160.討論
「……だから! 熱いって言ってるだろ、この馬鹿管理人!」
「俺に言うな! 温度設定したのはノアだ!」
「そもそも、僕を男湯に連れてきたのは、管理人様でしょうが!」
「お前が、男だって言ったんだろ!」
神殿のような大浴場、その脱衣所で、俺とルカは、互いに腰に手を当てて、子供のような言い争いを繰り広げていた。
二人とも、あの灼熱地獄から命からがら生還し、今はノアが用意した、ふかふかのバスローブに身を包んでいる。だが、精神的なダメージは、甚大だった。特にルカは、散々だっただろう。故郷が滅びた直後に、見知らぬ城の、熱すぎる風呂に、無理やり放り込まれたのだから。
俺は、さすがに、少しだけ、反省していた。
「……悪かったよ、ルカ。その、無理やり連れてきて」
俺が、素直に謝ると、ルカは、一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに、ふっと、困ったように笑った。
「……いえ。僕の方こそ、すみません。管理人様に、八つ当たりみたいになってしまって……」
彼の顔には、まだ、悲しみの色が深く残っている。だが、その瞳には、諦めではない、確かな光が宿っていた。
「……管理人様」
ルカは、改めて、俺に向き直ると、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。貴方様と、このお城のおかげで、僕と母は、命を救われました。そして……故郷は、失われてしまいましたが……生き残った僕たちに、こうして、新しい居場所まで、与えてくださった」
彼の、あまりにも真摯な感謝の言葉。俺は、どう返せばいいのか分からず、ただ、照れ臭くて、頭を掻いた。
「もし……もし、僕にできることがあれば、何でも言ってください」
ルカは、顔を上げ、まっすぐな瞳で、俺を見た。
「僕は、管理人様のように、強くはありません。エラーラ様のように、剣も使えません。エリス様やフローラ様のような、特別な力もありません。でも……」
彼は、続けた。
「妖精族として、森のことや、植物のことなら、少しは詳しいつもりです。それに、手先は、器用な方だと思います。……どんな小さなことでも、この御恩に、報いたいんです」
その、あまりにも健気な申し出。
俺は、少しだけ、考えた。
そして、俺らしい、最高の答えを、彼に、提案した。
「……じゃあさ」
俺は、ニヤリと笑って、言った。
「とりあえず、俺の、盤上遊戯の相手、してくれよ」
「……へ?」
「エラーラの奴、俺に負けすぎて、最近、全然、遊んでくれないんだよな。だからさ、頼むよ、ルカ! 俺の、新しいライバルになってくれ!」
俺の、あまりにも個人的で、あまりにも場違いな、お願い。
それに、ルカは、数秒間、呆気に取られていたが、やがて、くすくすと、楽しそうに、笑い出した。
「……ふふ。分かりました。管理人様が、それで、いいのなら」
彼の笑顔は、久しぶりに見る、年相応の、少年のような、明るさを持っていた。
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その日から、ルカとその母親は、天空城アークノアの、正式な一員となった。
居住区画に、彼らのための、新しい家が用意された。国民たちは、最初こそ、「幻の妖精族!」と、遠巻きにして騒いでいたが、ルカの、誰に対しても礼儀正しく、誠実な人柄に触れるうちに、すぐに、彼らを、温かく迎え入れた。(村長だけは、未だにルカのことを『男装の麗人』か何かだと勘違いしているようだが、まあ、放っておこう)
ルカは、すぐに、この城での、自分の居場所を見つけた。
彼は、フローラが管理する『ガイア自然公園』へと、足繁く通うようになった。妖精族としての知識を活かし、コールドスリープから目覚めたばかりの動物たちの世話を手伝ったり、故郷の森にしか咲かないという、珍しい薬草を、公園の一角で育て始めたり。
フローラも、初めてできた、植物や動物の話ができる同年代(?)の友人に、心を開き、二人は、すぐに、打ち解けていった。
そして、約束通り、ルカは、俺の、最高の遊び相手にもなってくれた。
彼は、『天空創世記』のルールを、驚くほどの速さで覚え、俺が適当に作ったサツマイモ軍団を相手に、真剣に、そして、楽しそうに、頭を悩ませてくれた。
(まあ、エラーラほど、本気で悔しがってはくれないのが、少しだけ、物足りないが)
俺の、玉座の間には、久しぶりに、穏やかで、そして、賑やかな時間が、戻ってきた。
ルカという、新しい風。それは、この、少しだけ、歪で、少しだけ、狂気じみた神の国に、確かな、温かい変化をもたらし始めていた。
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【天空城アークノア 管制室】
その、平和な日常の、すぐ裏側で。
ノアは、一人、静かに、そして、冷徹に、分析を続けていた。
モニターには、先の妖精の里の、崩壊現場のデータが表示されている。
《……グールの、異常発生。その規模、及び、統率性……通常のアンデッド現象とは、明らかに異なる》
彼女の、論理回路が、一つの、不穏な可能性を、弾き出す。
《……これは、自然発生ではない。何者かが、意図的に、あの聖域を、汚染し、破壊した……? だとしたら、その目的は? そして、その『何者』とは……?》
ノアは、その分析結果を、まだ、誰にも報告していなかった。
管理人である俺の、そして、ようやく笑顔を取り戻した、ルカたちの、穏やかな日常を、今はまだ、壊すべきではない、と。
だが、彼女は、知っていた。
この、つかの間の平穏は、長くは続かない。
新たな、そして、より根深い『悪意』の影が、静かに、しかし、確実に、俺たちの足元へと、忍び寄ってきていることを。
彼女は、ただ、来るべき時に備え、その『神の目』を、地上へと、そして、宇宙の深淵へと、向け続けるのだった。
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