159.やっぱり熱いじゃないか
目の前に広がるのは、絶望的な光景だった。
焼き払われた家々、汚された泉、踏み荒らされた花畑。かつて楽園と呼ばれたであろう妖精の隠れ里は、見る影もなく荒廃し、死の匂いだけが、重く漂っていた。
「……そんな……。どうして……」
ルカは、膝から崩れ落ち、ただ、呆然と、変わり果てた故郷を見つめていた。彼の母親もまた、言葉もなく、その肩を震わせている。
「……生存者は、いないのか?」
エラーラが、周囲を鋭く見渡しながら、静かに尋ねる。
俺の護衛についてきていた数体のセラフィムが、既に里の隅々まで、高速でスキャンを開始していた。
《……報告します》
やがて、一体のセラフィムが、感情のない声で告げた。
《生命反応、多数確認。ただし……その全てが、敵対的です》
「敵!?」
その言葉と同時に、廃墟の影から、ぞろぞろと、おぞましい姿の者たちが、現れ始めた。
腐敗し、引き裂かれた衣服。飢えた獣のような、濁った瞳。そして、死臭を撒き散らしながら、よろよろと、しかし、確実に、こちらへ向かってくる。
「……グールか!」
エラーラが、忌々しげに吐き捨てた。
アンデッドの一種。死肉を喰らい、生者の命を貪る、不浄の存在。
「ああ……!」ルカの母親が、悲鳴に近い声を上げる。「グールは……森を汚すグールは、私たち妖精族の、天敵……! まさか、彼らに、里が……!」
原因は、明らかだった。
何らかの理由で、この聖域にグールの群れが侵入し、抵抗する術を持たない妖精たちを、一方的に蹂躙したのだ。
「グルルルルル……!」
グールたちが、俺たちに気づき、その数を増しながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。
ルカは、恐怖に顔を引きつらせ、母親は、気を失いかけていた。
「……下等な亡者が。神の御前で、その汚らわしい姿を晒すか」
エラーラが、大剣を抜き放つ。
だが、彼女が動くよりも早く。
俺の隣に控えていたセラフィムたちが、音もなく、その前に出た。
彼らは、剣を抜くことすらなかった。
ただ、その白銀の手を、ゆっくりと、グールの群れへと向けただけ。
次の瞬間、セラフィムたちの体から、太陽光にも似た、清浄な光の波動が放たれた。
「――ギャアアアアアアアア!?」
光に触れたグールたちは、まるで闇が光に焼かれるかのように、断末魔の悲鳴を上げながら、その体を、塵へと変えていく。
それは、もはや戦闘ではなかった。一方的な、浄化。
数秒後、里には、一体のグールも残っていなかった。ただ、風に舞う、黒い灰だけが、その存在を証明していた。
「……終わった、か」
エラーラは、静かに剣を収めた。
だが、里を救うには、あまりにも、遅すぎた。
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アークノアへの帰り道。
連絡艇の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
ルカは、窓の外を、ただ、黙って見つめていた。その瞳からは、静かに、涙が流れ続けている。彼の母親が、その肩を、優しく抱いていた。
俺も、エラーラも、そしてモニター越しに見守る巫女姉妹たちも、彼らに、どんな言葉をかければいいのか、分からなかった。
ただ、ひたすらに、気まずい時間が、流れていった。
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城に戻った俺は、その重苦しい空気から逃げるように、真っ先に、風呂へと向かった。
男湯には、誰もいない。俺は、一人、熱い湯に身を沈め、今日の出来事を、ぼんやりと、反芻していた。
(……結局、俺は、何もできなかったな……)
神様だの、管理人だの言われても、結局、俺は、ただの傍観者だ。悲劇を、ただ、見ていることしかできない。
俺が、そんな自己嫌悪に陥りかけていた、その時だった。
ガシャン!
男湯の扉が、乱暴に開かれた。
そして、そこには、ノアの巨大なアームに、まるで捕獲された宇宙人のように、ぶら下げられた、ルカの姿があった。
「……はああああああ!?」
俺は、思わず、湯船の中で叫んだ。「な、何してんだ、ノア!?」
《管理人様より、『男友達が欲しい』との要望を受けましたので》
ノアは、淡々と答えた。
《対象:ルカは、自らを『男』と自称しました。よって、彼を、管理人様の、入浴仲間として、こちらへお連れしました》
「いやいやいや! そういう意味じゃねえ!」
「は、離してください! 僕、男じゃないって、言ったはず……!」
ルカも、必死に抵抗している。
だが、ノアは、一切、聞く耳を持たない。
《問題ありません。ここは、男湯です。貴方は、男です。さあ、どうぞ》
アームは、まるでゴミでも捨てるかのように、ルカを、容赦なく、灼熱の湯船へと、放り込んだ。
「あああああああああああああああ!!!!」
「ぎゃあああああああああああああ!!!!」
その夜。
天空城アークノアの男湯には、二人の男(?)の、あまりにも情けない、絶叫が、いつまでも、いつまでも、響き渡っていた。
その頃、女湯では。
「……ふぅ。ようやく、慣れてきたな、この湯加減も」
エラーラが、一人、静かに、湯に浸かっていた。
彼女は、もはや、この城の、あらゆる異常事態に、動じなくなっていた。
あるいは、ただ、諦めただけなのかもしれない。
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