」
看守は、雄叫びと共に、その巨大な鉄球を、エリスめがけて振りかざした。
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【帝都・独房】
(うおおおおお! 来た! 来たぞエリス! やっちまえー!)
俺は、身動きできない体で、独房の鉄格子越しに、その激しい戦闘を固唾を飲んで見守った。
大剣を振るうエリスと、鉄球を振り回す看守。
キン! ガン! ドォン!
地下牢全体が揺れるほどの激しい金属音と衝撃音が響き渡る。
エリスの剣は、凄まじい速度で繰り出され、看守の鉄球と鎧を狙う。看守は、その巨体と怪力で、鉄球をまるで軽々と操り、エリスの攻撃を受け止め、カウンターを狙う。
(すげえ! エリス、強い! けど、看守も、めちゃくちゃ強いぞ!?)
エリスは、その事象の記録操作を駆使し、看守の動きを「予知されたもの」として、常に一歩先を行く。しかし、看守の動きは、あまりにも原始的で単純。予測不能なほどの、ただの力任せの攻撃に、エリスも、わずかに押されているように見えた。
「……くっ……」
エリスの額に、わずかに汗が滲んだ。
「……この方法は、あまり使いたくありませんでしたが……」
エリスは、そう呟くと、大剣を、思いっきり真上の天井に向かって振りかぶった。
ゴオオオオオオオオオオ!!!
大剣から放たれた、目に見えない強大な魔力の衝撃波が、地下牢の天井を叩き、轟音が響き渡る。
看守は、エリスの唐突な行動に、一瞬だけ、動きを止めた。
「何をやってやがる、小娘!」
その直後。
エリスは、大剣を構え直すと、冷徹に言い放った。
「……攻撃は、既に命中しました」
その言葉と同時に。
ドゴォォォォォォォォォン!!!
看守の頭上から、巨大な岩石の塊が、凄まじい速度で、落下してきた。
それは、エリスが天井に振りかぶった衝撃波で、地下深くの地盤を揺るがし、崩落させたものだった。
看守は、自らの頭上に落下してきた巨大な岩石を、避ける間もなく、真正面から受け止めた。
轟音と共に、地下牢全体が震え、粉塵が舞い上がる。
粉塵が晴れると、そこには、見るも無残な姿で、巨大な岩石の下敷きになった看守が、ピクリとも動かずに倒れていた。
エリスは、大剣を鞘に収めると、倒れた看守を一瞥し、冷静に言った。
「……作戦成功。これで、管理人の拘束を解除できます」
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(……え? なんだ、今の……!)
俺は、目の前で起きた、あまりにも一方的で、あまりにも奇妙な勝利に、ただ、呆然としていた。
(天井を叩いたら、上から石が降ってきた……? それで、相手が倒れるって……)
エリスの戦闘スタイルは、俺の想像を、はるかに超えていた。
彼女は、物理的な攻撃だけでなく、「環境そのものを操作する」という、恐ろしいほどの、計算された戦闘術を持っていたのだ。
そして、その傍らで。
エコーは、岩石の下敷きになった看守の姿を、まるで他人事のように眺め、「……んー……すごい……(欠伸)」と、気の抜けた声を漏らしていた。
俺の救出は、目前に迫っていた。
だが、この巫女たちの規格外な行動に、俺の精神は、すでに限界を迎えようとしていた。
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